282 posts categorized "インタビュー Interview"

Monday, 07 July 2008

シチリアとのつながり

昨日のシチリアの新聞に、マエストロ・ムーティのインタビューが載っています。Mazara del Valloでの7日のコンサートを控えてのものです。
演奏する作品の意義、シチリアでのコンサート履歴、シチリアとのつながり、南イタリアの問題をどう思うか、などについてたずねられています。

マエストロはそのキャリアのはじめに、テアトロ・ベッリーニでオーケストラを指揮して、ナポリの作曲家Parodiの作品とドボルザークの《新世界》交響曲を指揮している、と語っています。昨年もケルビーニ管とカターニアで演奏していて、訪れるたびに聴衆の熱い歓迎を受けて嬉しく思っているそうです。
また、クリスティナさんがPantelleriaに土地を購入していて、二人にとって楽園のような離宮(buen retiro、記者の質問にあった言葉)のような地にもなっているようです。
南イタリアの問題を解決は(自分の権限・責務によってではなく)政治によるものだけれども、シチリアには素晴らしい文化があり、ベッリーニやSollimaをはじめとする文化人もいるし、自然も素晴らしい、そして、尊敬してやまないフェデリコ二世ゆかりの地だと称賛しています。
以前にも語っていましたが、南イタリアは地勢的にオリエントへの窓口になっている、とその利点に触れています。

インタビューの紹介はまた後で。

7月7日という、日本では星に願いをかける七夕に、平和と友情を願うコンサートが漁火と星空の下で開かれるとは、なんと素晴らしいことでしょうか。

公演のご成功をお祈りしています。
そして、マエストロの幸せも!

2008年7月6日 La Sicilia
Riccardo Muti dirige l'Orchestra e il Coro del Maggio fiorentino

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Sunday, 06 July 2008

新しい音楽監督の抱負(3)

1ヵ月あいてしまいましたが、マエストロ・ムーティのシカゴ響音楽監督就任について分析している、シカゴの新聞記事の残りの部分を紹介します。

マエストロはとてもとてもポジティブな人で、将来をしっかり見据えながらも、いつもそこに期待を抱いています。こういう人が一国のリーダーだったら、と思うのですが、トニー・ブレアでその想いは裏切られたことがあります。やはり、マエストロ・ムーティには、音楽を表現する人でいてほしい。

2008年6月8日 Chicago Tribune
Dreams and visions of the CSO's new maestro
Muti wants to take the orchestra to city neighborhoods
By John von Rhein

バレンボイムは、音楽監督に指名されて1989年にはじめて開いた記者会見で、オーケストラについては何を変えるつもりかとたずねられた。彼はこう言った。「私が変化をもたらすことができるとしたら、それは今よりも悪くすることでしょう。」

変化するのは自然のこと

ムーティも似たような哲学を持っている。彼は私に言った。オーケストラに音楽監督が就任すれば、変化は避けられません、と。「けれども、変化は自然に訪れます。なぜなら、すべての指揮者は音、フレージング、解釈、様式について、自分自身のコンセプトを持っているからです。」シカゴ響のように才能も高い質も持ったオーケストラでは、メンバー達は音楽についてのアイデアに関しては、どの点から見ても指揮者と同じくらいに強固なものをもっているが、そういうオーケストラに対して、「指揮者は決して何かを押しつけたいわけではないのです。」

アメリカ人の仕事に関する倫理感を強く信じるムーティは、シカゴ響のメンバー達は、何百回となく以前に演奏したことのある楽譜について、もっと深く掘り下げようとすることに関して、彼と同じくらいに熱心だということを認めた上で、音楽監督とオーケストラのメンバー達のコラボレーションにおける「勤勉さ、ハードワーク」の重要性を強調した。

この巨匠は作曲家の意図するところに正確であること、忠実であることに、イタリア人らしい熱心さと熱烈さでもって忠誠を誓っている。音楽の解釈となると、ムーティはロマンチックなまでの完璧主義者となる。

「指揮者としてのキャリアを始めたとき、私はとてもギラギラとしていて強烈でした。」ムーティはこう言った。「自分にはそのことについて義務があることを証明しようと思っていたのです。今では、だんだんと指揮のジェスチャーが一層必要最小限のものになってきています。けれども、指揮に関してはトスカニーニ派出身ですから、ジェスチャーが必要最小限のものになったとはいえ、正確であることにはいまもって注意を払っています。」

