44 posts categorized "追悼・偲ぶ"

Monday, 31 December 2007

ストレーレルの思い出(2)

マエストロ・ムーティがストレーレルを偲んでいるインタビューの残りの部分(一部)を紹介します。

2007年12月15日 Corriere della Sera
«Il mio Strehler »

最も貴重な思い出は手紙である。
「《ファルスタッフ》上演の後、《アイーダ》のためにしばしば会いました。私のところに彼から、ナイルについての本が持ちこまれました。ナイルの世界や砂漠、空の写真が載っていました。彼はシンプルで、何もないタイプの《アイーダ》を望んでいました(黄金もなく、大道具もないタペストリーによる《アイーダ》)。そこでは主演者達の魂が主役で、時と、どこまでも続く地平線の空間があるだけです。サバンナの典型的な夕暮れの絵も送られてきました。空はストレーレルによくあるブルーが暮れていっているもので、暗闇の影がところどころに見えます。亡くなる2ヶ月前にはこんな表題のついた手紙をもらいました。『我々が決して上演できない《アイーダ》のために』はたして、死を予感したものだったのかどうか。この手紙を読むと、今でも胸がつまります。」

激論になったことはありますか。
「芸術上のことではありませんでした。何度か歌手達について口をはさみ、もうひとりの中心人物になっていました。指揮台で腕が4本動いているようなもので、彼には腕は2本で十分だとわかってもらいました。」

ヴィスコンティ、ストレーレル、ロンコーニ。歌劇場における彼らの演出出現の意義は何でしたか。
「De Chirico と Maccari が、Francesco Sicilianiによってフィレンツェに招かれたのを別にすれば、当時まではスペイン、フランス、ドイツ、そして東欧の演出家の独壇場でした。しかしながら、独創性・活気・メランコリー・イタリアの素晴らしい美的センスといったものを備えたインスピレーションを歌劇場にもちこみながら、ヨーロッパ文化と関係を持たせたのが、この3人の偉大な名前でした。これまで、たくさんの重要な演出家達とオペラを検討してきました。1970年代には、フィレンツェ歌劇場にイタリアではじめてVitezのような演出家を招き、そして、《オテロ》をJancsoと上演しました。」

ストレーレルがミラノのピッコロ劇場を去ったことは議論をよびました。彼の長きにわたる協力者Nina Vinchi は、ミラノは彼を横柄に扱ったと言い、政治家達を不適格だと告発した。
「当然の言い分です。ストレーレルはミラノに大いに貢献しました。ミラノは彼にほとんど寛容ではありませんでした。」

彼の傑作はモーツァルトですか。
「私との《ファルスタッフ》の演出とアッバードとの《シモン・ボッカネグラ》の演出が、基準となる二つです。けれども、確かに、モーツァルトは彼の最高峰でした。」

人間としてのストレーレルは?
「気分屋で、人好きがして、子供のように純真で、無邪気な面を持っていました。その伝説からは外れていて、本質的には傷つきやすい人でした。私達は、いつも互いに好意を持っていました。」

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Sunday, 30 December 2007

ストレーレルの思い出(1)

没後10周年を迎えたストレーレルについて、マエストロ・ムーティが語っている記事を紹介します。
マエストロとストレーレルが一緒に写っている有名な写真は、マエストロのオフィシャル・ウェッブサイトにも載っています。

Riccardo Muti Official Website
Immagini
Riccardo Muti e gli ospiti
Il regista Giorgio Strehler
http://www.riccardomuti.com/gallerie.aspx

2007年12月15日 Corriere della Sera
«Il mio Strehler »

ジョルジョ・ストレーレルは10年前のクリスマスの晩に亡くなった。リッカルド・ムーティ(今夜はラベンナでチマローザ《ドン・カランドリーノの帰郷》を上演)が、18日火曜日にローマのValleで自分のオーケストラ、ケルビーニ管と開くコンサートは、ストレーレル崇拝者達による記念行事の頂点である。プログラムはPorporaの”Salve Regina”と Pergolesiの” Stabat Mater” で、歌手は Barbara Frittoli と Monica Bacelliである。
「私は、舞台では美のキングであったこの芸術家のために、ナポリ派音楽の二つの作品を考えました。純粋な美しさを備えている音楽で、外向的ではなく、名人的なところのある音楽です。」

