20歳のマエストロの写真
マエストロ・ムーティのオフィシャル・サイトに、マエストロの若い頃の写真として、20歳の頃の写真(1962年5月20日)が載っています。
20 Maggio 1962
http://www.riccardomuti.com/Immagini_Visualizza.aspx
マエストロ・ムーティのオフィシャル・サイトに、マエストロの若い頃の写真として、20歳の頃の写真(1962年5月20日)が載っています。
20 Maggio 1962
http://www.riccardomuti.com/Immagini_Visualizza.aspx
マエストロ・ムーティのオフィシャル・サイト掲載の写真がまた増えています。
マエストロのいろいろな表情、年齢の写真、オーマンディ、パバロッティ、マゼールとの写真、フレーニの伴奏をしている写真など、ファンなら、嬉しくなる写真ばかり。
ありがとうございます!
Riccardo Muti Official Website
マエストロ・ムーティのオフィシャル・サイト掲載の写真が増えていました。
Riccardo Muti という分類中の6ページ目と、durante i concertiという分類中の8ページ目にある、Photo by famiglia mutiの白黒写真はとても素敵です(特に後者の指揮姿!)。
Riccardo Muti Official Website
immagini
http://www.riccardomuti.com/gallerie.aspx
マエストロ・ムーティのオフィシャル・ウェッブ・サイトによれば、マエストロ・ムーティとフィルハーモニア管のバルセロナ公演は2008年2月24日ではなく、2月29日です。
Riccardo Muti Official Website
Concerti
http://www.riccardomuti.com/Concerti_Visualizza.aspx
CATALÀ - PALAU DE LA MÚSICA CATALANA
http://www.palaumusica.org/palaumusica/index.asp?pIdioma=cast
PALAU 100
PHILHARMONIA ORCHESTRA
RICCARDO MUTI, director
SCHUBERT: 'Rosamunda', Ouv. (Die Zauberharfe)
SCHUBERT: Simfonia núm. 8, 'Inconclusa'
HINDEMITH: Nobilissima Visione
SCRIABINE: Le Poème de l'Extase
マエストロ・ムーティがPeruzzelliの来年12月再開の指揮をとれないと報道されていることは、既にここでも紹介しました。
マエストロのオフィシャル・ウェッブサイトにも、再開の場にはいないだろうというマエストロのコメントが載っています。引用元は載っていません。
《オテロ》をローマ歌劇場で指揮しているからとはいえ、さぞ、無念、残念に思っていることでしょう。クリスマス・コンサートの計画はないのでしょうか。
Riccardo Muti Official Website
notizie 2007年12月17日
Il Petruzzelli senza Muti
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=268
マエストロ・ムーティのオフィシャル・ウェッブサイトによれば、11日に行われた《ドン・カランドリーノの帰郷》のレクチャーも同サイトで観られるようになるそうです。
同サイトの《幻想交響曲》のレクチャー、及び演奏の映像はオススメです。
ほかの映像も観られるようになるとのことで、楽しみです。
http://www.riccardomuti.com/homepage.aspx
Riccardo Muti Official Website
notizie
2007年12月12日
I NUOVI FILMATI DELLA LEZIONE SUL DON CALANDRINO SU RICCARDOMUTI.COM"
マエストロ・ムーティのサイトのニュースで予告されていたとおり、マエストロのレクチャーコンサートの2枚組みDVD(ベルリオーズ 幻想交響曲)がはじめてリリースされるようです。
入手方法をサイトに照会しています。
Riccardo Muti Official Website
Storia & Cultura
Per la prima volta svelati i segreti! In uscita un doppio DVD con lezione pubblica su come il Maestro vive ed elabora una direzione, e successivo concerto relativo a quanto spiegato. In questo evento Muti interpreta il grande Hector Berlioz.