「私は、指揮棒によるよりも、自分が内側に抱いているものでもってのほうが、オーケストラをより一層まとめることができると考えています。」彼は、心臓のあるあたりの胸に手をあてながら、付け加えた。「オーケストラを指揮しているときは、自分が何をしているのかについて、全く考えていません。ただ演奏を、(音楽を)表現していることを感じているだけです。」

ムーティは自分が世界中でひっぱりだこの有名指揮者、魅力的なジェット・セット指揮者であることをひけらかすために、シカゴにやってくるわけではない。また、次々と演奏会をこなしたり、ベートーベンの交響曲を次から次へと指揮したりして、シカゴ響をどれほどうまく指揮できるかについて証明するために、シカゴに来るわけでもない。とびぬけて素晴らしいキャリアにおいて、そういったことすべてをやってしまった音楽家にとって、証明すべきものとして何が残されているというのだろうか。それだから、彼は誰にも何も証明する必要がない。

ムーティは、シカゴ響を重要な、個人的な最終部分と考えていると言った。人生で予期している最後の音楽監督だというのである。彼は自分の最も真剣で精力的な関心を、次のような、みずからの中心的な目的に捧げると決心したように見える。焦点は明らかにその目的にあてられている。すなわち、シカゴ響をシカゴにおいて、世界において、さらに一層偉大な高みに連れて行きながら、シカゴにおいて素晴らしい音楽についての聴衆を拡大するということである。

彼が、高貴な意図を実際の結果にどのようにうまく転換できるかどうかは、もちろん、時間だけが語ることだ。それでも、懐疑深い人達が少しはいたとしても、彼らでさえも、ムーティが素晴らしいスタートを切ったことは認めるに違いない。2年以上も前にシカゴ響の音楽監督職を公式に手中にし、温和な形でオーケストラのメンバー達とオーケストラ・ファミリーを制覇した。シカゴのそれら以外の部分が次の課題だ。

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Monday, 30 June 2008

ブラスバンドからイタリアを見る

Amadeus誌2007年7月号に載ったマエストロ・ムーティのインタビューには、イタリア文化への警鐘部分もあります。
ケルビーニ管が大都市に根拠を置いていないことを問われ、イタリアには非常にたくさんのオーケストラや合唱団、室内楽団が隠れた存在としてある、として、その文脈の中でDelianuovaのブラスバンドとの出会いを語っています。

こまぎれな紹介でなく、いずれ、インタビュー全文を紹介します。

Amadeus誌 2007年7月号
Il colore del cuore

「イタリア半島は、音楽を愛している人々、報酬のためではなく、演奏する喜びのために音楽を一緒に演奏している人々で、あふれています。そして、こういう人達に誰も関心を払っていません。私にとって嬉しい思い出となっているエピソードがあります。ケルビーニ管とはじめてレッジョ・カラーブリアに滞在したときにさかのぼるものです。ある人達が私に、アスプロモンテのこじんまりした地域出身の若者達によるブラスバンドについて、話してくれました。非常に美しい地方ですが、むつかしくて危うい問題もたくさん抱えています。その地で、ある人達がきっかけを作って、若者達を恵まれない環境から引き離し、彼らに楽器を持たせ、80人からなるブラスバンドを作ってきているというのです。私はその若者達と、レッジョ・カラーブリアのチレア歌劇場で行きあいました。その劇場でケルビーニ管とリハーサルを行いましたが、最後に客席から彼らを見たのです。ブラスバンドのユニフォームを着た80人の若者達が粛々と、各々が最高に素晴らしいパートを分担しながらリハーサルをしていました。私は彼らのマエストロに、このバンドを聴くのは心地よかったし、彼らは非常に規律のとれた、とても優雅な様で舞台にいた、と言いました。なぜなら、軍隊的な規律からそうしていたのではなく、一緒に演奏するということの意義を自覚していることから生まれた規律によって、そうしていたからです。私には、彼らは全く素晴らしい技術を持っているように聴こえ、本当に感動しました。これなのです。イタリアという国が、服がどうこう言われたり、あれやこれや、どうでもいいようなことに関心が持たれているようなだけの国ではないことを理解してもらうために、こういう現実が、新聞やテレビでとりあげられるべき価値のあることだといっていいでしょう。誰の助けも借りることなく、単独で素晴らしい状況を創出することができる人達がいる、という事実が実際にあるのです。」

