フィラ管新シーズンには登場せず
フィラデルフィア管の新シーズンが発表になりました。残念ながら、マエストロ・ムーティの演奏会はありません。
The Philadelphia Orchestra
Orchestra Announces 2008-2009 Season
http://www.philorch.org/index2.html
フィラデルフィア管の新シーズンが発表になりました。残念ながら、マエストロ・ムーティの演奏会はありません。
The Philadelphia Orchestra
Orchestra Announces 2008-2009 Season
http://www.philorch.org/index2.html
マエストロ・ムーティがルドルフ・ゼルキン、フィラデルフィア管と、ナポリ地震のための救済コンサートを行ったことは、以前紹介しました。プログラムが判明しました。
1980年のナポリ地震については、マエストロのご親族も影響を受けた、と報じられていましたが、このコンサートではスピーチなどは行われず、音楽だけが演奏されたとのことです。プログラムがすべてを語っています。
1981年2月17日(火) フィラデルフィア管、アカデミー・オブ・ミュージック
ヴェルディ 歌劇《運命の力》序曲
ベートーベン ピアノ協奏曲第5番《皇帝》
チャイコフスキー 交響曲第6番《悲愴》
1981年2月19日 Philadelphia Inquirer
MUTI JOINS WITH SERKIN IN BENEFIT
ドイツの音楽ライターによるマエストロ・ムーティのインタビューを読んで、久しぶりにマエストロとフィラデルフィア管の《さまよえるオランダ人》のテープを聴きました。1986年10月9日、11日、14日にコンサート形式で演奏されたものです。
手元にある当時の新聞記事には、次のようなマエストロの短いコメントが載っています。
ムーティは《オランダ人》をワーグナーの作品中、最もイタリア的なものに属しているとみなしていた。「ワーグナーの叙事詩は、各場面が境目なく連続してまじりあっているような、より一層長いタペストリーとなっているものですが、このオペラは、合唱、アリア、各場面から構成されています。おそらく、こういう構成が、ヴェルディの初期中期の作品に見られるナンバー区分による構成と類似していることも、要因のひとつでしょう。」
Philadelphia Daily News 紙 1986年10月9日
MUTI PICKS 'DUTCHMAN' FOR THE OPERA CONCERT
マエストロ・ムーティとフィラデルフィア管の1984年ヨーロッパ・ツアーのうち、イタリア・ツアーの部分をとりあげた記事の続きを紹介します。
このツアーの演奏曲は次のとおりです。
バルトーク 二つの映像
マーラー 交響曲第1番
フランク 交響曲二短調
ヒンデミット 弦楽と金管のための協奏音楽
シューベルト グレイト交響曲
プロコフィエフ 組曲《ロメオとジュリエット》
ファリャ 《三角帽子》組曲2
チャイコフスキー 交響曲第4番
Attenzione誌 1984年10月号
Bravissimo!
フィレンツェはフィラデルフィアの姉妹都市だ。そして、1970年にフィレンツェ五月音楽祭のオペラ上演のリハーサルをしているリッカルド・ムーティを、長期にわたってフィラデルフィア管の指揮者を務めたユージン・オーマンディが聴いたのは、ここのテアトロ・コムナーレにおいてであった。それは、その若い音楽家をフィラデルフィアに客演させ、現在の地位に導いた出来事だった。ムーティが戻ってきた晩はやや小さなホールは満員で、手すりの中には、立見の客が2列になっていた。聴衆の反応は非常によく、オーケストラがステージを去るという仕草を見せるまで、何度も繰り返されたカーテンコールに喝采を送っていた。コンサートの後、ムーティは引きつったような顔と疲れ切った様子で、あっというまにラベンナに連れ去られた。フィレンツェから75マイルほど離れていて、クリスティーナや子供達とめったにないオフを過ごすためだった。ヴィヴォリVivoliのおいしいアイスクリームで精をつけ、オーケストラはピサを経て次のコンサート旅程の地へ飛んだ。トリノである。
ピエモンテの首都にある乾いた音響のTeatro Regioは、元々建てられていた場所にある。最初の建物は1937年に焼け落ちてしまったが、1896年2月1日にプッチーニ《ラ・ボエーム》が初演された。曲の合間にムーティは楽屋裏にひょいと入り込み、見回して、最近の《ボエーム》に使われたカフェ・モミュスのセットに気づいた。メンバーの中には、自分達の受けた喝采が劇場の音響によって、枕を一斉にたたいているように聴こえたことに気づいた者たちもいたが、拍手喝采はフィレンツェでと同じくらいの間続いた。
トリノからミラノへの列車内でのなごやかなポーカー・ゲームでは、芝居っ気たっぷりなプレーヤー達がベットを3000にレイズしたり、4000がコールされたりするのが見られた。立見している者たちは、賭けがリラで行われているのに気づくまでは、この大きな浪費に驚いたことだろう。この陽気に見える雰囲気にもかかわらず、スカラ座で演奏することの懸念が、その底には強く渦巻いていた。ほとんどの演奏達にとって、クールなミラノっ子達は打ち勝つべき聴衆だったからだ。
マエストロ・ムーティとフィラデルフィア管の1984年ヨーロッパツアーを取り上げた記事の、続きを紹介します。
ツアー中の大変さが想像を絶するものであることはよく知っているつもりですが、ベストを尽くそうとするマエストロ・ムーティとオーケストラにはいつもいつも心から感謝しています。
Attenzione 誌 1984年10月号
Bravissimo!