マエストロ・ムーティのオフィシャル・ウェッブ・サイトに載った映像は、今年のラベンナ音楽祭からのものです。
ひとつはLeonidas Kavakosによるバイオリンのアンコール。
もうひとつは、《幻想交響曲》のレクチャーコンサートです。
Riccardo Muti Official Web Site
filmati
http://www.riccardomuti.com/homepage.aspx
マエストロ・ムーティのオフィシャル・ウェッブ・サイトのニュースによると、新たな映像が観られるようになります。サイトへの要望に応じたものです。
さらに、ここで観られるものはレクチャーの一部ですけれども、いずれはレクチャー全体をDVDとして提示するプロジェクトがあるそうです。
Riccardo Muti Official Web Site
2007年10月10日 notizie
"I NUOVI FILMATI DA OGGI VISIBILI SU RICCARDOMUTI.COM"
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=232
マエストロ・ムーティは10日、12日にパルマでヴェルディ レクイエムを演奏しますが、マエストロのオフィシャル・ウェッブサイトに楽しみなニュースが載っています。
おそらく9日18時から、マエストロがヴェルディ レクイエムの解釈と指揮法、ヴェルディについての考えを、短い時間ながらレクチャーするとのことです。10日の公演に向けてのもので、マエストロのスケジュールからして、9日18時がいちばん実現可能性が高いそうです(メリ総裁との時間もあうようです)。
Riccardo Muti Official Web Site
notizie 2007年10月2日
Il sito riccardomuti.com è lieto di annunciare
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=229
マエストロ・ムーティのオフィシャル・ウェッブ・サイトのニュースによれば、レスプレッソ誌9月27日号にマエストロのインタビューが掲載されるようです。抜粋がマエストロのサイトに載っています。
雑誌が入手できたら、また紹介します。
「マルタ・アカデミーは、我々の西洋文化と中近東が出会う地点になることを望んでいます。マルタはその地理的位置から、この二つの文化にとって、海における理想的な十字路です。私のセミナーに参加した若者達が、たくさんの様々な国出身者であったこと、とりわけ、シリア出身者が大勢いたことをとても喜んでいます。」
「イタリアは歴史的には、世界で最も歌劇場の多い国です。けれども、その大部分は閉鎖されています。もしも、特に地方の歌劇場を若者達に任せる勇気と可能性があり、彼らに自己表現の可能性を付与するならば、新しい着想が生まれ得るのは確かです。」
「ヨーロッパ全体は、文化に対して非常に重要な貢献をしているとは言えなくなりつつあります。一方で、中国は西洋音楽に対してますます整備されてきています。そこには、3000万人のピアニストがいて、1500万人のバイオリニストがいます。アジアの他の国々が台頭してきている現時点において基金をカットするのは、無分別な態度です。」
スカラ座を去ってから、常任の仕事は持たないと決意しました。この路線を続けますか。
「ええ。私は27歳で音楽監督になり、40年近くその状態でした。現在は完全な自由を楽しんでいます。音楽を演奏するだけであり、音楽とつきあうのに何の関係もない問題を気にかける必要がありません。」
次の予定は?
「シカゴへ2週間行きます。また、ヨーロッパも周ります。ミュンヒェン、パリ、ロンドンだけでなく、イタリアも訪れるツアーです。」
Riccardo Muti Official Web Site
notizie 2007年9月21日
settembre 2007 "Muti mondiale" intervista su L'Espresso del 27/09/07
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=220
26日に行われたGlobArt2007授与式でのマエストロ・ムーティのスピーチが、ほんの一部ですが、イタリアのメディアで報じられています。
音楽は天上と地上との階、人々を結びつけるもの、などと語っています。
チリでの報道とともに、追って紹介します。
なお、ORFの地方ニュースにはそのときの小さな写真も載っていました。
2007年8月26日 noe ORF
Pernegg
Riccardo Muti in Niederösterreich geehrt
http://noe.orf.at/stories/217258/
2007年8月27日 il Mattino 紙
il premio GlobArt Award
Riccardo Muti Official Website
notizie 2007年8月27日
Austria - Pernegg - A Muti il GlobalArt Award
La Provincia di Cremona
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=202
