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Saturday, 12 December 2009

二つの異なる世界で演奏することの喜び

今日のイル・ジョルナーレ紙に、マエストロ・ムーティのインタビューが載っています。

シカゴとローマ、アメリカとイタリアという、二つの異なる世界でトップとして演奏する、自分をそういう二つの次元に分けるという考えにとても引き付けられている、と語るマエストロです。
14日に授与される、Musical America、 Musician of the Year 2010を、マエストロもインタビュアーも、その象徴とみなしていることがわかります。

ローマは永遠の都、カラカラで演奏するなんて、と言うマエストロは、やはり、ヨーロッパの人、地中海世界の人です。

2月のメトロポリタン歌劇場デビューでの大喝采が、待ち遠しいです(わたしは、とても行けそうにありませんが)。

シカゴでのプロジェクトでは、ヨーヨーマもマエストロを補佐するひとりのようで、二人のコラボレーションも楽しみです。

ひとつのところにはとどまっていられず、常に前進し、新しい世界に挑戦し、入っていこうとする一方で、過去の歴史、自分のルーツを見つめ、忘れない人。
本当にマエストロは魅力的です。

どこまでもついていけるよう、マエストロの見つめているものをわたしも見られるよう、これからも一生懸命勉強します!

インタビューのきちんとした紹介は、また後で。

2009年12月12日 Il Giornale
«Italia e America Suonare per due mondi è un divertimento»

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Thursday, 03 December 2009

ナポリ、プーリアへの想い

昨日のCorsera紙に、マエストロ・ムーティのインタビューが載っています。

プーリア、ナポリの頃を振りかえっていますが、ナポリ生まれのお母さんの刻印はキアラさんにあり、また、2歳になるお孫さんにもある、と語っています。
キアラさんは、これぞナポリ、といったマエストロのお母さん同様、厳しく、でも、やさしいキャラクター。お孫さんは、目は鋭いけれども、愉快なキャラクター。

マエストロはこれまでにも、何度もナポリ、プーリア時代のことを語っていますが、高校生の頃、数学で惨敗、というのには、思わず、笑みがこぼれてしまいました。
その頃の自分について、冗談を言うのが好きで、仏頂面などしていなかったし、ガリ勉でもなかった、と語っていますが、今のマエストロの姿から十分想像できる若者像です。

記事をずいぶんためていますが、年末に、是非、紹介したいです。

ナポリ音楽院に飾られているマエストロの肖像画が記事に添えられています。

2009年12月2日
Muti: «Essere napoletano fa la differenza»

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Monday, 23 November 2009

ロストロポーヴィチの祝杯攻撃

Corsera紙のマエストロ・ムーティへのインタビュー記事に、ロストロポーヴィチが登場していますが、思わず、くすり、と笑ってしまいました。

Musical Americaの賞Musicians of the Yearを彼も1987年に受けています。マエストロをRiccardockaと呼んだそうです。共演すると、会食好きの彼と祝杯が長く続き、マエストロもウォッカを勧められ、翌朝、ロストロポーヴィチは前夜の成功もあって、生彩を放っているのに、マエストロは地獄のような夜を過ごした、とのこと。

12月14日の授賞式には、マエストロはニューヨークへ行くようです。

2009年11月23日 Corriere della Sera
Muti: a Chicago porterò la classica tra gli emarginati

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受賞者との共演を振り返るマエストロ

今日のCorsera紙にマエストロ・ムーティのインタビューが載っています。

Musical Americaの「2010年の音楽家」にイタリア人としてはじめて選ばれたことから、その受賞者達との共演についても少し触れています。

また、ウィーン・フィルへの敬意についても語っています。

バーンスタインについて、写真の説明が誤っているのが気がかりです(記事本文によれば、マエストロのパリデビュー公演を聴きにきていたのは、バーンスタインではなく、ルビンシュタインです)。

(ちょっと熱があるので、具合が少しよくなったら、また記事を続けます)

2009年11月23日 Corriere della Sera
Muti: a Chicago porterò la classica tra gli emarginati

