マエストロ・ムーティとフィルハーモニア管のヴェルディ レクイエム評を紹介します。
マエストロのこの作品の演奏は来日公演でしか聴いたことがなく、昨年のフリットリの絶唱は別にして、スカラ座来日公演でアグネス・バルツァが歌ったときの演奏が、いちばん印象に残っています。
ただ、いつまでたっても、マエストロ・アッバードとフレーニの来日公演での素晴らしさが心から消えません...。
2007年3月16日 The Times 紙
Verdi Requiem
ウェストミンスター大聖堂の新ビザンチン様式による素晴らしいネーブほど、宗教合唱音楽の傑作リストの中で最もはでやかなメロドラマである、ヴェルディ《レクイエム》を演奏するのに荘厳な環境がありうるだろうか。
巨大な太鼓をぴしゃりと打った音が、雷鳴のひと鳴りのようにアーチをはねかえりまわった。ギャラリーの高いところに位置した"Dies Irae"のトランペットは、本当に、天からつんざくように鳴り渡る招集ラッパの如く響いた。なるほど、反響音は"Sanctus"と"Libera Me"の速いポリフォニーをぼんやりとさせがちだった。しかし、同じ雰囲気が、たとえば、オープニングのような合唱のピアニッシモの瞬間を無限に思わせるほどにまで、あの巨大で暗い天井のいりくんだくぼみへもち上げ、支えていた。
それはめでたい晩だった。フィルハーモニア合唱団の50周年を印し付けるガラ・コンサートで、ぎっしり埋まった聴衆とプリンス・オブ・ウェールズ(これゆえに、おそらく、異常なまでの身体スキャニングや持ち物検査が多数の警官を登場させて実行され、開始が20分遅れた)に向かって演奏された。
この合唱団はEMIのプロデューサーWalter Leggeによって創設され、その結果、彼の花形指揮者リストは合唱曲を録音することができたのだが、実際、本当に、クレンペラーやジュリーニのような指揮者の下で、合唱団は素晴らしいディスクを制作した(特にジュリーニのヴェルディ《レクイエム》)。そして下り坂がやってきた。
最近、いい状態に回復した。もっとも、合唱団の誕生パーティでよくないものに気づいた。50人の若いプロの歌い手たちの寄せ集めの合唱団(the "Philharmonia Voices")がいて、ランクが引き上げられたのは当然だったのだが。
それでも、両隊列の結合は身の毛のよだつような音を生み出した。そして、リッカルド・ムーティが最高のドラマを手にかける作品がひとつあるとしたら、それがこれである。彼の演奏の進み方は申し分なかった。そのコントロールは厳然としていた。そして、人のサイズを超えるこの条件環境の中においてさえ、それが超越していればいるほど、なおさらいっそう、心によりそうように感じられる演奏の瞬間に、こまやかさを引き出すことができていた。
フィルハーモニア管は大方はうまく演奏していた。バイオリンのきわどい、あるクライマックスは例外だったが。ソリストたちがもっと堂々としていれば、ということだけが願いだった。Olga Borodinaには何も言うことはない。最高の状態で、荘厳に満ちた豊潤さと力が、彼女の声域の高域から低域のすべてに備わっていた。このロシアのメゾは大聖堂の外にいるすべての人のために歌っていた。
しかし、彼女の同胞Tatiana Serjanは神経質で、フィナーレ近くのソプラノの重要なソロでは迫力を欠いていた。ベテランのテノール、ジュゼッペ・サッバティーニの声の音色は乾ききって響いた。もっとも、その芸術性と専心ぶりは称賛に値した。
しかしながら、私は若いフィンランドのバスPetri Lindroosが気に入った。声に興味をそそるスラブ的な色合いがあり、大事なときには声量もあった。
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