マエストロ・ムーティのオフィシャル・サイトでも紹介されていますが、パノラマ誌最新号が、マエストロとドパルデューの《レリオ》をとりあげています。
メロローグを音楽家と俳優の新しい出会いの形であるとしていて、他にも演奏家と俳優のいろいろな組み合わせを列挙しています。
記事は、マエストロとドパルデューが互いに手をとって高く掲げ、歓呼に応えている写真(10分間のカーテンコール)を載せています。
この出会いは、マエストロが言うには、ドパルデューが登場人物になりきって幻想に苦悩する姿を見るのは、彼の魅力を堪能するも同然であり、ドパルデューが断言するには、マエストロと一緒にいると、自分がますます知的に変わっていく、という出会いなのだそうです。
Panorama 誌 2007年第35号
MELOLOGOMANIA E NON è LA SOLITA MUSICA
Riccardo Muti Official Website
2007年8月24日 notizie
Melologomania - e non è la solita musica
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=202
マエストロ・ムーティのオフィシャル・ウェッブサイトにも、バースデーカードをメールで出しましたが、同サイトからの返事によれば、来週にはマエストロのもとに届くだろう、とのことです。さぞかし、たくさんのEメール・カードが舞い込んだことでしょう。
こうやって、オフィシャル・ウェッブサイトはたくさんのファンに返事をくれ、来日すれば、終演後サインを欠かさず、と、マエストロは本当にファンを大切にしています。嬉しいです。
テレコム・イタリアのサイトの22日の映像は、素晴らしいです。
わたしのインターネット接続環境では、バッファにとてつもなく時間がかかりますが(おかげで、ほとんど寝ていません)、それでも、映像・音ともに非常に鮮明で、リハーサルの短い映像、両国歌の演奏の様子、ベスパによるインタビュー映像まで観ることができ、とても幸せです。
テレコム首脳はベスパによるインタビューにも登場しましたが、ラベンナ音楽祭にこれまでとかわらぬ支援をしてくれたことに、そして、こういう形で映像を公開してくれたことに、心から感謝します。
Telecom Italia, Progetto Italia
Le vie dell'amicizia
http://www.telecomprogettoitalia.it/default.aspx?idPage=511
マエストロ・ムーティのオフィシャル・ウェッブサイトの扉の写真が新しくなりました。マエストロの指揮姿の写真が3枚。
Riccardo Muti Official Website
http://www.riccardomuti.com/homepage.aspx
スカラ座で上演されたマゼール指揮《ラ・トラビアータ》で、マエストロ・ムーティの側に立つ人たちが組織的なブーイングを行った、という観測記事がいくつか書かれ、それを憤る気持ちをここで述べました。口惜しく、馬鹿げたことであり、マエストロは全く頓着していないであろうと思いながらも、その心中をいろいろ忖度して、来日中にもかかわらず、ファンとしてはつらい気持ちになっていました。
9日にクリスティーナさんが、マエストロのオフィシャル・ウェッブ・サイトでラベンナ音楽祭側の人間として、毅然と誇り高く抑制された口調で反論をしていて、感銘を受けました。
旅行中だったため遅くなりましたが、内容を紹介します。
なお、クリスティーナさんが個人名を出している人(ミラノの著名な経済人)は、記事の中で、組織的なものだ、ムーティが背後にいるとは思わないが、彼のファンがやった、彼らがラベンナだけが音楽の中心だと叫んでいることからわかる、とコメントしています。
2007年7月5日 la Repubblica 紙
"Era tutto organizzato" "No, ha diretto male"
Riccardo Muti Official Website, notizie
09 luglio 2007 Cristina Muti:"Qualcuno vuole seminare zizzania"
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=174
戦慄と恐怖の気持ちとともに、2007年7月5日のレプッブリカ紙の記事を読みました。Andrea Montanari と Paola Zonca の署名のあるもので、スカラ座で上演された《ラ・トラビアータ》における聴衆の反応について、ラベンナ音楽祭のファンに責任があると書いています。
戦慄というのは、そこに本当にラベンナ音楽祭賛美者達がいるとしたら、音楽祭の18年間の成果を危険にさらすほどにまで非常に愚かな者達だからです。その成果は、すべての偉大なオーケストラ指揮者達に関して掛け値なしの清廉さと、高い評価、堂々たる成功に満ちたものです。彼らは、アッバードからマゼール、クライバー、テミルカノフ、メータ、ショルティ、シノーポリ、ロストロポヴィチ、ブーレーズといった指揮者達で、そのほかに数え切れないほどたくさんの素晴らしく驚嘆すべき芸術家達がいて、彼らについて我々が出演を望むことができ、彼らを愛し、さらに、彼らも喜んでラベンナに戻ってくるような人達です。そういう人たちとの仕事の成果なのです。もしも、本当に言われているように、そのように愚かな賛美者達がいるとしても、容易に信じることはできません。もしも、いるとしたら、そのときは、私は、そういった危険で失望に満ちた狂信主義タイプと距離をおくことに、何の困難も感じません。