ムーティとストレーレルはスカラ座で三つの上演を実現させた。1981年にモーツァルト《フィガロの結婚》、次に1987年にモーツァルト《ドン・ジョバンニ》、最後に1993年にヴェルディ《ファルスタッフ》。
マエストロ・ムーティ、二人はどんなふうに仕事をしましたか。
「指揮者と演出家の共同作業としてこうあるべきであろう、と思われるような最高のものでした。《フィガロの結婚》の写真で、客席で隣あって座っているのを写したものがあります。音楽のリハーサル、舞台稽古の二つはひとつになっていました。演出家は指揮者になり、またその逆もありました。彼は歌手を啓発していました。歌手達は最終目的を成し遂げるために、この二人によって稽古をつけられていたのです。こういうことはもはや起こりえません。非常に稀有なことです。」

リハーサルでは双子であり続けました。細かく気を配るムーティ、細心の注意を払うストレーレル。
「ひとつの言葉に20分間こだわりかねない人でした。かつらがふさわしくないと顔を曇らせ、照明のカットが熟慮された結果のものでないと顔をしかめていました。私は成長を助けられました。彼は、普遍性をもった美というものへの敬意を世の中に教えました。現在我々は、アルプスの向こう側ドイツによる、鈍重で、いつも重々しく、陰鬱な演出をしばしば崇拝しています。」

スカラ座開幕公演におけるワーグナー上演を指しているのですか。
「いいえ、シェローはフランス人です。ドイツ人演出家のことを言ったのです。」

でも、テレビで上演を観たでしょう?
「いいえ、不可能でした。12月7日はミュンヘンでコンサートの指揮をしていました。全く別の仕事で忙しかったのです。」

12月7日はあなたにとって特別の味わいがありましたか。
「私にとって全く重要ではありませんでした。それどころか、何年も、次のようなことをして、何の疑いもなくいつも論議を投げかけていました。夜会服やスパンコールのパレードのような、勲章をひけらかすような類いのパレードのような12月7日は、音楽とは何の関係もなく、廃止されるべきだと主張していたのです。12月7日にはミラノ市民にスカラ座を開放したらいいでしょう。今私はこのように最高にいい状態です。1968年から音楽監督に就いてきましたが、みずからの自由を喜んでいます。」

ストレーレルに戻りますが、彼から何を学びましたか。
「たくさんのことを学びました。既に身についているはずのことについても学びました。素晴らしいナポリ方言があるので、私が俳優や演出家になれると彼は言ったのです。おそらく、彼は指揮者になれると私が彼に言うことを、期待していたのでしょう。」

目を閉じて、彼の銀色の髪を思い出すと...
「ストレーレルの家でナイトガウンを着て彼と再検討しました。彼は演じながら、《ドン・ジョバンニ》についての想いを語っていました。それはひとつの舞台でした。何時間もそれを聞き続けることができました。ジョルジョはいつも不満足そうでした。非公開のゲネ・プロが終わり、私は指揮台の後ろのドアを開いて、客席にいる彼に近づきました。彼は頭を揺らせて、私の肩に手を置きました。顔つきは憂鬱そうで、憤懣やるかたない様子でした。『ねえ、リッカルド、我々の《ドン・ジョバンニ》は不十分だ。』そして、悪魔のような顔つきに変わりました。『でも、誰もこうは上演しないだろう!』そうです、まさにこういう人間であり、芸術家でした。」

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Thursday, 20 December 2007

ナポリターノ大統領との写真

マエストロ・ムーティは、ストレーレル没後10年を記念するコンサートをローマで指揮しましたが、プライベートに聴きにきていたナポリターノ大統領夫妻がマエストロに感動を伝えている写真が、今日のピアチェンツァの新聞に大きく載っていました。

2007年12月20日 Liberta'
E a Roma il maestro dirige un commosso omaggio a Strehler, presente il presidente Napolitano

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18日のコンサート

18日にマエストロ・ムーティとケルビーニ管によって、ローマで行われたストレーレルを偲ぶコンサートについて、昨日のローマの新聞が報じていました。

マエストロのサイトでも記事の一部が報じられています。
新聞記事によれば、ナポリターノ大統領もプライベートで聴きにきていたそうです。
聴衆は熱烈な拍手を送り、アンコールを求めましたが、コンサートの趣旨から、マエストロは、もちろん応じなかったとのこと。

コンサートが始まる前に、マエストロとストレーレルがスカラ座で《フィガロの結婚》を上演した際に、リハーサルで撮られた二人の写真が舞台に投影され、ストレーレルの妻で女優のJonassonが、ストレーレルが亡くなった直後にマエストロが書いた追悼の言葉の最後の部分を読んだそうです。