ムーティはローマのアカデミア・サンタ・チェチリアにおいて、過去最も若い演奏家として栄誉を受けた。「永遠の都」での歓迎振りはナポリと同じくらいにぎやかだった。現代的なAuditorio Pioに登場したオーケストラ一行は、満員のホールで演奏した。ファン達は両壁際に立ち、最前列を埋めたファン達は弦楽器奏者達の弓にほとんど触れることができるほどだった。両サイドエプロンに座った人達は、ムーティの表情やジェスチャーを見ることができた。フランクの二短調交響曲とプロコフィエフの《ロメオとジュリエット》組曲を彼が指揮した際のしかめっつらや、眉をつりあげた様子、指揮棒での突き、ジャブ、ソロ奏者を突然直視する姿といったものである。 演奏が終わると、聴衆にまじめな顔つきを向ける前に、オーケストラに向かって大きな笑顔を見せていた。アンコールであるヴェルディの序曲は、今度は、聴衆を座席に釘付けにした。演奏が終わり、ロックコンサートでのように、女性ファンたちの大きな波がコントラバス奏者Neil Courtneyを踏みつけんばかりになり、彼は本能的に自分の1540年製楽器を護ろうと動いたほどだった。
ツアーの間、オーケストラのメンバー達の会話はコンサートホールの音響、レストラン、バーゲン、美術館といったことに傾きがちだった。この順番は彼らが観光している短い間にちょっと聞き取ったものによった。彼らは、自分達の旅程とイタリアの生活様式があわないことに気づいていた。そのバスと列車はどの都市にもいつも午後3時ごろに到着し、開いているレストランや店を見つけるには遅すぎた。レストランが開く7時には、彼らはちょうどバスに乗ってコンサートホールに向かうところだった。さらに、最適の状態で連続して演奏しようとすることは、常に存在する、言葉にならない緊張感を生み出していた。彼らのマエストロの誇らしげな笑顔は、聴衆からもらう勲章と同じくらいの重みがあったのである。
マエストロ・ムーティとフィラデルフィア管の、1984年ヨーロッパツアーに関する記事の続きを紹介します。
マエストロはいつでも、今でも、ナポリではヒーローです!
手元の資料によれば、1984年のツアー日程は次のとおりです。ラベルの左手のための協奏曲を弾くはずだったリヒテルは、キャンセルしています。
1984年5月17日、18日 ミュンヒェン
1984年5月19日、20日 ウィーン
1984年5月21日、22日 ナポリ
1984年5月23日 ローマ
1984年5月25日 フィレンツェ
1984年5月27日 トリノ
1984年5月28日 ミラノ
1984年5月29日 ベローナ
1984年5月30日 ロンドン
1984年6月1日 ベルリン
1984年6月2日 パリ
また、1984年以前のマエストロのナポリ公演については、手元の資料では次のとおりです。1980年のナポリ地震については、フィラデルフィアでも慈善コンサートを開いています(1981年2月17日)。
1968年10月19日 ナポリ秋季音楽祭、RAI響
1978年4月14日 フィルハーモニア管
1982年4月8日 フィルハーモニア管
Attenzione 誌 1984年10月号
Bravissimo!
ムーティとフィラデルフィア管のツアーは、ミュンヒェンで2回、ウィーンで2回行うことから始まった。ピアニストのスビャトスラフ・リヒテルとのミュンヒェンを始めとする5回の共演は、彼の病気のためにキャンセルせざるを得なかったが、オーケストラのメンバーたちは、5月21日のナポリ公演での溢れんばかりの歓迎振りを楽しみにしていた。実際、報告が伝わってきていて、ボックスオフィスでコンサートのチケットを求める人たちの騒動を統制するために、警察の出動が要請されたという。オーケストラのナポリ滞在中、ムーティは、18世紀に建てられたナポリの堂々たる歌劇場テアトロ・サン・カルロを、イタリア最古の歌劇場であり、ロッシーニとドニゼッティがかつて最高の状態を過ごした場所であることを、大いに誇りにした。彼はすべての人に次のことを思い出させた。「かつてはあらゆる指揮者がオペラ出身だったのです。」
最初の晩には、ナポリ地区のムーティ・ファミリーが35人、妻のクリスティーナ、父、二人の兄弟がエレガントに盛装した聴衆の中にいた。一方、オーケストラの家族たちの中には、気後れするようなイタリアの劇場マナーにまごついている人たちもいた。二つあり、ひとつは、チケットの値段が券面から省かれていて、チケットの価値は需要と入手可能性によって変わるということ。もうひとつは、チケットには通路表示、列表示、座席表示がなくて、当然、意欲的な案内係へのチップが必要なこと。
アメリカのオーケストラは、個々にばらばらとステージに現れて、楽器を弾いて音響を確かめるのに対して、ヨーロッパのオーケストラは隊列をなして一斉に登場する。合唱団のやり方である。フィラデルフィア管はホールに登場したとき、赤と白の花が楽譜台にあるのに気づいた。ステージ裏では、好意を寄せる人たちと、ムーティが短時間談笑していた。明らかに彼は寛いでいた。