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Sunday, 29 June 2008

感情は共通のもの

Amadeus誌2007年7月号を入手しました。購入の機会を何度か逃してしまい、やっと同誌のサイトで購入できました。
同号で、マエストロ・ムーティがザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭について語っていることを知り、読みたく思っていました。さらに、先日、ラベンナ音楽祭でマエストロがDelianuovaのブラスバンドを振った際、同インタビュー記事で、そのブラスバンドとの出会いについても語っていることがニュースになり、ますます読みたくなったのです。

マエストロの最後の言葉が心に残りました。これまでにもマエストロが何度も語ってきたことです。マエストロが日本のファンに心を開いてくれるのも、こういう考えを持っているからなのだなあ、と一層敬意を深めました。

「音楽というのは純然たる感情であり、人間の気持ちです。イスラム教徒であれ、カトリック教徒、プロテスタント教徒、ユダヤ教徒、仏教徒、儒教徒であれ、すべて同じです。心の中は皆同じです。肌の色によっても、政治によっても、異なった人間になったりしません。様々な考えを持つことは可能ですが、感情というものは全くひとつです。この瞬間、少し雄弁になることが許されるよう望んでいいのならば、あらゆる人にとって、心の色は同じだということを言うべきでしょう。」

Amadeus 2007年7月号
Il colore del cuore

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Wednesday, 25 June 2008

トリュフォーやアラン・レネのような

今日のイル・ジョルナーレ紙にマエストロ・ムーティとドパルデューのインタビューが載っています。

ドパルデューはマエストロのどこに魅かれているのか、この共演の中でどう評価しているのか、とても興味があります。
もちろん、マエストロにはあらゆる人をひきつける魅力があるのですが。

2008年6月26日 Il Giornale
Muti e Depardieu, l'intervista doppia

ドパルデューさん、あなたから見てムーティは、監督と指揮者のどちらのほうとして行動しているでしょうか。
「リッカルドは指揮者ではありません。制作者です。映画におけるトリュフォーやアラン・レネのような感じです。彼らのように、その周りには、ある雰囲気がかもし出されています。彼が創りだす芸術作品の中に身を置いているのです。一方、舞台装置については、私に話させないでください!」

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Thursday, 05 June 2008

芸術家としての責任

マエストロ・ムーティのフィラデルフィア管時代のインタビューにも、芸術家の責任に触れているものがあります。

「ステージでは、音楽は感情を表現するものであり、政治上の意見を表明するようなものではありません。けれども、オフ・ステージでは、芸術家が社会の一員として、心と知性と政治的考えを持って貢献するのは、その義務です。」

Classical 1990年5月号
Riccardo Muti
The Philadelphia Story

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Friday, 09 May 2008

NEWS誌最新号に記事

NEWS誌最新号に、ザルツブルクで行ったマエストロ・ムーティの講演の模様が載っているようです。

NEWS Nr.19 2008年5月10日
Riccardo Muti

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Thursday, 08 May 2008

ウィーンでの当面の予定は...

APAが、ザルツブルクでゲネプロを行ったマエストロ・ムーティへのインタビューを、短く報じています。

APAの関心のひとつは、シカゴ響音楽監督就任が決まったマエストロには、はたしてザルツブルクやウィーンでの時間は残されているのだろうか、ということでした。

マエストロの返事は、ちょっとつれない感じです。
2009年(2008年の誤り?)10月にウィーン国立歌劇場と訪日して《コシ・ファン・トゥッテ》を上演するし、ウィーン・フィルともコンサートを行う、しかし、そのほかは、当分、ウィーンでは何の計画もない、と答えています。

2008年5月8日 APA
Riccardo Muti und der neapolitanische Geist

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Tuesday, 06 May 2008

40年間共にあるピアノ

今日のCorsera紙にマエストロ・ムーティのインタビューが載っています。
シカゴ響音楽監督就任についてのほか、フィレンツェでデビュー40周年を祝うことについても語っています。

フィレンツェ時代を振り返るマエストロのインタビューを読んでいて、涙がにじんできました。
1970年代終り頃当時のわたしがフィレンツェのマエストロの様子を知るには、日本の音楽雑誌とグラモフォン誌、UKの新聞を読むしかなく、ステレオ芸術誌のイタリア便りを毎月、繰り返し繰り返し読んでいたことが思い出されます。