2007年12月19日 Il Messaggero
Muti, omaggio d’autore a Strehler

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Wednesday, 19 December 2007

ストレーレルにふさわしい音楽

18日にマエストロ・ムーティは、ローマでストレーレルを偲ぶコンサートをケルビーニ管と開いていますが、ポルポラとペルゴレージの作品を選んだ理由をこのように述べています。

「ナポリ派音楽の二つの作品を考えました。ジョルジョ・ストレーレルは劇場では美の王でしたから、そのような芸術家のためには、外向的なものではなく、真の、純粋な美を備えた、名人的なナポリ派音楽の世界の音楽を考えたのです。」

2007年12月18日 Liberta'
La "Cherubini" con Muti a Roma in onore a Strehler

マエストロはマルタでも同じ作品を同じキャストで演奏していて、フリットリが、パバロッティがこの世を去ろうとしているときにこのように美しい作品を演奏したことの神秘、不思議さを語っていたのを、思い出します。

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Sunday, 16 December 2007

ストレーレル

マエストロ・ムーティとストレーレルは《フィガロの結婚》、《ドン・ジョバンニ》、《ファルスタッフ》でスカラ座で共演し、《アイーダ》も構想に入っていました。
そのストレーレルとマエストロに関する記事、マエストロへのインタビューが15日、3紙に載りました。
時間がなくて今は紹介しきれませんが、年末にまとめて。

2007年12月15日 Corriere della Sera
Il mio Strehler

2007年12月15日 la Repubblica
Strehler, così il grande innovatore divide ancora Roma e Milano

2007年12月15日 Il Messaggero
Muti
Il mio futuro a Roma

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Wednesday, 05 December 2007

ストレーレルへのオマージュ

マエストロ・ムーティとケルビーニ管の12月18日のコンサートは、ストレーレルへのオマージュであることが報じられています。

Piccolo Teatro創設60周年、ストレーレル没後10周年を記念して、Piccolo TeatroとTeatro Valleでストレーレルに関する催しが行われます。
マエストロのコンサートもその一環で、Teatro Valleで行われます。プログラムは11月のパドヴァ、ピアチェンツァと同じです。

ANSA通信の写真(資料写真?)でマエストロが手にしている本はわたしも持っていますが、マエストロのストレーレルに捧げる言葉が序言として載っています。

2007年12月4日 ANSA
Piccolo: Roma, anniversari Strehler
http://www.ansa.it/site/notizie/awnplus/musica/news/2007-12-04_104150473.html

2007年12月4日 Apcom
TEATRO/ OMAGGIO A STREHLER,IL 'PICCOLO' SBARCA AL 'VALLE' DI ROMA

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Wednesday, 12 September 2007

フリットリのサイトの言葉

フリットリのサイトには、マルタでの公演のニュースが載っていましたが、11日に、パバロッティへの文が追加されました。

素晴らしい演奏として長く記憶に残る演奏だと書かれていますが、5日という、まさにパバロッティが息をひきとろうかという頃に、彼と何度も共演したマエストロ・ムーティがペルゴレージの作品を選んで演奏したことの、予言性、神秘さ、不思議さに、言及しています。
演奏の素晴らしさに、さらに、神秘さが加わり、いっそう心に残るものになった、ということなのでしょう。

フリットリのサイトの心遣いに胸を打たれた朝でした。

Barbara Frittoli
News

11/09/2007 La Valletta(Malta) : Porpora e Pergolesi in un'abbraccio di magiche melodie.

http://www.frittolibarbara.com/cms/index.asp

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Saturday, 08 September 2007

棺の前で黙祷

今日のスタンパ紙によれば、昨晩モデナのドゥオーモを訪れたマエストロ・ムーティとクリスティナさんは、パバロッティのなきがらの安置所を訪れ、棺の前で黙祷したそうです。

2007年9月8日 La Stampa 紙
L’Italia rende onore al suo Re Pavarotti

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昨晩遅くパバロッティと別れ

マエストロ・ムーティは昨晩遅く、亡くなったパバロッティの元を訪れたそうです。

2007年9月8日 l'Unita
Pavarotti, 50mila per l'addio Modena si prepara ai funerali
Napolitano: «Ha reso onore all'Italia»

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モデナを訪れる

マエストロ・ムーティが今日9時、パバロッティへの弔意のためにモデナを訪れるそうです。

ゼッフィレッリがマエストロとパバロッティのスカラ座《ドン・カルロ》公演に関して、二人を比較して、マエストロを非難しています。昨日の報道です。このようなものにとりあう必要は全くありません。マエストロがどのような人かは、パバロッティを悼むその言葉を読めば十分に伝わってきます。