ムーティが自分の町に戻って指揮したのは4回だけで、前回の公演は1980年地震救済のための慈善コンサートだった。コンサートゴーアーのひとりは、ムーティのいちばん最近のナポリ登場への期待を、こう言うことで強調した。「彼が戻ってくるためには、また地震が必要なのかもしれないと我々は思っていました。」ムーティの登場は大きな反応を巻き起こしたが、いつものように、彼は即座に聴衆に背を向けた。それは、あたかも、オーケストラの素晴らしさを証明する仕事にただちにとりかかりたいかのようだった。作品が終わるごとに、ムーティは、自分が聴衆のほうを向いて歓呼を受けるよりも前に、オーケストラに起立するよう求めていた。
オーケストラとともに成果を共有するということを強調しようとしたのは、今回がはじめてではなかった。フィラデルフィアで彼は、オーケストラのメンバー達にこう言ったことがあった。「思い出してください。拍子をとることは楽器を上手に演奏するよりは容易なのです。」鮮やかに演奏されたコンサートは激しく興奮した喝采で終わり、やがて、短いアンコールによって鎮まった。天井桟敷で高ぶった誰かがこう叫んだ。「戻ってきてくれて、ありがとう」そして、ムーティが彼らしくなく(訳注:uncharacteristicallyが原語。マエストロはスカラ座でや最近は、アンコールの前などに聴衆となごやかなやりとりやスピーチを行うことが多いように思いますが)答えた。「私達を聴きにきてくれて感謝しています。オーケストラも同じ気持です。」
翌朝、ムーティと妻はホテル・エクセルシオールのロビーで客達の歓迎を受けた。二人が通りを横切って、ナポリ湾に突き出た要塞沿いをぶらぶら歩いていると、カメラマンたちが二人の一挙一動を写真に撮った。ムーティの顔があらゆる新聞に載り、すべてのレコード店のショーウィンドーを飾っていて、彼は音楽界のヒーローとして故郷に戻っていたのだった。
その晩、バルトーク、ヒンデミット、シューベルトのプログラム(訳注:バルトーク 二つの映像、ヒンデミット 弦楽と金管のための協奏音楽、シューベルト グレイト交響曲)を堪能した聴衆の構成は、前の晩に比べて、まじめなコンサートゴーアー達は多くなっていて、社交界の人たちは少なくなっていた。劇場を揺るがした狂乱の喝采を鎮めるかのように、ムーティが突然指揮棒をとって、管楽器の三つの不吉な音を導き、そして、それが繰り返され、沈黙の叫び声が出た。突然聴こえたあえぎが、ヴェルディの《運命の力》序曲における運命に苦しむメロディだとわかった。オーケストラがアンコールの最後の音を演奏したときには、聴衆は立ち上がっていた。喝采はオーケストラのメンバー達がステージを去った後も続いた。ムーティがこのオーケストラの有名な弦楽器セクションの椅子の間から現れ、天井桟敷に向かって手を振ったとき、彼は間違いなく、自分の運命の力を証明して見せたのだった。
マエストロ・ムーティとフィラデルフィア管の、1984年ヨーロッパ・ツアーをとりあげた記事(原文は英語)を紹介します。
この頃、マエストロはしばしば、オーケストラとの結びつきを結婚にたとえていて、イタリア人だからなのか?と苦笑させられていたのを、久しぶりに思い出しました。
Attenzione 誌 1984年10月号
Bravissimo!
その輝かしいキャリアの過程で、リッカルド・ムーティはおそらく、これまでに書かれたすべての交響曲を演奏したか、聴いたかしたと思われる。けれども、新しく任命されたスカラ座音楽監督を歓迎する、ミラノの聴衆から受けた喝采ほど甘美な響きは、かつて彼は聴いたことがないだろう。
指揮者リッカルド・ムーティは今年5月に故国イタリアを訪れたが、それは普通の旅行ではなかった。フィラデルフィア管を伴って、キャリアの若い頃に成功を収めた都市に戻ったムーティは、クラシックの演奏界で最も高位の贈り物を受けることが決まっていた。ミラノの名高いスカラ座の音楽監督である。訪れる6ヶ国のうち、そのひとつであるイタリア・ツアーの7演奏会は売り切れ、20日間のヨーロッパツアーの目玉だった。一方、フィラデルフィア管のメンバー達(彼らにとっては1955年以来4度目のイタリア訪問)は、自分達の43歳のマエストロにとって、これらのコンサートが特別な意味を持っていることに気づいていた。
イタリアに向かって出発する前、ムーティは、ツアーが持つ個人的な面については控えめに語るように努めていた。人懐っこくて、しばしば、いたずらっ子のように見える微笑で中断されたとはいえ、彼の鋭く率直な話し方は、その突き刺すような黒い瞳によって強められていた。「音楽はヨーロッパで生まれました。」とムーティは注意を促した。「そして、ヨーロッパの聴衆は手厳しいです。彼らは、ニュー・フィルハーモニア管と訪れた頃から私を知っていますし、フィラデルフィア管とのこの結婚、結びつきについて知りたがっています。私達のためにgrancassaバスドラムを鳴らす必要はありません。この結びつきが機能していることについて彼らを納得させることさえできれば、拍手を送ってくれるからです。」