マエストロは、フィレンツェ五月音楽祭管を振って大成功を収め、フィレンツェでキャリアを積むことになります。
クリスティナさんと結婚もしました。歌劇場近くに家を構えようにも、家賃の高さが二の足を踏ませました。最初は冷蔵庫を買うお金さえなかったのですが、まず、ピアノを買ったそうです。完済するのに2年かかりましたが、そのピアノは今もマエストロのそばにあるとのこと。人生をともにしてきたピアノです。
また、フィレンツェで非常に愛されていたマエストロ夫妻は、3人のお子さんはフィレンツェで産もうと決意したそうで、3人ともフィレンツェっ子だとのこと。

こうやって、フィレンツェへの愛を惜しみなく語るマエストロのインタビューは、本当に感動的です。

有名な《ウィリアム・テル》終演後(夜中の2時に終わりました)、聴衆が熱狂して、Viva Rossini! Viva l'Italia!と叫んでいた思い出話をマエストロは披露していますが、マエストロの17日、18日のコンサートでも、たくさんの垂れ幕と叫び声が聴こえることでしょう。

2008年5月6日 Corriere della Sera
Muti nuovo direttore a Chicago: porterò la musica ai giovani Usa

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ケルビーニ管は80%入れ替え

今日のオーストリアの新聞にマエストロ・ムーティのインタビューが載っています。ラベンナ田園地帯のマエストロ邸で、ザルツブルク音楽祭とラベンナ音楽祭について、インフォーマルな記者会見が行われた際のもののようです。

マエストロはこの中で、聖霊降臨祭音楽祭について、ケルビーニ管について、カラヤンについて(ザルツブルク音楽祭で《コシ・ファン・トゥッテ》を上演するに至った有名なエピソード)、そして、年齢のことを話しています。

ラベンナ田園地帯のマエストロ邸は、ラベンナ郊外の車で30分ほどのところにある、とても静かな環境の素晴らしい家だそうです。1864年に建てられたものを改築したとのことで、大勢の記者たちが昼食をもてなされたところでは、かつては牛が草を食んでいたとか。また、晴れていれば、遠くアペニン山脈やサン・マリーノまで見えるそうで、マエストロは心身を休めたいときにそこを訪れるとのこと。アニフと同じ、と語っています。

ケルビーニ管については先頃オーディションが行われましたが、3年間で100%が入れ替わるのではなく、80%が新しくなり、20%はより強硬な核として残るのだそうです。今年の聖霊降臨祭音楽祭がこの3年間を過ごした古いメンバー達にとって、最後のものになるとのこと。マエストロは、100%入れ替えることはしない、そうしたら、定められた寿命よりもずっと早くお墓に入ることになる、と言っています。どれほどの労力とエネルギーを注いできたかが、よくわかります。

今年の夏67歳になることを気にしたことがあるかと記者がたずねた答えは...。

90歳になるインド人をテレビで見た、21人の子供がいて、いちばん幼い子を腕に抱きながらこう言っていた、この子が最後じゃないよ、これで、あなたの問いかけに対しては十分十二分だ。

Muti: Ich habe im Fernsehen einen Inder gesehen. Er war 90, hatte 21 Kinder, hielt gerade das jüngste im Arm und erklärte: „Und das ist noch nicht das letzte!“ So viel zu Ihrer Frage.

確かに、アッカルドにも子供が生まれるというニュースがありましたが...。

2008年5月6日 OOE nachrichten
Muti hebt neapolitanische Schätze

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Monday, 05 May 2008

カラヤンの想い出(4)

マエストロ・ムーティがウィーン楽友協会機関誌でカラヤンについて語っている記事の、続きを紹介します。

マエストロはここでも、ピリオド奏法を好ましく思わない態度を表明しています。

ピリオド奏法がいつ全盛を極めたのか、あるいは今も全盛なのかどうかは知りませんが、マエストロの演奏を時代遅れだと批判する評論家、音楽ファンは、今でも少なくないようです。ピリオド奏法、もしくはその洗礼を受けた演奏とは全く距離をおいた演奏をしていることが、その理由のひとつだと思われます。