2007年9月7日 APcom
PAVAROTTI/ MUTI RENDE OMAGGIO AL TENORE DOMANI ALLE NOVE
Visita del direttore d'orchestra alla camera ardente

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パバロッティからの手紙

昨日のラベンナの新聞は、フォルリーでのコンサートで、マエストロ・ムーティとパバロッティが笑顔で手をとりあって、互いを称賛している大きな写真を載せています。

クリスティナさんが来年のラベンナ音楽祭でパバロッティ追悼を検討していることが、この記事でも語られています。
彼女は、去年の冬、パバロッティから心のこもった手紙を受け取ったとここで語っています。それは、これからもマエストロ夫妻の思い出に残り、人生で大切なものとして所持していくことになるだろう、とのことです。

また、1995年12月22日のフォルリーでのコンサートについても記述があります。ラベンナ音楽祭との共同によるもので、6000人の観衆が集まり、パバロッティはこれだけのために、合衆国でのツアーの最中にコンコルドでやってきたそうです。

2007年9月7日 Il Resto del Carlino紙
Al porto cantò sotto la pioggia Quel recital trionfale alla Rocca
La grande eco del concerto per beneficenza con Muti

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パバロッティを悼む(4)

ニューヨークから、出演料なしのコンサートのためにかけつけたパバロッティを称賛するマエストロ・ムーティの言葉は、今日のCorsera 紙などでも、コンサートの写真とともに紹介されています。同紙の記事も追って紹介します。

2007年9月7日 Corriere della Sera 紙
Muti: altro che «divo», era un uomo schietto e generoso

コンサートの写真は、ここでも見られます。クリックすると大きくなります。

ANSA, SUI PALCOSCENICI DI TUTTO IL MONDO/FOTO
http://www.ansa.it/opencms/export/site/notizie/rubriche/inlavorazione
/visualizza_new.html_101002683.html

Il Mattino紙が、そのときのことについてのマエストロの言葉を簡潔に紹介しています。

2007年9月7日 Il Mattino 紙
Muti e la sua «carica umana»

「パバロッティを失って、卓越した声と素晴らしい芸術家が我々から奪われただけでなく、ひとつの個性、二人といない重要な人物が奪われたのは、明らかです。」「私は彼とほぼ40年来の知り合いでした。それは1969年の《清教徒》という歴史的な上演から始まりました。キャストには素晴らしいMirella Freniもいて、私はRAIのオーケストラを指揮しました。その後、出会いは何度も新たに重ねられ、そこでは彼の秀でた人間的中身が明らかにされました。妻と私とが慈善コンサートを主催して彼を招いたときのことです。それはフォルリーにある、若者の復帰を目的とした組織のためのものでした。 パバロッティはニューヨークからコンコルドで矢のようにかけつけ、1リラたりとも要求せず、メディアの前に立つことにも関心がありませんでした。これもルチアーノ・パバロッティだったのです。」

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Friday, 07 September 2007

Gavazzeniとの論争

パバロッティが1978年のアレーナでGavazzeni指揮の《トロバトーレ》に出演した際、例の"Pira"で最後の高音を歌いました。
ちょうど当時は、マエストロ・ムーティがフィレンツェで《トロバトーレ》を上演していた頃で、マエストロもアレーナに聴きにきていました。マエストロはもちろん、楽譜にない音だから、という理由で自分の上演では歌わせていません。
演奏後の晩餐会で二人の指揮者は、この高音をめぐって互いの主張を繰り広げたそうです。

なお、Gavazzeniのスカラ座での追悼コンサートは、マエストロが敬愛をこめて指揮しています。

2007年9月7日 L'Arena紙
«Era il più grande, più di Carreras e Domingo»

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パバロッティを悼む(3)

来年のラベンナ音楽祭では、クリスティナさんがパバロッティの在りし日を想う気持ちもあり、彼の冥福を祈る催しがあるようです。
パバロッティが1995年12月22日に、フォルリーのPala Fiera でマエストロ・ムーティのピアノ伴奏によるコンサートを開いたのは、Saduranoのコミュニティに貢献するためであり、連帯の気持ちから出た企画だったとのことです。

2007年9月7日 Ravenna Notizie
LA MORTE DI PAVAROTTI/1. Il ricordo del concerto al porto. Il Festival celebrerà il tenore

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パバロッティを悼む(2)