「スカラ座は私がフィラデルフィア管を続けていることを嬉しく思っています。また、私がスカラ座を受け入れたことをフィラデルフィア管が喜んでくれるよう、私は望んでいます!アメリカの音楽監督は、プログラム、新しいメンバーのオーディション、独奏者、指揮者の招聘、そのほかたくさんの運営管理上の職分の、すべてについて責任を負います。けれども、イタリアの音楽監督は自分の上演についてだけ責任を負い(それは、私の場合は、二つの新プロダクションと《リゴレット》の再演ですが)、劇場全体の水準全般をチェックするだけです。フィラデルフィアで私がしなければならないことをスカラ座でやることは不可能でしょう。それでも、スカラ座での仕事は非常な激務になることでしょう。けれども、ひとりの女性と結婚することとは違って、この場合は、大西洋を渡って別の女性と懇意になる、というわけです。今や、他の歌劇場に行って仕事をする時間は、少なくなるでしょう。」1984年のシーズンでは、ムーティはフィラデルフィアを4回訪れ、30回のウィークエンドチクルスのうち、11回を指揮する。
5人兄弟の三男として、ムーティはナポリで生まれたが、青春時代をバーリに近いモルフェッタで過ごした。父の故郷であり、そこには家族がナポリに戻るまでいた。8歳でバイオリンを勉強し、13歳のときにピアノに切り替えた。音楽院での演奏会で指揮を依頼されて、はじめて、自分の特別な才能に気づいた。19歳でミラノのヴェルディ音楽院に入学し、そこではアルトゥーロ・トスカニーニと一緒に仕事をしていたAntonino Vottoに学び、Bruno Bettinelliに師事した。同じ音楽院の学生だった歌手Cristina Mazzavillaniは妻になった。二人は結局のところ彼女の故郷ラベンナに居を構え、娘Chiara13歳、息子Francesco14歳、Domenico5歳と現在もそこに暮らしている。
1967年、ヴェルディ音楽院卒業後2年たって、誰もが望んだGuido Cantelliコンクールに優勝し、フィレンツェ五月音楽祭で指揮する機会を得た。フィレンツェで毎年催される行事である。1969年から1980年までフィレンツェ五月音楽祭管の首席指揮者、音楽監督を務め、1972年から1982年までロンドンのフィルハーモニア管の音楽監督だった。偶然の一致なのだろうか、フィラデルフィア管は、ムーティの初期のキャリアにおいて傑出した役割を演じた、その同じ都市にツアーを行い、しかも、それと同じ舞台に立った。
マエストロ・ムーティとフィラデルフィア管が1984年に行ったヨーロッパ・ツアーのうち、イタリア・ツアーの部分をスケッチした記事をとても楽しく読みました。
イタリアに関する話題を載せているUSAの雑誌で、マエストロがカバーストーリーになっています。
マエストロのいたずらっぽくて、生き生きとしていて、黒く澄んだ瞳は、いつもいつも、本当に魅力的です!
スカラ座では、マエストロの師Vottoが楽屋を訪れ、マエストロとフィラデルフィア管のコンサートマスター、ノーマン・キャロルととも写真に納まっています。
フィラデルフィア管のメンバーたちは、早くからスカラ座を訪れ、ステージから空っぽの客席を眺めて、威厳に打たれている様子だったとのこと。アカデミー・オブ・ミュージックがスカラ座を模している、と言われてきたからだと、記事は書いています。
ナポリの様子は壮観でした。テアトロ・サン・カルロには、ナポリ及びその周辺にいるマエストロの親族35人、クリスティナさん、マエストロのお父さんとマエストロの二人の兄弟が聴きにきていたとのこと。
ナポリが誇る指揮者でありながら、なかなかナポリで公演してくれず、1984年のこの公演は1980年の地震被害者救済慈善コンサート以来で、マエストロに訪れてもらうためには、地震を起こすしかないか、とまでファンに言われていたことを、記事は紹介しています。
終演後、天井桟敷からThank you for coming back home.(戻ってきてくれて、ありがとう)と叫び声がとび、マエストロがそれに対して、I thank you for having us ,and so does the orchestra.(私達の演奏を聴いてくれてありがとう。オーケストラも同じ気持です)と答えた様子には、ああ、イタリアだ、と涙が出そうになるくらい嬉しくなりました。
(ちょうど、ミランがチャンピオンズ・リーグの決勝戦進出を決めた試合の感激を、ミラノのファンたちの熱狂ぶりと一緒に味わったばかりだったので)
このツアーについてマエストロは、フィラデルフィア管の素晴らしさをイタリアでも知ってもらいたい、と語っていて、聴衆はそれを十分に堪能し、大きな大きな成功に終わったことがこの記事からうかがわれます。
マエストロの言葉で、ああ、やはり、と思ったことがあります。
マエストロは聴衆の拍手に対して、自分が聴衆のほうを向いて応える前に、まずオーケストラのメンバー達を起立させ、その喝采を浴びせさせますけれども、その理由をメンバーたちにこう語っています。「思い起こしてほしいのですが、楽器をうまく演奏するよりも、拍子をとるほうが容易なのです。」
記事は、また、時間をみて紹介します。
Attenzione 誌 1984年10月号
Bravissimo!