恐怖というのは、今度は、「テロリスト」が周囲をうろついていると思うからです。その存在は音楽祭の純粋さ、静寂に満ちた仕事に影を投げかけようとしています。また、音楽祭の前進に、影を投げかけようとしています。音楽祭は、無理やり前に進もうとか、是非ともいちばんになろうとして前進しているのではなく、真摯さだけにもたらされる報い・結果として前進が生まれることを自覚しています。また、素晴らしくあるよう大いに努めるならば、そうすれば、組織全体がよくなるという自覚をもって前に進んでいますし、あらゆる人々にとって大きな利点があるよう前進しています。そういった前進に影を投げかけようとしているのです。
でも、たとえ、誰かが何らかの形で騒動をまきちらすことができると思っているとしても、それはそれとして、私達の素晴らしい聴衆からそういう騒動が始まるような、そのような余地を、この我々のラベンナ音楽祭に見つけることは、容易ではないでしょう。この聴衆は今晩、マエストロ・ダニエル・バレンボイムをはじめて迎える心積もりをしていて、幾晩も音楽祭を聴いている人達はみなわかっているような、そういう熱心さを持った3500人以上の聴衆によって、びっくりするほどの売り切れぶりを見せています。そういう聴衆なのです。どうかClaudia Buccellati のような人が組織的な罠に陥ることのないよう、願っています。
親愛なるClaudia、あなたはあまりに知的過ぎて、悪事を働こうとしている人は自分の名前を大きな声で叫びながら公然とやってきたりしないものだ、ということが理解できないのです。
けれども、あなたのスカラ座への愛情Amoreは私にもあるものなのです。なぜなら、そこでの20年近い人生は素晴らしい音楽経験に満ちていて、私の心にいつもいつまでも残っているものだからです。
Cristina Muti
マエストロ・ムーティの来日中だというのに、ミラノ・スカラ座のマゼール指揮《ラ・トラビアータ》について、イタリア語の腹立たしい記事をたくさん読まなくてはならなかったのは、つらいことでした。
マエストロのオフィシャル・ウェッブサイトにクリスティーナさんが、ブーイングは組織的なものだとする一部の見方に、毅然と答えています。
(このマエストロ応援ブログでも憤懣やる方ない気持を述べました。)
追って紹介します。
このブーイングについては、たとえば、6日のザ・タイムズ紙、10日(オンラインは9日)のFAZ(フランクフルターアルゲマイネ紙)もとりあげています。
ザ・タイムズ紙のほうは、ブーイングが組織的だったかどうかには触れず、マゼールの指揮ぶりが天井桟敷には受け入れられず、また、ゲオルギューの歌いぶりが遠い昔のイタリアの地方歌劇場の歌い方だ、と批評したイタリアの新聞を紹介しています。
FAZ紙は、ブーイングがラベンナからバスでやってきた組織的な一団によるものだという見方をしている記事を、紹介しています。
Riccardo Muti Official Website
Cristina Muti:"Qualcuno vuole seminare zizzania"
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=174
2007年7月6日 The Times 紙
Angela’s lashes
2007年7月10日 FAZ紙
Clique und Claque
マエストロ・ムーティのサイトによると、Il Sole 24 Ore 紙の新しい雑誌(15日創刊、あるいは新聞差込?)Luxury24誌にマエストロのインタビューが載っているそうです。
ケルビーニ管、(おそらく)プーリアの憩いの地に建てている自分の「家」、ナポリについて語っているとのこと。
Riccardo Muti Official Website
notizie
15 maggio 2007
Un caffè con.....Riccardo Muti
Giovani Prendetevi la musica!
Riccardo Muti e le sue passioni: i nuovi talenti, l'Orchestra Cherubini, i trulli in Puglia e il Napoli
luxury24
パノラマ誌のサイト、マエストロ・ムーティのサイトによれば、同誌最新号にはマエストロ・ムーティのインタビューが載っているそうです。
オンラインではまだ読めないので、内容がわかったら、紹介します。
Riccado Muti Official Website
notizie 2007年5月4日
Panorama
A colloquio con Muti dopo la Scala
マエストロ・ムーティのサイトのトップの写真が、ザルツブルクの光景とケルビーニ管になりました。
Riccardo Muti Official Website
http://www.riccardomuti.com/homepage.aspx