レプッブリカ紙には、マエストロ・ムーティがパバロッティの死を悼む文が載っています。

彼とすぐにわかる声に、まず触れています。

また、マエストロは、1969年のローマ(RAIのオーケストラ)での《清教徒》に始まり、フィラデルフィアでの《道化師》、マエストロのフィラデルフィアでのさよならコンサート(フィラデルフィア管のファンの方のご好意でこの映像を観ることができ、本当に、感謝しています)、スカラ座での《ドン・カルロ》、ヴェルディ レクイエムといった、パバロッティとの共演を振り返っています。

さらに、マルタの新聞でも語っていたましたが、パバロッティがクリスティナさんの招聘を受けて、わざわざニューヨークからやってきて、ギャラも受け取らず、マエストロのピアノの伴奏で歌ったコンサートのことにも触れ、その得がたい人格を惜しんでいます。

追って、訳します。

2007年9月7日 la Repubblica 紙
Con quel canto travolgeva tutti

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パバロッティを悼む(1)

マルタの新聞が、マルタでの演奏会を終えてラベンナに戻ったマエストロ・ムーティから、パバロッティを悼む言葉を聞いています。

マエストロはパバロッティを、前世紀における最も「抜きん出た」芸術家のひとりだとみなしています。マエストロの元へは、各国のメディアからパバロッティへの追悼の言葉を求める電話が殺到しているとのことです。1969年に始まるいくつもの共演があったからです。

「彼の声は素晴らしかっただけでなく、彼の声だとしっかりわかるだけのものを持っていました。通りでその声を聴けば、すぐにパバロッティだとわかる、そういう声でした!間違えようがありませんでした!」

マエストロ・ムーティはパバロッティの寛大さを回想しています。

「1995年のことですが、助けを必要とする若い人たちのために、ニューヨークから飛んできてくれました。ピアノを弾く私に、全く無料で従ってくれたのです。」「パバロッティとともに、我々の時代における最もカリスマ的で心の広い人物が消え去りました。」

2007年9月7日 The Times of Malta
Luciano Pavarotti An irreplaceable superstar - Joseph Calleja

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カルーソーの後、最も偉大なテノール

マエストロ・ムーティがパバロッティの死を残念に思い、カルーソーの後、最も偉大なイタリアのテノールだと悼んだことが、スペインで報じられています。

2007年9月6日Notimex
Llora Italia muerte de Pavarotti, el mundo envía sus condolencias.

また、素晴らしい芸術家で、二人といない重要人物だった、とも語っています。

2007年9月6日 Del Teatro
Anche l'Onu ricorda Big Luciano

ANSA通信の追悼記事には、マエストロがピアノで伴奏している写真もあります。

2007年9月6日 ANSA
ADDIO PAVAROTTI, UNA VITA MERAVIGLIOSA PER LA MUSICA
http://www.ansa.it/opencms/export/site/visualizza_fdg.html_101120049.html

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Thursday, 06 September 2007

パバロッティ、亡くなる

パバロッティがイタリア時間の今朝早朝、すい臓がんで亡くなったことが報じられています。

マエストロ・ムーティとは、レコーディングをはじめ、コンサートやオペラでも共演しています。
マエストロの追悼の言葉も追って出てくるでしょう。

あまりにあっけなくて、呆然としてしまいました。
ご冥福をお祈りします。

マエストロはとてもとてもご健康ですが、くれぐれもお気をつけて。

2007年9月6日 The Philadelphia Inquirer
Luciano Pavarotti dead at 71

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Sunday, 29 April 2007

ロストロポヴィチが示した友情

昨日のIl Mattino紙が、ロストロポヴィチが示したマエストロ・ムーティへの友情について、次のように、あらめて紹介していました。

ムーティは彼をこう偲んだ。「我々の時代における最も傑出した人物のひとりでした。」ムーティの論議を巻き起こしたスカラ座辞任のあと、スカラ・フィルのUKツアーでムーティに代わって指揮するよう依頼されたが、ロストロポヴィチは拒否した。「モスクワで私が冷遇されていた頃、オイストラフとリヒテルが私への友情からしたように、困難なときにある友人への友情の気持から、私は拒否したのです。」と語っていた。

2007年4月28日Il Mattino 紙
Muti gli dedica «Orfeo» Il cordoglio di Gorbaciov

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ロストロポヴィチへの追悼の言葉

28日のいくつかのイタリアの新聞が、ロストロポヴィチを追悼するマエストロ・ムーティの言葉を紹介しています。そこでも、マエストロ・ムーティがスカラ座を辞任した後に彼が見せた、マエストロへの友情の気持が報じられています。スカラ・フィルのUKツアーを、マエストロにかわって引き受けることを断った際のことです。