フィラデルフィア管のサイトに、デュワの新ポスト就任のニュースが載りました。2011-2012シーズンまで続くとのこと。
また、今年の夏、音楽監督探しを正式な形で発足させるそうで、シカゴ響のように委員会を作って、その過程を公けにしていくのかもしれません。
2007年2月23日 The Philadelphia Orchestra News Release
CHARLES DUTOIT NAMED CHIEF CONDUCTOR AND ARTISTIC ADVISER OF THE PHILADELPHIA ORCHESTRA
オーマンディとフィラデルフィア管のファンの方が、マエストロ・ムーティのニューヨーク・フィル公演の様子を紹介していらっしゃいます。
デュトワとのつながりで、フィラデルフィア管への客演が実現すると嬉しいのですが。
フィラデルフィアの街でよく留学生に間違えられ、そうやって気軽に話しかけてくる雰囲気に驚いたことが思い出されます。
Fantastic Philadelphians
Memorandum
http://www5a.biglobe.ne.jp/~philorch/
2008年秋から、デュトワがフィラデルフィア管のchief conductor and artistic advisorという新しいポストに就任することが、昨朝、発表されたそうです。
でも、音楽監督ではなく、音楽監督探しは続く、とのことです。
2007年2月23日 Musical America
Philadelphia Names Dutoit Chief Conductor
Il Sole 24 Ore紙のディスクについているブックレットには、マエストロ・ムーティがフィラデルフィア管と喝采を受けている写真が、見開き2ページで載っています。
他に大きく載っているオーケストラの写真はケルビーニ管。
マエストロ・ムーティのフィラデルフィア管時代の記事をインターネットで読むのは、とても懐かしく、楽しいひとときです。
インターネットのなかった頃は、ブリティッシュ・カウンシルやアメリカン・センター・ライブラリーに通って記事を見つけるのが、大きな喜びでした。
かつて日本の音楽雑誌でも紹介され、随所で笑いながら読む一方で、あまり社交性があるとはいえなかった若いマエストロの気持ちを思い、心がきゅっと締めつけられてしまった記事を再び原文で読んでいて、こんな時間になってしまいました。
フィラデルフィア管の音楽監督としてシーズンを送りはじめたマエストロについて、その人柄やフィラデルフィアでの様子、オーケストラのメンバーや周囲の反応などを、メニューインとのリハーサル・コンサートのレポートとともに書いた記事です。
大好きなコンサートマスターだったノーマン・キャロルの、ある意味有名な言葉、妻は私が人生ではじめて男性に恋したと言っています、というマエストロへの敬意と愛情あふれる言葉もあります。
もちろん、記事は後で紹介します。
中に、今もマエストロはきっとこう思っているだろう、プーリアへ帰ってカステル・デル・モンテのそばで静かに夜空を見上げるときに、何が心に去来するのだろうか、と考えてしまった部分がありました。
...それでも今は、「スーペル・リッカルド!」と呼びかけて、楽しく応援したいです。
I don't need to look around. My home is in Ravenna. In a year, I can sleep in 200 beds, but I must have one that is mine.
(フィラデルフィアのアパートメントの素っ気ない室内について)
部屋の中を見回す必要はないのです。私の家はラベンナですから。1年に200ものベッドで寝ることでしょうが、自分だけのが必要なのです。
When I become old, if I am lucky to become old, I want to be Riccardo Muti who was born in Naples in 1941 and who had a life. When you are old, you are only with yourself. The past goes; what you have done disappears.