Musikfreunde 2008年5・6月号
Das Geheimnis der Selbstverständlichkeit
Riccardo Muti

後に彼は、ザルツブルク音楽祭における自分の《ドン・ジョバンニ》プロダクションについて、続けて指揮することを私に任せてくれました。1980年代の終わりには、カラヤンとベルリン・フィルとの間に危機が訪れました。75歳の誕生日に際して、コッリエーレ・デッラ・セーラ紙はカラヤンについて今まで以上に大きな記事を載せようとし、私にインタビューを依頼してきました。数日後、親愛の情のこもった素晴らしい手紙をカラヤンから受け取りました。今も宝物のように大切にしています。その指揮ぶりに関し、私が的確に考えを表明したことについて、彼は非常に感銘を受けたと書いていました。そして、本当に多くの評論家についても、彼らが非常に明確に、そして、根拠をもって自分の意見を表明できたら、と願っているとのことでした。

―数年前のインタビューであなたは、フルトヴェングラー、トスカニーニ、カラヤンを、前世紀における最もすぐれた三人の指揮者とみなしていました。カラヤンの特別なところは何ですか。

フレージングにすぐれているところです。それは時として、洗練された印象を与えますが、決してわざとらしくなく、常に自然で人を頷かせるものがあり、とりわけ、音の響きと色がそうでした。彼のフレーズのスタイルは常に、徹底的に考え抜かれた結果でした。彼のフレーズが当然のものとして説得力をもっていた秘密は、そこにあります。

―まさに、音の響きに関するところ、ここが、とりわけ、バロックや古典派の作品において、カラヤンの称賛派、批判派が分かれるところです。あなたはどのように見ていますか。

歴史に則って音楽を実践することは尊重すべきだとしても、しかしながら、どんな人にも自分が感じたように表現する自由があります。カラヤンは、19世紀終わりにまでさかのぼるロマン派の、究極の代弁者です。今日では、すべてが、古楽器と歴史的奏法実践に向かい、それ以外にはともかく何も認められていません。私も、音楽における原理主義は好みません。たとえ、カラヤンによるヴィヴァルディの《四季》やロ短調ミサの解釈が、今日的な理解からすれば文献学的・原典考証上は正しいとはいえないとしても、私には、人を感動させる力に乏しくて正しく再現されたものよりも、カラヤンによるもののほうが、好ましいです。文献学的に正しいとしても、そこでは、数分たてばもう、表現がどう展開されるかわかってしまうのです。確かに、体系的な演奏ではありますが、インスピレーションに欠けています。私はホラティウスの側に立ちます。物には程あり、中庸を。
カラヤンは両者から何らかのものを受け取りました。トスカニーニからは、明確、純粋、正確を、フルトヴェングラーからは、ロマン派的なスタイル、ロマン派の疾風怒濤を受け取り、そこから自分の個性的なスタイルを発展させたのです。

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Monday, 28 April 2008

ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサートはナポリで

今日のレプッブリカ紙は、ピアチェンツァでケルビーニ管とリハーサル中のマエストロ・ムーティへのインタビュー記事を、写真とともに載せています。
去年のPMFでもスポーティな靴でしたが、ピアチェンツァのリハーサルでもジョギングシューズのようなものを履いているようです。

インタビューでは、ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭のこと、カラヤンのこと、今年のこれからのスケジュール、マエストロ・アッバードのこと、イタリアの文化政策のことなどを語っています。

聖霊降臨祭音楽祭がナポリ派音楽をテーマにしていることを語ったのに続けて、ザルツブルクだけでなく、実際にナポリも訪れるとして、ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサートを来年5月1日にナポリで行うこと、ナポリのサン・カルロ歌劇場の再開記念コンサートも指揮することを述べています。

マエストロ・アッバードについては、これまでも親愛の情が感じられる関係だったし、スカラ座へ彼を招聘しようと手紙も書いた、と語っています。
マエストロはマスコミの取り上げ方を、ツール・ド・フランスで有名なバルタリとコッピになぞらえていました。わたしが思い出すのは、もちろん、イノーとレモンです!