2007年4月28日 Il Giornale 紙
Riccardo Muti: «Un grande artista in difesa della fratellanza»

「我々の時代における最も傑出した人物のひとりです。偉大な音楽家であるだけでなく、友情と自由を常に粘り強く護ってきた人でした。彼の素晴らしい音楽解釈にはいつも魅了されていました。」ロストロポヴィチはフィレンツェの名誉市民だが、ムーティとフィレンツェ五月音楽祭は、今夜演奏する《オルフェオとエウリディーチェ》初日を彼に捧げる。

Lo piange Riccardo Muti: «Una delle figure più straordinarie del nostro tempo. Il grande artista era una cosa sola con l’uomo sempre in strenua difesa della fratellanza e della libertà. Sono sempre stato affascinato dalle sue formidabili idee musicali». Il direttore d’orchestra e il Maggio Musicale fiorentino (Rostropovich era cittadino onorario di Firenze) gli dedicano questa sera la prima di «Orfeo ed Euridice» di Gluck.

2007年4月28日 Corriere della Sera 紙
Pollini: due volte insieme, ma niente politica

「私はとても親しい友人を失くしてしまったことにもなります。音楽家であるだけでなく、平和と友情、自由を粘り強く求め続けるという、市民・人間としての強い熱意をもった人でした。」ムーティはロストロポヴィチから友情を表した行為を見せられていた。スカラ座と緊迫した関係にあった頃、ロストロポヴィチは彼に代わって指揮することを拒んだのである。

「Slavaが崩壊したベルリンの壁の前でチェロを演奏したときのことが忘れられません。非常に親しい友人であった人も失くしてしまいました。」

E il Maggio Musicale Fiorentino stasera dedicherà a Rostropovich la «prima» dell'Orfeo e Euridice di Gluck: Riccardo Muti prima dell'inizio lo ricorderà al pubblico dal podio. «Io — dice il maestro Muti — perdo anche un amico carissimo. Il musicista e l'uomo erano una cosa sola, con l'intenso impegno umano e civile in una strenua ricerca della pace, della fratellanza e della libertà». Muti ebbe un gesto di solidarietà da Rostropovich, nei giorni delle tensioni scaligere, Rostropovich rifiutò di sostituirlo.

Muti
Non potrò mai dimenticare Slava con il suo violoncello di fronte al muro di Berlino in pezzi. Perdo anche un amico carissimo.

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Saturday, 28 April 2007

マエストロの追悼の言葉

AFP通信が音楽家たちのロストロポヴィチへの追悼の言葉を報じていて、マエストロ・ムーティの言葉もあります。

偉大な音楽家の死去は我々の時代の音楽と文化にとって喪失であること、偉大な音楽家であるとともに、平和、友情、自由を倦むことなく求め続けることに献身してきた指揮者であるとして、マエストロは、Slava(ロストロポヴィチの愛称)が崩壊したベルリンの壁の前で演奏したことは決して忘れられない、と語っています。

2007年4月27日 AFP
Dépêche AFP
Musiciens et responsables politiques rendent hommage à Rostropovitch

http://www.france24.com/france24Public/fr/administration/article-afp.html?id=070427191925.1szevw20&cat=culture

マエストロがスカラ座を辞去したとき、スカラ・フィルのUKツアーについて、マエストロにかわってロストロポヴィチが指揮することが検討されましたが、彼は、マエストロへの友情から断っています。この記事はここでも紹介しましたけれども、とても感動的な記事でした。
フィレンツェでロストロポヴィチへの追悼を行う、という報道を読み、マエストロのサイトにメールで、このときの感動と感謝をあらためて伝えました。

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Monday, 12 March 2007

Corsera 紙記者亡くなる

一昨日来、ショックを受けています。
マエストロ・ムーティについていつも真摯でいい記事を書いていたCorsera 紙女性記者Laura Dubiniが、亡くなったからです。ここのところ署名記事がなく(ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭の記事も彼女ではありませんでした)、どうしたのだろう、と思っていました。
このニュースブログでも、この女性記者の記事をいくつも紹介しています。単なる読者としてですが、メールを出してマエストロの記事についての感激を伝えたこともありました。

葬儀は今日行われ、スカラ座のオーケストラが彼女のために演奏するとのこと。

そして、スカラ座音楽監督に就任した頃からの知り合いだったという彼女について、マエストロが寄稿しています。
彼女が行きたいと望んでいたロンドンでのヴェルディ レクイエム公演を、その約束どおり、彼女に捧げる、と書いています。