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Tuesday, 20 October 2009

マエストロへのインタビュー

シカゴのラジオ局がマエストロ・ムーティへのインタビューを放送しました。

わたしの接続状況では聞けませんでした。

http://viewfromhere.typepad.com/the_view_from_here/2009/10/my-radio-guest-tonight-riccardo-muti.html

Andrew Patner: The View from Here
2009年10月19日 My (radio) guest tonight -- Riccardo Muti

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Tuesday, 13 October 2009

ニーノ・ロータへの感謝

ニーノ・ロータが亡くなって30年、今年のローマ映画祭は彼をとりあげています。

今日のレプッブリカ紙には、マエストロ・ムーティがロータについて語り、感謝し、作曲家としての力量を称賛している記事が載っています。今こうしてあるのは、ロータのおかげ、という気持ちを語っています。

マエストロがピアノを専門に学び、音楽家になる道を開いてくれ、クリスティナさんとの結婚式を祝ってくれ(《アイーダ》からの《勝ちて帰れ》をピアノで弾いて、二人の夜を祝福してくれた)、そして、マエストロが彼のピアノ協奏曲をDavid Frayと演奏したことが、キアラさんとFrayの出会いを作り、ロータがまた新たな仲人となった、というようなことを語っています。

ロータのトロンボーン協奏曲はマエストロとウィーン・フィルの来日公演でも演奏されましたが、素晴らしい作品であることから、ウィーン・フィルの首席トロンボーン奏者自らが、その作品をプログラムに入れたい、と申し出てきた、という話も披露しています。

インタビューはまた追って紹介します。

わたしが特に好きなのは、ロータがマエストロの入学試験に立ち会ったとき、その時点のマエストロの実力に対してではなく、マエストロの将来の可能性を見込んで、10点満点をつけた、というエピソードです。
これまでに幾度となくマエストロの口から語られてきた話ですが、本当に素晴らしい眼力、慧眼でした。

2009年10月13日 la Repubblica
Muti: "Rota il mio maestro così diventai musicista"

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Monday, 12 October 2009

Petruzzelliへの想い(2)

マエストロ・ムーティがTeatro Petruzzelliについて語ったことの、残りの部分を紹介します。

マエストロと、モルフェッタ、ナポリとの絆の強さには、いつも深く深く感嘆します。
ティーレマンがインタビューで、日本は天照大神の国だから、と非常な興味を示したことに苦笑さえしてしまったわたしは、やはり、根なし草なのでしょうか。帰属意識を持てない者は不幸かもしれない、と、マエストロを深く知れば知るほど、思います。

また、『パンセ』を久しぶりにひもとかせてくれた、マエストロのインタビューでもありました。何のことはない、マエストロにとっては、機知に富んだオチでもあったのですが。

TEATRO segreto
Barbieri, 2009
60euro

1993年に聖ニコラ大聖堂でコンサートを開いた時、Petruzzelliが修復されないならば、バーリには戻らないだろう、と断言していました。今や、やり遂げましたよ、マエストロ。最初の感想はどのようなものでしたか。

「劇的な遅れだとしても、Petruzzelliの再生はバーリにとって、南イタリアにとって、この国にとって重要な事実と成ります。今は、特にいくつか望みを抱いています。私は、新しい劇場がうまく機能するよう、完成したものであるよう、願っています。そして、だから、最終的な形でのスタートであるよう、願っています。他に障害がなく、今後妨げになるものがなく、こけら落しの後閉鎖されるような危惧がない、ということです。イタリアはこの時点で17年来待っています。私達は皆、17年前から待っていたのです。間違いは、今の時点では許されないでしょう。嘲笑はバーリにはふさわしくないでしょう。」

Petruzzelliが本当にスタートできるためには、何が必要でしょうか。かつてあった状態に戻るには何が必要でしょうか。

「劇場は歴史をもった建物です。けれども、れんがや石は歴史を作りません。人間が作るのです。私はそのことについて、有名な指揮者達や偉大な演出家達、素晴らしい歌手達が、短い時間に献身的になることさえできれば、ということを意図しているのではありません。彼らが何か素晴らしいことを実現できればそれでいい、というのではありません。それでは卓越したことになりません。劇場の優秀さは、すぐれたオーケストラ、合唱団、バレエ団、技術部門の、日々の献身と仕事から生まれるのです。新しいPetruzzelliを創りながら、技術と芸術の両輪をともに最高の質にもっていくことができるような、そういう可能性を生みだすことも、私は大事にしていきたいと考えています。」