年老いたときには、幸運にも老齢を迎えることができたら、ですが、1941年にナポリで生まれ、その後の人生を送ったというリッカルド・ムーティでありたいと思います。年老いたら、自分そのものしかいないのです。過去は去っていきます。自分が成し遂げたことは消えてしまうのです。
1982年3月14日 The New York Times 紙
THE NEW PHILADELPHIA SOUND
Christoph Eschenbach が音楽監督を務める最後のシーズンとなる、フィラデルフィア管2007-2008シーズンが発表になっています。
フィラデルフィアの新聞掲載のスケジュールによれば、やはり、マエストロ・ムーティの登場はありません。昨秋、病気でキャンセルした後、依頼されているにもかかわらず、再登場を断っているとのことです。
2007年1月21日 Philadelphia Inquirer 紙
Passing the baton
マエストロ・ムーティのフィラデルフィア、シカゴ公演キャンセルは、大きな大きな落胆でした。健康上の理由で仕方がないこととはいえ、一挙に気持ちが沈んでしまいました。ウィーンとどちらへ聴きに行こうか迷い、ウィーンを選んだのですが...。10年以上も前、フィラデルフィアのキャンセルに遭った時の、失意の中の様々な面倒な手続きを想い出しています。
フィラデルフィアの新聞でマエストロのキャンセル報前の記事には、フィラ管の新しい音楽監督が決まるまで、マエストロがartistic adviser/principal guest conductorのようなポストを引き受けてくれることがありうるだろうか、というような夢、願望を書いているものもありましたが、ありえないだろうなあ、とため息をついてしまいました。
2006年11月2日 News of Delaware Country
Two orchestras wow at the Kimmel
シカゴ響のサイトには、マエストロ・ムーティのシカゴ、フィラデルフィア来演がキャンセルになったことが、ニュースとして載っています。
2006年10月30日 About the CSO
FOR IMMEDIATE RELEASE:
October 30, 2006
CONDUCTOR LUDOVIC MORLOT TO REPLACE RICCARDO MUTI FOR CSO SUBSCRIPTION PERFORMANCE ON FRIDAY, NOVEMBER 10 AT 8:00 PM
Mr. Muti to cancel Chicago appearances on November 9 & 10 due to illness
CSO cancels special non-subscription concert with Mr. Muti scheduled for Thursday, November 9
http://www.cso.org/main.taf?p=7,1,2,4,42
また、音楽ニュースでも、キャンセルが報じられています。
マエストロのマルタ訪問は25日、26日だったとそこでは紹介されています。
2006年10月31日 PlaybillArts
Neeme Järvi to Replace Riccardo Muti in This Week's Philadelphia Orchestra Concerts
マエストロ・ムーティは風邪が治らず、フィラデルフィア管とシカゴ響のコンサートをキャンセルしたと、今日のフィラデルフィアの新聞が報じています。
昨日、オーケストラ側に連絡があったそうです。
また、今後の来演契約もないとフィラ管側は言っているとのことです。
マエストロ、どうかお大事に。
2006年10月31日 Philadelphia Inquirer 紙
Muti cancels dates with orchestra
The maestro has the flu. He has rarely returned here since leaving as music director in 1992.
今日のフィラデルフィアの新聞が、エッシェンバッハの音楽監督辞任について報じています。
理由については、功績はいろいろあるけれども、彼の音楽スタイルにオーケストラが慣れることができなかった、ということをあげています。
エッシェンバッハは基金を起こし、演奏プログラムを開拓し、レコーディング契約を促進したけれども、オーケストラの多くのメンバーは彼のあわただしい到来にせきたてるような感じを覚え、しかも、彼の自在なテンポと流麗自発的な音楽作りといった、戦前のヨーロッパへの揺り戻しのようなやり方に、どこでもそれは抵抗にあいそうだったけれども、ことのほかオーケストラが慣れることができそうになかった、としています。
次期音楽監督については、いろいろ名前が挙がっています。
マエストロ・ムーティについては、とりあえず、今まで以上にフィラデルフィアで愛されているし、スカラ座を去ったことでスケジュールに余裕のあることから、フィラ管に時間をさいてくれるのではないか、としています。
でも、このクリティックが主張するのは、フィラ管にすべてを捧げてくれるような強いリーダーシップを持った音楽監督の必要性であり、ニューヨーク・フィルをかつての凋落から救ったマズアのような方針、I tell them that if you don't want to play for me, I'll go home.「私のために演奏してくれるのでなければ、帰ります。」です。
マズアの言葉はプライベートな会話でのものだとのことですが、すべての音楽監督に共通するものではないでしょうか。とてもいい言葉だと思いました。
マエストロ・ムーティがスカラ座を離れたこと、そして、11月にちょうどフィラ管を訪れることを、ハイティンクがドレスデンを離れてシカゴ響に時間を割けるようになったことのように、神の僥倖、天の配剤としているこの記事ですが、何かマエストロのコメントが聞かれるかもしれません。
シカゴ響とともにフィラ管もこんなに早く音楽監督探しをすることになるとは、指揮者の複数オーケストラ音楽監督就任が当たり前のような昨今、いい指揮者はなかなかいないものだということなのでしょうか。
2006年10月22日 Philadelphia Inquirer 紙
Minus a maestro: A long codaThe orchestra is losing Eschenbach and reprising its search for direction.
By David Patrick Stearns
Inquirer Music Critic
フィラデルフィア管音楽監督のエッシェンバッハが、2007-2008シーズン終了後、つまり、3年間の音楽監督期間終了後、フィラ管を離れることが、金曜日に発表されました。
オーケストラもエッシェンバッハも、その理由を明らかにしていません。
マエストロ・ムーティが同管を訪れる11月は、また騒がしいものになるかもしれません。
2006年10月20日AP通信
Christoph Eschenbach leaving Philadelphia Orchestra
Christoph Eschenbach is departing as musical director of the Philadelphia Orchestra after a brief three-year run, the conductor and the orchestra announced Friday.
(略)
He will remain conductor until the end of the 2007-08 season and will return for concerts, some of them in Europe, in January and February 2009.
(略)
Neither Eschenbach nor the orchestra gave a reason for the departure.
(略)
Several music critics, however, have been underwhelmed by his efforts. The Philadelphia Inquirer's Peter Dobrin, for example, wrote last month that the orchestra's board should not renew Eschenbach's contract.