マエストロ・ムーティのサイトのコンサート予定に、PMFなどが載りました。
中でも、モスクワで行われる、リヒテル没後10周年記念コンサートのことは、マエストロのサイトではじめて知りました。
マエストロにとってもリヒテルにとっても友人だった、ロストロポヴィチが亡くなったばかりですから、一層心のこもったコンサートになることでしょう。
Riccardo Muti Official Website, concerti
http://www.riccardomuti.com/Concerti_Visualizza.aspx
2007年6月1日 モスクワ、フランス国立管
リヒテル没後10周年記念コンサート
シューベルト
《ロザムンデ》序曲
交響曲第8番
交響曲第9番
Columned Hall (Kolonny Zal)
マエストロ・ムーティとフランス国立管の演奏について、フィガロ紙のシンプルな称賛が、その記事タイトルとともに、あまりに感動的で、是非訳そうと思っていたところ、イタリアのメディアが早速とびついていました。
マエストロのサイトもニュースとして載せています。
2007年4月17日 Il Giornale 紙
Le Figaro esalta Muti «il demiurgo»
Riccardo Muti Official Website, notizie
17 aprile 2007 Parigi - Le Figaro esalta Muti "il demiurgo"
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=123
上記イタリアの新聞は、フィガロ紙がマエストロに贈った称号(以前には、メディチ家のロレンツォにも冠せられている、Il Magnificoを献上していました)il demiurgo(宇宙の創造神)に、まず触れています。
フィガロ紙は、マエストロのプログラムについて、モーツァルトの最晩年の作品とベルリオーズの若い頃の作品をならべるという、意欲的、挑戦的なものとしてとらえ、最後にはマエストロはこの挑戦、賭けにもちろん勝った、と思わせる書き方をしています。なぜなら、同紙のクリティックだけでなく、聴衆も大喝采を送ったからです(オーケストラや合唱団も、深く熱い敬意と称賛をマエストロに示したことも、その場にいた方から伝え聞きました。教えていただいて、心から感謝しています)。
モーツァルトについては、この作品のアプローチとしてこれ以外の方法が可能だろうか、とまで書いています(編成を落としたオーケストラによって演奏されたことは、既に紹介したConcerto Netのサイトの評にも載っていました)。
ベルリオーズについては、マエストロはこの作品について最高のもの提供しようとして、オーケストラを奮い立たせ、本当に奮い立たされたオーケストラは、それに見事にこたえて劇的、ドラマティックな演奏をしてみせ、聴衆の決定的な喝采を得た、とマエストロの入魂ぶりが記述されています。
もちろん、合唱についても、この挑戦、賭けに十分耐えうるだけの能力があった、と合唱指揮者Casoniへの称賛も書いています。
復活祭の休暇明けとはいえ、東京のオペラの森公演後、マエストロがさらに一層、音楽にその身を捧げつくしたことが感じられる演奏評には、何度読んでも、そして、いくつ読んでも感動します。
23日のインターネット中継が楽しみです。
15日のニューヨーク・タイムズ紙が、ニューヨーク・フィルハーモニックの次期音楽監督として、マエストロ・ムーティはいちばん近い距離にいるひとりだけれども、現代、そして次世代のために求められる音楽監督像としては難点がある、としていたことが、イタリアやオーストリアのメディアでとりあげられています。
マエストロのサイトでは、Corsera 紙の報道をニュースとして紹介しています。
マエストロはこういう外野に煩わされることなく、ただひたすら音楽だけで自分を見せる、きまじめで真摯な人なので、6月にもきっと、聴衆とオーケストラをうならせる公演をすることでしょう。
2007年4月16日 APA / Kleine Zeitung 紙
Übernimmt Muti New York Philharmonic Orchestra?
2007年4月16日 Corriere della Sera 紙
Il «Times» dà il maestro italiano come candidato più accreditato per succedere a Maazel
«New York Philharmonic, Muti favorito»
Riccardo Muti Official Website
notizie 16 aprile 2007
Il "Times" dà il maestro come candidato più accreditato per succedere a Maazel "
New York Philharmonic, Muti favorito"
6日のレプッブリカ紙に載ったマエストロ・ムーティのインタビューの続きを紹介します。
マエストロのサイトには若い頃の写真、フィレンツェ時代の写真がたくさん載っていて、どんな青年だったのかを想像するのがとても楽しくなります。
Riccardo Muti Official Website, immagini