容易なことには見えません。

「本当に容易ではありません。根本的には、またもや、人間の問題です。支配人、芸術監督、そして、管理部門の全スタッフです。Petruzzelliの再生から始まって今後の歴史を書いていくという過酷な任務が、これらすべての人々にはあるのです。現代的な芸術を目標にすえ、世界的な芸術舞台の知識を備えているようなことは必須です。そうすることによってのみ、今日、何が最も興味深く革新的な舞台の提供であるかについて、非常に明確な考えを持つことが可能になる、と考えています。」

あなたは世界中で家族同然ですが、『何かを誰かに実証してみせなければならないモルフェッタ出身者』ということについて、今再び、どのように思いますか。

「南イタリア出身であるということは、常に、少なくとも最初に、何らかのことを実証してみせなければならない、ということを意味しています。私達の国では、北部のイタリアを後退させざるをえないといった類いの重荷に南イタリアがなっている、という考えが普及しています。現実には、私達は活力を持っていること、非常に優れた力を持っていることを実証してきました。南イタリア出身の人達は、どんな仕事をしている人であれ、世の中で非常に強い魅力を放っています。」

マエストロ、あなたの指揮は、心が勝っていますか、それとも、理性が勝っていますか?

「両者が戦っています。パスカルは書いています。『心には、理性が知らないところのそれ自身の道理がある』一方、私は両者の幸福な共存の可能性を信じています。両者に分かたれることはできないでしょう。プーリア人典型の理性と、ナポリ生まれ固有の情熱を、ひとつに結びつけています。」

あなたが持っているような素晴らしくて国際的なキャリアが、どうしてルーツとのつながりを強く持つことに対して、妨げにならないのですか?

「呼び戻されるのです。世界のどんなところにいても、モルフェッタの灯りが私を求めて心に浮かんでくるのです。」

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Sunday, 11 October 2009

Teatro Petruzzelliへの想い(1)

Teatro Petruzzelliの舞台写真を収めた本の巻頭に載っている、マエストロ・ムーティへのインタビューを紹介します。

この本によれば、マエストロがTeatro Petruzzelliで演奏したのは2回です。
最初は、フィルハーモニア管と1982年4月9日で、マエストロにとって初めてのバーリ公演でした。
2回目はスカラ・フィルと1989年12月11日で、ガンについて研究している、イタリアの団体のためのものでした。

インタビューは、2008年のウィーン・フィル来日公演からイタリアに戻った頃、ラベンナの自宅で休息をとっている頃に、行われたようです。

TEATRO segreto
Barbieri, 2009
60euro

「私の原点はプーリア、フェデリコ2世の地にあります。古風で素朴な土地柄で、私はそこの気質や特質を自分のものとしました。いろいろな地を巡りまわっていますが、原点は常にプーリアにあり、私の世界と人生の基礎になっています。」

モルフェッタ生まれの父は医師だったが、特に音楽マニアで、《トロバトーレ》や《リゴレット》のアリアを諳んじていた。「市民のブラスバンドを聴きながら覚えたのです。父がそのようでなかったら、私も別の人生を歩んでいたことでしょう。」「たぶん、弁護士になっていたでしょう。あるいは、宇宙飛行士(笑い)。いずれにせよ、何か高く飛ばせてくれるものに、天体を探索させてくれるものに、です。」

早くから音楽への適性があったのですね、マエストロ?
「2歳のときに、はじめて《アイーダ》を観ました。劇場に足を踏み入れたのは、そのときが最初でした。何と、その劇場がPetruzzelliだったのです。両親に連れられて行きました。運転手の腕に抱かれて、最後列に座っていたと両親は言っていました。すぐに私を外に連れて出られるようにするためです。けれども、私は上演中ずっと、がまんできなさそうな様子を見せなかった、とのことでした。」