マエストロ・ムーティが音楽監督を務めていたフィラデルフィア管のニュースは、いつも気がかりです。何度か訪れた街だし(アカデミー・オブ・ミュージックの佇まいがとても好きでした)、マエストロが再び客演するようになったこともあります。
今シーズンは、チェロの首席奏者がニューヨーク・フィルの準首席奏者から移ってきます。音楽監督のエッシェンバッハとしばしば共演していて、ソリスト、室内楽奏者としても活動しています。シャンハイ音楽院で修養を積み、ジュリアード音楽院を卒業している34歳のHai-Ye Niという女性奏者です。重要なポストですし、マエストロとのコンビネーションが楽しみです。
また、エッシェンバッハの音楽監督としての契約が来シーズン末で切れるので、フィラデルフィアのクリティックたちは音楽監督の話題にも触れています。
マエストロがここに音楽監督として戻ることはもうないと思いますが、 かつて音楽監督としてマエストロがそのクオリティの向上に努めた歴史あるオーケストラなのですから、いいオーケストラのままでいてほしいと心から思います。
フィラデルフィアの新聞のクリティックが、音楽監督のエッシェンバッハについて触れる中で、フィラ管をサソリにたとえていました。刺されてなるものかと、過去の音楽監督たちがどううまくつきあってきたかが書かれていて、とても面白く読みました。
オーマンディは先制攻撃、サバリッシュは威厳という防弾服を身につけ、マエストロ・ムーティは自分はどこでもひっぱりだこなんだぞ、という雰囲気を漂わせていた...。
このクリティックによれば、エッシェンバッハは謙虚すぎるようです。
Big Five orchestras are tough. I liken the Philadelphia Orchestra to a scorpion: It doesn't sting you every day, but the possibility is always there. Successful music directors have known how to sting preemptively (Ormandy), carry themselves with bulletproof dignity (Sawallisch), or project an air of being in great demand elsewhere (Riccardo Muti).
音楽監督のあり方、音楽監督論には、本当に興味をひかれます。
マエストロは、このまま、ずっと”無冠の帝王”を続けるのでしょうか。どの演奏でも真剣勝負のマエストロ・ムーティですが、音楽監督という大きな責任を負って極限の緊張感の中で奮闘するマエストロの姿もまた追ってみたい、と不謹慎なことも考えてしまっています。
ごめんなさい、マエストロ。
2006年9月12日 Philadelphia Inquirer 紙
Orchestra names Hai-Ye Ni principal cellist
2006年9月24日 Philadelphia Inquirer 紙
Keep him: His personal music-making is a treasure
By David Patrick Stearns
Inquirer Music Critic
フィラデルフィア管の9月21日付Eメールニュースによれば、同管の演奏をオンラインでダウンロードできるようになりました。
過去のライブ録音をリストに加えていくだけでなく、将来は、演奏会の数日後にダウンロードできるようになることも計画しているそうです。
マエストロ・ムーティについてもいくつか作品リストがあります。同管100周年記念CDからのものが主です。
2006年9月21日フィラデルフィア管Eメールニュース
Orchestra Announces Launch of Online Music Store
2006年9月21日 PlaybillArts
Philadelphia Orchestra Launches Online Music Store with Free Downloads of Beethoven's Fifth Symphony
The Philadelphia Orchestra Online Music Store
http://www.thephiladelphiaorchestra.com/default.asp
CONDUCTORS: Muti, Riccardo
Berlioz, Hector: Roman Carnival Overture, Op. 9 (19 Sep 1986) 放送録音
Berlioz, Hector: Roman Carnival Overture, Op. 9
The Philadelphia Orchestra, The Centennial Collection: Historic Broadcasts and Recordings, 1917-1998 (Oct 1999)
Britten, Benjamin: Four Sea Interludes, Op. 33a, from Peter Grimes
The Philadelphia Orchestra, The Centennial Collection: Historic Broadcasts and Recordings, 1917-1998 (Oct 1999)
Respighi, Ottorino: The Pines of Rome (5 Oct 1998) 録音
Respighi, Ottorino: The Pines of Rome
The Philadelphia Orchestra, The Centennial Collection: Historic Broadcasts and Recordings, 1917-1998 (Oct 1999)
Varèse, Edgar: Arcana
The Philadelphia Orchestra, The Centennial Collection: Historic Broadcasts and Recordings, 1917-1998 (Oct 1999)
Verdi, Giuseppe: Overture to I vespri siciliani
The Philadelphia Orchestra, The Centennial Collection: Historic Broadcasts and Recordings, 1917-1998 (Oct 1999)
今シーズンのフィラデルフィア管の演奏会26公演の一部あるいは全部が、合衆国国内ではNPR、WHYY-FMで放送される予定で、その契約は更新されるのではないか、とAP通信が報じています。
マエストロ・ムーティの来シーズンの公演も放送されるでしょうか。インターネットでも聴けると嬉しいのですが。
http://www.npr.org/programs/symphonycast/shows/schedule.html
2006年4月14日AP通信
Philly Orch Back on the Air
The Philadelphia Orchestra, which has lacked a regular presence on national radio for nearly a decade, will have a series of concerts on NPR.
All or part of 26 previously recorded concerts from the orchestra's 2005-06 season will be broadcast on the programs ``SymphonyCast'' and ``Performance Today.''