心からご冥福をお祈りします。

2007年3月11日 Corriere della Sera 紙
Voleva venire a Londra Ora le dedico il concerto

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Monday, 25 July 2005

音楽現代誌 8月号

音楽現代誌8月号はクライバー没後1周年を特集しています。その中に、マエストロ・ムーティが昨年11月5日にクライバーのお墓を訪れて、花を捧げている写真が載っていました。

音楽現代誌 2005年8月号
クライバー記念館開館と資料寄付のお願い

マエストロが、7月のクライバーへのオマージュのためのコンサート(ラベンナ音楽祭)で披露したエピソードは、6月のMilanesiana でも語っていたことですが、今春出た本に載っている対談の中でも、少し詳しく語っています。
それによれば、クライバーがクラリネット奏者にピアーノ、ピアーノと要求したのは、マエストロが見た彼のリハーサル・ビデオの中でです。1970年代にシュツットガルトのオーケストラと行った《こうもり》序曲のリハーサルだとのこと。

L'arte di Riccardo Muti e la Musa platonica
Bompiani, marzo 2005
Coversazione coclusiva con Riccardo Muti

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Wednesday, 13 July 2005

Cappuccilli 亡くなる

12日のANSA通信によれば、Piero Cappuccilli が亡くなりました。マエストロ・ムーティとの《アイーダ》のディスクは永遠の名盤です。安らかにお眠りください。

2005-07-12 14:06 ANSA 通信
E' morto il baritono Piero Cappuccilli, aveva 78 anni
Ultimi mesi le sue condizioni fisiche erano peggiorate

(ANSAweb) - TRIESTE, 12 LUG - Il baritono Piero Cappuccilli, 78 anni, e' morto a Trieste, sua citta' natale, dove si trovava per un periodo di riposo. Ne ha dato notizia la figlia. Cappuccilli, che aveva esordito al Nuovo di Milano nel 1956, aveva cantato fino al 1992. Memorabili le sue interpretazioni nel Simon Boccanegra, Rigoletto e Macbeth in 36 anni di carriera che lo aveva visto cantare nei principali teatri del mondo.Dal 1992 Cappuccilli si era dedicato all' insegnamento. Le sue condizioni fisiche erano peggiorate nei mesi scorsi. (ANSAweb)

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Monday, 11 July 2005

クライバーのお墓参り

マエストロ・ムーティが昨年11月にクライバーのお墓を訪れている写真について教えていただきました。ありがとうございました。

http://www.litija.net/konjsica/konjsica06.html

いまさら紹介するまでもないことですが、クライバーのことでしたら、この方に、そして、このサイトへ。

http://www.thrsw.com/index.html

Erich & Carlos Kleiber page

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Sunday, 10 July 2005

クライバーへのオマージュ

7日に行われたマエストロ・ムーティの、クライバーへオマージュを捧げたコンサートについての記事を紹介します。

2005年7月9日付 la Gazzetta del Mezzogiorno 紙

赤いバラの花束が指揮台に立てかけられ、Pala De André の暗闇の中で白い照明によって照らし出された。ベートーベンの第四交響曲の冒頭が広い会場の静寂を破った。カルロス・クライバー指揮の録音である。亡くなってから1年、リッカルド・ムーティによるコンサートが、ゆかりのラベンナ音楽祭でクライバーに捧げられた。感動に驚きが加わった。ロンドンでのテロリズムによる卑怯な企てがもたらした大量殺人への驚愕である。赤いバラはこのようにクライバーのためのものであるが、けれどもまた、今や我々の生活を血塗られたものにしているテロリズムのすべての犠牲者のためのものでもある。彼らのために1分間の静寂が持たれた。その後、音楽が、美と詩、平安によって作られうるような別の世界を表した。「我々はチュニジアから戻ったばかりです。そこでは、文化を乗り越えて人々の間に友愛の橋を築く意図に感動しました。」モルフェッタ出身のマエストロは言った。「けれども、再び邪悪な行為に向かい合うことになりました。しかし、我々は、希望を捨てないし、音楽を演奏し続けていきます。」それから、友人だったカルロス・クライバーの思い出に言葉を向けた。「内気な人間で、とても素晴らしい指揮者でした。彼の演奏は苦悩に満ちていましたが、また、苦悩から解き放たれる歓喜にも満ちていました。」「私達は、1981年にスカラ座で《フィガロの結婚》のリハーサルをしている間に知り合いました。」ムーティは回想した。「そのときに、彼からピチカートの秘訣は何かをたずねられました。私達は何年かつきあい、誠実な友人になり、性格の違いを尊重しあう友人になりました。彼は多くの様々な文化が融合した存在でしたし、私はより一層地中海的に育ってきました。」そして、言い足した。「優美さと権威の混ざった人でした。けれども、オーケストラからは求めていたものをいつも得ていました。」(以下略)