その《アイーダ》以来、あなたをPetruzzelliに結びつける強い感情があった?
「私にとって、非常に大切な意味を持ち続けてきた劇場です。青春時代と、私が音楽的にできあがっていく過程の最初の頃はすべて、バーリとそこでの文化的生活に結びついていました。二つの重要なエピソードが想い出されます。ひとつは、Teatro Piccinniで、Napoleone Annovazziが指揮した《オテロ》を観ました。14歳の時でした。想い起こしてください、私はザルツブルクで《オテロ》を指揮したばかりなのですよ。それをバーリではじめて観たというのは、興味深いことです。それから、もう一つのエピソードは、今度はPetruzzelliで、アルトゥール・ルービンシュタインのリサイタルに強い印象を抱きました。私は青年期で、このピアノの巨匠に、雷に打たれたかのようになりました。」

バーリはあなたにとって、ニーノ・ロータも意味します。
「私の人生と目標を根本的に変えることを決定づけた出会いです。ニーノ・ロータと知り合ったとき、音楽院の1年生で、ナポリへ、そして、その後ミラノへ移る前のことでした。文化の激動時期でした。バーリの音楽生活について、私がその内側から享受することを許してくれたのが、まさしく彼でした。私は、《フィレンツェの麦わら帽子》を観た最初の人間の一人です。ロータが1945年に書いたオペラで、その後、世界中で成功のうちに上演されています。そして、私の音楽的な可能性を確信してよい、確信すべきだ、と告げてくれたのがニーノ・ロータその人でした。その時までは、音楽とは、人格を決定づけるための補完的な要素だと考えていました。それが父の教えでした。けれども、音楽を演奏することが職業だとは、人生の動機だとは、一度も考えたことがありませんでした。」

観客から演奏者へ、つまり、Petruzzelliの客席から指揮台へは、どれくらいの年がたっていたのですか。
「長かったです。バーリでの最初のコンサートは、1982年フィルハーモニア管とでした。フィルハーモニア管を何年間か指揮していました。故郷でのはじめてのコンサートでした。感激した、と認めます。2度目はスカラ・フィルと1989年にでした。その後火災が起き、17年間の長い沈黙があり、バーリにとってもイタリアにとっても、それは名誉なことではありませんでした。」

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Sunday, 20 September 2009

フリットリのアイーダはメータと

フリットリのインタビューをとても興味深く読みました。

彼女のアイーダ・デビューはバイエルンではなく、メータの棒でフィレンツェで、とのことです。

マエストロ・ムーティについても語っています。
はじめて《コシ・ファン・トゥッテ》のオーディションで歌ったとき、彼女の歌唱はあまりにモーツァルト的だ、とマエストロはコメントしたとか。つまり、厚化粧で不自然でよそよそしくて...ドイツ的だということ。
彼女はマエストロとモーツァルトを歌うのが大好きだとのこと。
ありがとう、バルバラ!
マエストロにとってモーツァルトの《コシ》は、本当にイタリア寄りの作品ですから。

1年でわたしの仕事の環境が激変し、去年、楽しくクラシックの来日公演に行けたことが、遠い過去のことのようになってしまいました。フリットリの来日リサイタルだけでも行きたかったのですが。

2009年9月19日
UNA VOCE POCO FA BLOG
OPERÍSTICO MUSICAL
Intervista a Barbara Frittoli

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Friday, 04 September 2009

首席指揮者

マエストロ・ムーティのラクイラでのリハーサルが始まりました。

ローマ歌劇場でのタイトルdirettore dell’Opera di Romaについて、こう語っています。

イタリアの歌劇場には、支配人(総裁)、音楽監督、芸術監督という三つの役職があるけれども、自分はそのどれにもあてはまらない、英語で言うならば、首席指揮者だ。

いくつかインタビューが出ているので、また紹介します。

2009年9月4日 Il Messaggero
Riccardo Muti: «L'Opera di Roma può tornare grande»

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