マエストロ・ムーティとウィーン・フィルが9日にアン・アーバーで公演を行うことについて、同地のニュース・サイトおよびミシガン大学の音楽協会University Musical Society (UMS)のサイトが、記事とプレスリリースを載せています。
上記両サイトによれば、ウィーン・フィルが同地を訪れるのは1956年以来で、50年ぶりとなります。
また、マエストロにとっては6回目の訪問となります。上記両資料によると、過去、フィラデルフィア管と1979年、1983年にMay Festivalに登場しています。
過去の演奏会は手元のフィラ管の資料によれば、1979年4月26日、27日(オール・ベートーベン・プロ、ピアノ:ラローチャ)、1983年4月27日、28日、29日(バイオリン:クレーメル、ピアノ:クリスチャン・ツィンマーマン)となっています。
http://www.ums.org/secondary/season/artist/artistpage.asp?pageid=307
2006年3月4日 The Ann Arbor News
Vienna calling
Philharmonic's trip to Ann Arbor is a noteworthy occasion
2006年2月6日 UMS プレスリリース
Vienna Philharmonic Concert Marks 50th Anniversary of Their Ann Arbor Debut
フィラデルフィア管の空席だったチューバ奏者が決まりました。20歳の女性奏者、Carol Jantsch です。フィラデルフィアの新聞が、ガラスの天井ならぬブラスの天井を突き破ったと報じていました。
オーケストラでフルタイムのチューバ奏者が女性である例はほとんどないそうです。前任者Paul Krzywickiは1972年から2005年まで在籍し、マエストロ・ムーティが音楽監督だった頃にももちろんいました。
彼女は、昨秋3週間、今月3週間の試験期間を終え、夏のオーケストラのコンサートに加わり、秋からフルに活動することになるそうです。今月フィラ管を振ったラトルが彼女の素晴らしさに気づき、ベルリン・フィルのオーディションに誘ったそうですが、彼女はCチューバ、ベルリン・フィルが欲しいのはBチューバとのこと。
彼女は音楽性はもちろん、身体的にも肺活量が全く男性に劣ることがなく、チューバをもって生まれたような人だそうです。まるでフルートのようにチューバを吹く、とエッシェンバッハは語っています。
フィラデルフィア管がマエストロ・ムーティと来日したとき、女性トランペッターが同行して結構話題になったことを思い出しました。
Carol Jantsch がマエストロの棒で演奏する日が楽しみです。
2006年2月26日 Philadelphia Inquirer 紙
She's breaking through the brass ceiling
Female tuba player is the Phila. Orchestra's newest addition.
マエストロ・ムーティとフィラデルフィア管のベートーベンの交響曲全曲ディスクについて、リベラ33さんがコメントを終えられました。ありがとうございました。
東芝EMIが全集のために作ったリーフレットには、「ムーティが拓く 新世紀のベートーベン!」とありました。
マエストロの第九をフィラデルフィアで聴けなかったことがいまだに悔やまれますが(スカラ座来日公演で大散財)、いつか、聴けるかな。
守口フィラデルフィア管弦楽団研究会
http://blog.livedoor.jp/ormandy/
(この記事に続きはありません)
マエストロ・ムーティとウィーン・フィルは北米ツアーでクリーブランドを訪れますが、過去の両者のクリーブランド訪問の記録をドイツの音楽ニュースサイトが報じていました。
まず、ウィーン・フィルについてですが、1956年11月がはじめての訪問なので、半世紀の歴史があることになり、追って1959年11月、1967年10月、2003年3月に訪れています。
また、マエストロ・ムーティがクリーブランドのSeverance Hallを訪れるのはこれが3度目で、最初が1980年10月にロンドンのフィルハーモニア管と、次が1990年5月にフィラデルフィア管です。
2006年2月22日 KLASSIK HEUTE, Aktuelle
Wiener Philharmoniker mit Riccardo Muti in Cleveland
なお、手元の資料ではマエストロのプログラムは次のとおりです。
フィルハーモニア管からもらった資料によれば、
1980年10月5日
モーツァルト 交響曲第41番
シューベルト 交響曲第9番(今の8番、グレイト)
また、フィラデルフィア管よりもらった資料によれば、
1990年5月19日
Rands: Le Tambourin Suite No.2
シューベルト 交響曲第3番
チャイコフスキー 交響曲第6番
フィラデルフィア管の2006-2007シーズンの詳しい内容が、同管のサイトに載っていました。
http://www.philorch.org/cgi-bin/lgcal.fcg?group=poa02;style=poa02e;file=poa02e_schedule.ttml
2006年11月2日、3日、4日20時 フィラデルフィア、フィラデルフィア管
Muti Returns
SCHUBERT Overture to Rosamunde
SCHUBERT Symphony No. 4 ("Tragic")
HINDEMITH Nobilissima visione
STRAUSS Death and Transfiguration
Verizon Hall
フィラデルフィア管のプレスリリースによれば、マエストロ・ムーティは11月2日~4日に演奏し、曲目はシューベルト ロザムンデ序曲、シューベルト 交響曲第4番、ヒンデミット 至高の幻想、R.シュトラウス 死と変容 となっています。ウィーン・フィルとの演奏とどう違うのか、楽しみです。
また、11月7日は特別な演奏会も予定されています。
いずれ、同管のサイトに載ることでしょう。
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