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Saturday, 09 July 2005

ロンドンの犠牲者のための静寂

7日に行われた、マエストロ・ムーティによるクライバーへオマージュを捧げたコンサートについて短い記事が出ました。二人の写真が添えられています(クリックすると大きくなります)。

http://www.lagazzettadelmezzogiorno.it/quotidiano/gazzetta_edicolanavSf.asp?IDCatGOL=672&IDNotizia=284861&Edizione=1&Pagina=27&DataPubb=20050709

2005年7月9日付 la Gazzetta del Mezzogiorno 紙より

A Ravenna omaggio a Kleber ed alle vittime di Londra

Muti, il terrore non ferma la civiltà della musica

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Monday, 04 July 2005

クライバーへのオマージュ

7日にラベンナ音楽祭で行われる、クライバーへオマージュを捧げたマエストロ・ムーティによるコンサートについて、同音楽祭のサイトにニュースが載りました。
ブラームスの交響曲第4番の出だしがどう鳴るのかわからない、というクライバーの言葉が書かれていました。

E di nuovo, come ad ogni sua apparizione, si compì il miracolo: fin dall'imprevedibile colore di quel "levare" della Quarta di Brahms: "non so mai come verrà quel primo suono", diceva.

2005年7月1日付 ラベンナ音楽祭ニュース
OMAGGIO A KLEIBER DI RICCARDO MUTI

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Friday, 17 June 2005

ジュリーニに捧げられた16日の演奏会

16日のマエストロ・ムーティとバイエルン放送響の演奏会について、その成功が簡単に報じられていました。大成功に終わり、ホールは嵐のような拍手喝采と Bravo の叫び声に満たされたそうです。
なお、演奏前に亡くなったジュリーニに黙祷が捧げられ、また、演奏会もジュリーニに捧げられました。

2006年6月17日07:57 NETZEITUNG.DE より

Muti in München gefeiert
Erstmals seit seinem Abschied als Chefdirigent der Scala ist Riccardo Muti nach München gekommen. Für seinen Auftritt mit dem BR-Symphonieorchester erhielt er langen Applaus.

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スカラ座のジュリーニ追悼

亡くなったジュリーニの追悼を、スカラ座が17日12時から公開で行います。指揮はMyung-Whun Chung 、曲はベートーベンの英雄交響曲から葬送。

http://www.teatroallascala.org/scala/webx/LaScala/IT/News/CommemorazioneCarloMariaGiulini/index.html

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Thursday, 16 June 2005

ジュリーニ追悼

14日に亡くなったジュリーニを悼む、マエストロ・ムーティとマエストロ・アッバードの言葉が載っていました。

2005年6月16日 Tgcom より
Abbado:"Giulini? Padre spirituale"
Il ricordo del direttore d'orchestra

クラウディオ・アッバードはフェッラーラ生まれのモーツァルト管の演奏会を、亡くなった偉大な指揮者ジュリーニの思い出に捧げた。「ミラノ音楽院時代、彼は私たち学生を自宅に招いて、さらに貴重なものを与えてくれました。注意と助言です。私にとっては、心の師、父でした。」

リッカルド・ムーティは彼についてこう言い表した。「深い精神性をもち、音楽へ稀にみるほど献身的な人で、一緒に仕事をしたすべての人たちから非常に愛され、尊敬された音楽家でした。ジュリーニはオーケストラ指揮者の歴史上、そして、20世紀の演奏家の中で最高位にある人だと思います。トスカニーニやデ・サバタの高弟を体現して、イタリア音楽のレパートリーで模範となるほど重要だっただけでなく、彼の精神や天性の雄弁さが知性をもって十分に表現していた、ロマン派のレパートリーにおいても重要な人でした。」

2005年6月16日付 la Repubblica 紙より
Muti: "Era il grande erede di Toscanini e De Sabata"
IL RICORDO

リッカルド・ムーティはこう言った。「スカラ座およびその音楽家たちとは深い友情でつながれた関係にあり、その歴史において、最も重要で愛された人間のひとりとされていました。深い愛情と尊敬をこめて、私は昨年、彼の90歳の誕生日祝いに際して、《ファルスタッフ》の上演とスカラ・フィルの演奏会をジュリーニに捧げました。彼は多くのシーズンをスカラ・フィル、スカラ座と仕事をしていました。」

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