ここのところ、二人のマエストロがそれぞれ、これまでもずっといい関係だった、と語っているのを興味深く思います。

また、マエストロは12月6日にローマ歌劇場で《オテロ》を上演しますが、フィレンツェ時代も12月に開幕公演を行っていたし、自分がローマで12月にオペラを上演することを、スカラ座と関連づけて考えるのは馬鹿げている、と一蹴しています。

追って紹介します。

2008年4月28日 la Repubblica
"Porto in Europa il mito di Napoli capitale della musica"

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Sunday, 27 April 2008

カラヤンの想い出(3)

楽友協会機関誌最新号に載っている、カラヤンにまつわるマエストロ・ムーティのインタビューの続きを紹介します。
ローリーについては、原文どおりにしました。

カラヤンからザルツブルク音楽祭での《コシ・ファン・トゥッテ》上演の依頼を受けた時のことを、語っています。
この上演は大好きで、録音を何百回となく聴きました。イタリア語など何もわからない頃でしたが、自然に歌詞だけでなくレチタティーヴォも覚えてしまいました。マエストロの演奏でなければ、レチタティーヴォにまで関心がいかなかったことでしょう。

(先週末はつらい決断をしなければなりませんでした。想いだけが強くてもどうしようもないことがあるのだなあ、と暗い気持ちです。
でも、マエストロへのわたしの気持ちは、生涯変わることのないものです。)

Musikfreunde 2008年5・6月号
Das Geheimnis der Selbstverständlichkeit
Riccardo Muti

―1970年代の終わりには次に、その後有名になった、電話でのカラヤンとの会話がありました。

それは1979年のことで、フィラデルフィア管音楽監督の地位に就く前に、フィルハーモニア管とUSAでさよならツアーをしていた最中でした。サウスカロライナ州ローリーでのコンサートを終えた後、朝7時に電話が鳴ったのです。それで私は妻にこう言いました。「こんなに早く起こすとはいったい誰なのだ?これはきっと間違った番号をとっさにかけたのだろう。」受話器を持ち上げると、ただ聞いてました。「カラヤンです。」最初は冷静にたずねました。「誰ですか?」再度聞こえてきました。「カラヤンです。」それで、このきっぱりした口調から、本当にカラヤンであることがわかりました。彼は直ちに要点を持ち出し、言いました。「ムーティ、あなたを1982年ザルツブルク音楽祭での《コシ・ファン・トゥッテ》上演のために、招聘したいのですが。」私は、このオペラを指揮したことがないこと、ザルツブルクではベームが大成功を収めている作品であることを、指摘しました。カラヤンは次のようなことを言いました。それはわかっている、しかし、それゆえに、このオペラを私(ムーティ)へ差し出すのだ、というのは、ザルツブルクは新しいプロダクションを必要としているからだ。さらにカラヤンは私に、この申し出を直ちに受け入れるか、断るかの機会だけを与えました。„Si or no“という彼の問いが聞こえました。ためらいながらも、私は、はい、と答えました。けれども、彼には、誰にも何も言わないよう、約束しなければなりませんでした。すなわち、これはまずもって彼と私の間の事柄であり、後のことはすべて、彼が配慮するであろうことだったからです。その後のことはよく知られているとおりです。挑戦に対してすべてが悲観視する声である状況の中、《コシ》は大きな成功を収め、そのことによって、私は突如として、モーツァルト指揮者としても知られるようになりました。

カラヤンは非常に喜び、《コシ》の二度目か三度目の公演の後で、オフィスに招いてくれました。彼はプロダクションをとても気に入りましたが、レチタティーヴォのテンポが遅すぎるように感じられるとのことでした。私はこう答えました。セリフの部分も同じように傑作だとみなしている、それゆえに、私にとってレチタティーヴォもアリアと同じような価値を持っている、と。

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Sunday, 13 April 2008

チベット

ラベンナ音楽祭とザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭について、カジュアルな形で催した記者会見で、マエストロ・ムーティはチベットについても訴えを投げかけています。政治的なものではなく、文化が虐げられることに対する、文化に深く関わる者からの訴えかけです。

ラベンナ音楽祭では、『友情の道』コンサートを行っています。音楽的事情、文化的事情について、この集りで話が出たのは当然のことかもしれません。
マエストロは、この二つのテーマは言葉よりももっと人々を結びつける、と語り、レバノンやユーゴスラビアといった苦境にある国を訪れたことを想い起こしながら、チベットについてアピールを口にしています。

「このような歴史をもった民族には、その歴史を守っていく選択肢があるべきです。」

《Un popolo con quella storia deve avere la possibilità di conservarla.》

2008年4月3日 il Mattino
«Con Paisiello un matrimonio di culture»

