シカゴ・トリビューン紙に載った、マエストロ・ムーティの音楽監督就任を支持する記事の続きを紹介します。
高水準を妥協することなく追求するマエストロへの理解を示すシカゴ響には、感銘さえ受けました。
ここまで仔細に反論を展開していくのは、見事でもあります。
また、バレンボイムとの比較が再三再四登場するのを、とても興味深く思いました。
レパートリーが偏っている、と批判の声をことさら大きくはりあげるのは、日本でも少なからずみられますが、マーラーの演奏が少ないことを非常に重視してのことでしょうか。
2008年5月11日 Chicago Tribune
Riccardo Muti, CSO a potent combination
New conductor brings energy, experience
By John von Rhein Tribune critic
音楽を奨励する
それはなかなかできないことだ。しかし、ムーティは、コミュニティ内でクラシック音楽への改宗者を出すことを率先してやりたいし、潜在的な寄贈者や新しい聴衆と進んで関わりたい、と言っている。このことは直ちに、彼の前任者であるエリート主義者ダニエル・バレンボイムとの区別になる。バレンボイムは、音楽と具体的に関係しないようなことへの責任はきまって避けていた。
「私は、オーケストラは、寄付する余裕があり、チケットを購入できるような人々のためだけでなく、コミュニティのすべての人のために存在すると考えています。」こうムーティは言った。「音楽監督はスポンサーと共に活動しなければなりません。彼らを説得して、芸術を支援するための金銭を提供してもらうためです。音楽は特にコミュニティに奉仕しています。」と付け加えた。「人々に音楽の重要性を気づかせ、次世代のための準備をする目的なら、どこへでも行く用意があります。」
オーケストラ協会との契約はムーティに、本拠地とツアーにおいて、1シーズン、少なくとも10週間はシカゴ響と過ごすことを要求している。これは今日、めまぐるしく世界を飛び回る国際的な指揮者にとっては、平均的なコースである。在シカゴ期間が短すぎると考える人は、バレンボイムはその15年間のほとんどの在任中、シカゴとはこれとほぼ同じ期間を過ごしていたことを思い出すべきである。好むと好まざるとにかかわらず、そこに居を定めて根をおろす指揮者の時代は終わっている。(ムーティが言うには、彼と妻クリスティナは、少なくとも今のところは、シカゴのホテルからオーケストラに通うつもりだとのことである。というのは、自分ひとりでは卵をゆでることさえできないからだ、と冗談を飛ばしている。)
どの音楽プロジェクトにもエネルギーと集中力をもちこむことで有名な、極度の集中力の持ち主である音楽家、ムーティは、シカゴで過す時間を最大限に使うものと期待されているかもしれない。彼は言う。「音楽監督であるということは私にとって、その組織での生活に深く関わることを意味します。他の指揮者よりも多くの時間、指揮するような指揮者、というような類いのものだけではないのです。」
彼はミラノの有名なスカラ座で19シーズン音楽監督を務めたが、その歴史的なオペラ・ハウスの活動において、数々の面を監督していたことが知られている。それは、フィラデルフィア管で12年間音楽監督を務めた際とまさしく同様である。そこでは、最後にはVerison Hallとなった新しいコンサート施設創設のためにキャンペーンを張り、基金のために動きまわっていたムーティが見られた。
ムーティは、スカラ座のオーケストラや同歌劇場の他の労働者達が関わった、短絡的な紛糾の中、2005年にスカラ座を離れた後で、傲慢だという評判をとった。たとえそうだとしても、ムーティは傲慢だと不満を述べるシカゴ響のメンバーの声を、私はまだ聞いたことがない。高い水準にあくまでもこだわり、周囲の人達にも自分と同じようにこだわるよう期待することは、傲慢であることとは同じではないし、独裁的であることとも同じではない。シカゴ響のメンバー達はそう指摘する。
「オーケストラは、ムーティの音楽作りのスタイルに全く容易に適合しました。そして、どのコンサートでも、私達の間に他よりも深い相互理解があったという印象を残したのです。」シカゴ響の副首席オーボエ奏者Michael Henochはこう言った。彼は音楽監督を探す委員会のメンバーとして、ムーティとの契約を評議会に熱心に勧めた。
世界で最高のオペラ指揮者の一人としての経験とともに、ムーティは広範なオーケストラ曲レパートリーをシカゴにもたらすだろう。それは、彼の膨大なディスコグラフィが証明していることである。
彼は、ベートーベン、ブラームス、シューベルト、シューマンそしてチャイコフスキーの交響曲を全曲録音している。ハイドン、モーツァルト、ブルックナーや、シカゴ響にとって中心的なレパートリーである他の独墺作品について、数多く指揮している。たとえ、マーラーがムーティの関心の度合に不満を述べたとしても、作品に選択がみられるだけのことである。生存している指揮者で、Giovanni PergolesiからBerioに至るまで、これほど広範にイタリア音楽を聴衆に提供した指揮者はいない。彼はオーケストラの音楽上の伝統にきっとうまくあてはまるはずだ。
我々は、フィラデルフィアでと同様、コンサート形式のオペラがシカゴのオーケストラ・ホールに戻ってくるよう、ムーティに期待することができる。彼の20世紀レパートリーは一般に考えられているよりも広い。Hindemith、Dallapiccola、Petrassi、Ligeti、Britten、 Shostakovichの音楽の演奏に非常に優れ、広く称賛されている。現代音楽についての嗜好はバレンボイムよりもかなり包括的だ。同様に、バレンボイムのプログラミングに不満だったあるブロガーが考察しているように、ムーティはElliott Carterを演奏しない。
ムーティは、スコアだけしか許さない、厳格な解釈者として有名である。そのように一般化された形容では、全体像からは程遠い。彼は、共演している歌手が、いくつかのアリアにおいて書かれていない音符を挿入するのを止めさせることで有名だが、マエストロは決してすべてをcome scritto 書かれているとおりにするほど、ペダンティックではない。柔軟性をもってというのが彼のアプローチにおける鍵である。
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