Un giovane Riccardo Muti
http://www.riccardomuti.com/gallerie.aspx
2007年4月6日 la Repubblica 紙
70° MAGGIO MUSICALE
Parla il maestro, uno dei miti del festival
Muti: "Che favola quel mio debutto col grande Richter"
「今でも、このコンサートは私のキャリアの中で最高の頂点のひとつだと思っています。Leonardo Pinzauti がLa Nazione紙で、リヒテルのようなピアニストの伴奏をすることがどれほど困難であるかを強調し、それをやってのけた私を称賛していたことを思い出します。この記事ではじめて、言外にですが、私が常任指揮者の役割で契約することが提案されました。オーケストラが大声をあげて求めていた任務です。Paoneは若者に好んで焦点をあてていましたが、1968年秋のコンサートに私を望みました。プログラムはGhedini、リヒャルト・シュトラウスの《イタリアから》、そして、モーツァルトのクラリネット協奏曲K622で、ソリストはDetalmo Cornetiでした。彼はフィレンツェ五月音楽祭管の素晴らしい首席奏者で、尊敬と親愛の気持ちとともに思い出されます。リハーサルの間、雰囲気は平穏でした。ボックス席にはPiero Farulliがひとり、非常に注意深い様子でいました。素晴らしいバイオリニストであるだけでなく、フィレンツェの歌劇場の理事会のメンバーのひとりでした。この若い指揮者について、理事達は彼に好感を伝えていたのです。このコンサートも成功で、私を任命するための接触が始まったのでした。それは、事実としては1969年に行われました。私がフィレンツェではじめてオペラを指揮したときのことで、ヴェルディの《群盗》、演出家はPiscatorでした。」
緊迫したときもありました。1973年10月に当時のフィレンツェ市長Bausiに辞任の手紙を手渡し、その中で、Carlo Marinelliを芸術監督に任命した後の劇場の将来を憂える、と断言しました。彼はかつて一度も劇場運営の経験がありませんでした。
「フィレンツェ歌劇場にとって非常に難しい時でした。異常とも思える政治的分割が劇場を襲ったのです。それは今でもあることですが、でも、当時は落ち着いて仕事をすることの妨げとなっていました。私にとっては、芸術上の虐殺でもありました。」
フィレンツェ時代には、ヴィットリオ・グイと堅い真心のこもった友情関係を結んでいました。
「アントニーノ・ヴォットーとともに、師であると同時に、父でもありました。彼の妻Eldaに私の娘キアラの代母を頼むほどまでに、根源的な深いつきあいをしていました。フィエーゾレの彼の屋敷にしばしば会いに行ったものでした。そういった午後を、まるで大いなる人格形成の場であるかのように、音楽について語り合って過ごしたことを思い出します。グイは生ける歴史の一片、証人でした。彼の語りを通じて、シュトラウスやドビュッシーといった、私が勉強を通じて知っていた音楽家たちとの出会いがよみがえりました。ヴェルディやロッシーニ、グイのことは今でも最高のロッシーニ演奏家のひとりだと考えていますが、そういったレパートリーにおける解釈の問題を話しあっただけではありません。それだけでなく、Francesco Sicilianiとの協力によって刺激され、私が自分のものとして消化吸収していたスポンティーニやケルビーニといった作曲家達についても、その解釈問題を話し合いました。《ファルスタッフ》についての彼の貴重で啓蒙的な助言を思い出します。ある日、グイは、一度も手離したことのないワーグナー風の黒のビロードの帽子の陰で、私にこう耳打ちしました。頼むから、ムーティ、この作品にとりかかるときは、始まりの部分が室内楽であることを思い出して欲しい、と。今でも、ヴェルディの最後のオペラを指揮するときは、この素晴らしい洞察を尊重しています。」
マエストロ・ムーティがフィレンツェ時代を振り返ったインタビューを、何回かに分けて紹介します。
6日のレプッブリカ紙フィレンツェ版は、その若い頃の写真を載せながら、マエストロを大きくとりあげていました。
マエストロは、古くて長い親交をとてもとても大切にする人です。インタビューを読みながら、いつまでも誠実なファンであり続けようという気持ちを、ますます強く持ちました。
なお、このインタビューの冒頭部分は、マエストロのサイトにも載っています。
Riccardo Muti Official Website
notizie 06 aprile 2007
Muti:” Che favola quel mio debutto col grande Richter” nel 1968
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=118
2007年4月6日 la Repubblica 紙
70° MAGGIO MUSICALE
Parla il maestro, uno dei miti del festival
Muti: "Che favola quel mio debutto col grande Richter"
偉大なピアニストを指揮する誇りと恐れ。グイとの親交。ロンコーニとの連帯友情。リッカルド・ムーティはそのフィレンツェ時代、そして、いまだに彼をフィレンツェにつなぎとめている交友関係について、すすんで語った。
マエストロ、1968年のテアトロ・コムナーレへの、まさしくデビューのときから始めましょう。
「カンテッリ・コンクールでの優勝の後、フィレンツェにやってきました。当時、若いオーケストラ指揮者たちには今日のような特典はありませんでした。重要な音楽団体が不慣れな音楽家たちに、中心的な役割を提供するようなことはなかったのです。Remigio Paoneが五月音楽祭管の指揮台に立つ機会を提供してくれました。それはとりわけ、非常に重要な機会でした。スビャトスラフ・リヒテルが加わったオーケストラ・コンサートだったのです。有名なピアニストに対して、若い指揮者との仕事に反対する理由はないかがたずねられました。彼は承諾し、音楽的であれば十分だ、と言いました。けれども、リハーサルをもたされました。1968年3月に行われるはずだったコンサートの数ヶ月前に、Accademia Chigianaで会うよう、求められたのです。1967年11月の雨の晩にシエナに着きました。脇には、モーツァルトのピアノ協奏曲K450と、ブリテンのピアノ協奏曲ニ長調の楽譜を抱えていました。リヒテルが2台のグランド・ピアノの傍らで待っているホールに入りました。すぐに、何を求められているのか、理解しました。二つの作品の演奏において、彼の伴奏をしなければならなかったのです。オーケストラ・パートは私にまかされていたようでした。そんなわけだったのです。終わったとき、リヒテルは立ち上がり、私の方にやってきて、言いました。この演奏のように指揮するならば、あなたは本当にいい音楽家です、と。君と大いに喜んで共演しましょう、と言ったのです。今でも、このエピソードを思うとき、感動と恐れとで身が震えます。私のフィレンツェ・デビューはドラマのようでした。」
けれども、コンサートは目的地に着きませんでした。
「リハーサルは順調に行われ、オーケストラは私の仕事の仕方に非常に感銘を受けました。すぐに最高の関係になりました。そして、五月音楽祭管の団員たちがストライキに入り、演奏会の晩は飛ばされてしまいました。けれども、Remigio Paone総裁はリヒテルをフィレンツェで聴く機会を失いたくないと考え、五月音楽祭のプログラムにコンサートを挿し入れました。変更は有益でした。なぜなら、オーケストラに戻ってきたとき、騒動は過ぎ去り、オーケストラは、再び、私と会いたがっていたからです。演奏会は大成功の結果を出しました。」
フィナンシャルタイムズ紙に載ったAndrew Clarkによるマエストロ・ムーティへのインタビューの、残りの部分を紹介します。
マエストロとグイの写真は、マエストロのサイトでも見ることができます。
Riccardo Muti Official Website
immagini
Riccardo Muti e gli ospiti
Il direttore d'orchestra Vittorio Gui
http://www.riccardomuti.com/gallerie.aspx
フィルハーモニア管を指揮してジャネット・ベーカーと共演したのは、手持ちの資料では次の折です。
1978年6月15日 ロンドン
フィルハーモニア管
ベルリオーズ 序曲《ローマの謝肉祭》
ベルリオーズ 夏の夜
ベルリオーズ 《ロメオとジュリエット》抜粋
ジャネット・ベーカー
2007年3月6日 The Financial Times 紙
Passionate believer in pausing for thought
スカラ座ではその抵抗が激化した。もっとも、ムーティの音楽面での要求の結果というよりは、内部の政治的な理由によるものだったが。2005年の突然の辞任以来、スカラ座の多くの演奏者メンバーたちがわざわざ彼と接触し続けている。ムーティはできごとについて自分の解釈を述べることを明らかに嫌がっているけれども、自分が時として「(スカラ座を第一義のものとみなす)馬鹿であった」ことを認めている。「けれども、私は正しかった。自分のしたことに誇りを持っています。これが傲慢に聞こえるとしたら、残念に思います。スカラ座では43もの異なったオペラ作品を指揮しました。あの19年間をいつまでも忘れないでしょう。でも、今は扉は閉じられました。」
そういった言葉が未練のほろ苦さと戻ることのない決断を表しているとしても、それらはまた、どんどん進んでいきたいという気持ちも象徴している。元気を回復して若返ったムーティは、ニューヨーク・フィルハーモニックとの恋愛を楽しみ続けてきた。同フィルは、彼が言うには、「私のために演奏しているように思えます。」ウィーン・フィルとの仕事は続いている。1971年から毎年指揮しているオーケストラである。ロンドンはどうかと言えば、「そこは(イタリアを卒業して)二つ目の学校でした。忘れることのできないいくつかの事柄があります。それは若かった指揮者として非常に大切な事柄でした。たとえば、ジャネット・ベーカーと《夏の夜》を演奏したようなことです。後に女王がスカラ座を訪れて、南イタリアの人間である私に名誉ナイト爵位の栄誉を与えたという事実は、私をとても誇らしい気持ちにしています。」
ヴェルディ《レクイエム》の演奏ほど強く、彼のロンドン時代初期の思い出を喚起するものはない。1970年終わりにフィルハーモニア管とこの作品を録音したし、来週それを指揮するために戻ってくる。フィレンツェでムーティは、高名なヴィットリオ・グイの下でその解釈を学んだ。グイは85歳、ムーティは30歳だった。「《レクイエム》の手がかりは"Libera me"の終わりにあります。」こうムーティは言って、自分の心にとって大事なテーマについて、リラックスしながら入っていった。「スコアに書かれている言葉はlunga pausa(long silence長い静寂、沈黙)です。ソプラノはこう言い続けています。『神様、お願いです、私は守られていません、助けてください』。長い静寂、沈黙。神の答えは何でしょうか?ズドンッ!―ドシンとくる和音の"Dies irae"です。何の慈悲も無いのでしょうか?あるいは、ヴェルディはおそらく希望をもたらすものは何もないと考えていたのでしょう。非常にやっかいです。これは現代の人間のドラマです。lunga pausaは音楽の一部であり、強烈な空虚、空白です。けれども、たいていの指揮者たちは我慢できず、腕を動かしたがります。彼らは休止を無視し、進み続けます。指揮することは病気だと私が言っているのは、こういう理由からなのです...。」
ムーティの場合は異なる―しかし、『マエストロ』との議論はない。晩のコンサートのための休息の時間がきたからだ。ムーティはスコアをとりあげ、ステージドアに向かい、ピアチェンツァの歴史的な中央広場を横切って、ホテルに向かってぶらぶら歩いて行った。
マエストロ・ムーティが2月にテル・アビブでイスラエル・フィルを指揮して、トスカニーニ記念コンサートを行ったときの模様から、シュナイダー小児病院を訪問したときのことを紹介します。
なお、マエストロのサイトから、上院でのトスカニーニ記念コンサートの予定が消えています。
Viva Toscanini
Israele
Tel Aviv 14 febbraio 2007
Paola Severini
医師、ムーティ夫妻とともにコーヒーを飲み、写真とプレートに納まり、この特別な一日が終わった。クリスティーナ・ムーティが話し始めた。「あなたがたのことは決して忘れないでしょう。あなたがたはあらゆる子供たちに対して、その子たちの宗教や政治信条にかかわりなく、等しく愛情と専門的な力を注ぎながら、本当の平和を築き上げてきました。あなたがたのことは私の心にいつまでの残るでしょうし、いつまでも私のそばにいることでしょう。」我々は皆心を動かされた。さらに一層感動したのは、次のことが公表されたときだった。マエストロ・ムーティが、その高潔な選択がより一層大きな可能性になるような形にしながら、コンサートのギャラを病院に寄付したのである。この選択は、また、トスカニーニにさらに一歩近づくものでもある。彼はイスラエルで指揮するときはいつも、自分の報酬を辞退していた。
このときの様子は、マエストロのサイトのニュースではこう紹介されています。引用元はないのですが。
Riccardo Muti Official Website, notizie
05 marzo 2007 “Music radiates love”
http://www.riccardomuti.com/notizie.aspx
世界的に有名なイタリア人指揮者リッカルド・ムーティがシュナイダー小児病院を訪れた。イスラエル、中近東において唯一ターシャリーケアを行う小児病院として、シュナイダー小児病院は、世界的なイタリア人指揮者リッカルド・ムーティが2007年2月に病院を訪れたことを、大いに名誉にし、誇りにした。マエストロは、イスラエル・フィルハーモニック管弦楽団の70周年を祝うためにイスラエルに滞在していた。妻でラベンナ音楽祭総裁であるクリスティーナ・ムーティ、イタリアNPO協会顧問Paola Severini、アルトゥーロ・トスカニーニの孫娘Contessa Emanuela di Castelbarcoが一緒だった。トスカニーニは1936年にイスラエル・フィルの披露コンサートを指揮している。伯爵夫人は、トスカニーニが1957年に亡くなってから50年になるのを記念したガラコンサートに列席するためにイスラエルにいた。
非常に忙しいスケジュールにもかかわらず、ムーティは特に腫瘍科の子供達に会うことを望んだ。彼らは訪問者たちを、病院の音楽療法プログラムの枠組みの中で奏法を学んだ、ダルブッカ(訳注:中近東のドラム)や他の打楽器を楽しく演奏してもなてなした。驚きと優しさあふれるジェスチャーで、マエストロ・ムーティはこう言った。イスラエル・フィルでの自分のギャラを、シュナイダー小児病院の平和への架け橋に対する努力に寄付したいと。「それは私のイスラエルへの愛情を表すものです。音楽は愛を放つものですから。」その資金は、アラビア語を話すソーシャルワーカーたちの重要な活動を支援する助けになる。
著名な来客たちはシュナイダー小児病院の特別な世界に感銘を受け、イスラエルの子供たちに対する健康管理への、同病院のユニークな貢献について話を聞いた。シュナイダー小児病院院長Marc Mimouni教授、血液腫瘍科長Isaac Yaniv博士、シュナイダー小児病院友の会会長Aviva Ronが彼らと接した。
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