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Thursday, 10 April 2008

ウィーン・フィルへの賛辞

今日のLe Figaro Musiqueに、マエストロ・ムーティの談話をまとめた記事が載りました。
ウィーン・フィル、フランス国立管、イタリア・オペラのむつかしさについて語っています。

ウィーン・フィルについては、1971年から指揮しているマエストロですが、当初は、師として仰いでいたのが、いまや、我が子のように思える、と言っています。
ウィーン・フィルで特筆すべきは、各メンバーの積極的な音楽姿勢だ、オーケストラというのは動力で動いていくものではない、末席に座っているプレーヤーも、コンサートマスターと同様の携わり方をしなければいけない、と称賛しています。
また、ウィーン・フィルは政治の模範だ、ふさわしいテンポとは何かについて、メンバーの数だけ意見があっても、まるで、一人の人間であるかのように演奏する、とも言っています。

興味深かったのが、イタリア・オペラについての考えでした。
ケルビーニ管と《ドン・パスクァーレ》を演奏したけれども、ワーグナーを振るよりもむつかしい、柔軟性、エレガントさ、メランコリーを備えていなければならず、何よりも、通俗的ではいけない、と語っています。

2008年4月10日 Le Figaro Musique
Riccardo Muti, chef viennois pour un soir

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Sunday, 06 April 2008

カラヤンの想い出(2)

マエストロ・ムーティが楽友協会機関誌で語っている、カラヤンについてのインタビューの続きです。
Antonio Guarnieriは1892年ヴェネチア生まれで、チェリストから出発して指揮者となり、1952年にミラノで亡くなっています。
http://www.operaitaliana.com/autori/interprete.asp?ID=132

Musikfreunde 2008年5・6月号
Das Geheimnis der Selbstverstaendlichkeit
Riccardo Muti

1970年代終わりに、ベルリンのHotel Kempinskiでカラヤンと会いました。そこで食事をしながら、彼と楽しい時間を前のときよりも長く過ごし、彼のことをさらに知る機会を得ました。私達は、とりわけ、指揮について話しました。カラヤンは、自分はAntonio Guarnieriの賛美者だと言いました。今では、彼がトスカニーニのライバルであったことを、人々はもはや知りません。しかし、彼にはキャリアをなそうという野心がなく、従って、録音も残しませんでした。私はイタリアの楽団員によって、彼がその独特の響きで有名だったことを知っていました。カラヤンはそのことについて請け合いました。彼は私にこう説明したのです。スカラ座に来て誰が振っているのか見なくても、もっぱらオーケストラの響きだけから、Guarnieriが指揮台に立っているかどうかわかることが可能だった、と。これは、彼自身がその典型的な響きで有名だった指揮者カラヤンから聞いた、Guarnieriが得ることのできた最高の賛辞でした。

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カラヤンの想い出(1)

楽友協会機関誌5・6月号の、素敵なマエストロ・ムーティの表紙とインタビューのページを眺め、読むのは、ファンとして至福のときです。

マエストロとカラヤンのザルツブルクでの出会いはBueroでなのですが、ザルツブルクの街には、音楽祭になるとレコード会社の出張オフィスやブースができたりするので、そのようなものだろうか、カラヤン専用のオフィスなのだろうか、とも思いました。とりあえず、終演後の感動を伝える場のようなものをイメージしながら、カラヤンのテーブルとしました。
調べておきます。

Musikfreunde 2008年5・6月号
Das Geheimnis der Selbstverstaendlichkeit
Riccardo Muti

―マエストロ・ムーティ、ヘルベルト・フォン・カラヤンの生誕100年に際して、6月にヴェルディ レクイエムを指揮します。カラヤンにはじめて会ったのはいつのことですか。

1971年に《ドン・パスクァーレ》を演奏するよう招聘を受け、ザルツブルク音楽祭にデビューしました。カラヤンは若い才能について、いつもよく情報を得ていました。現在の50代、60代、70代のすべての指揮者がそのキャリアにおいて、カラヤンの影響を基本的に受けてきたことを忘れてはいけません。カラヤンが私についての情報をどこから取り寄せたのかは知りません。でも、当時のザルツブルク音楽祭総裁Bernhard Paumgartnerが、カラヤンが私に注意を払うようにしたのだと、かなり確信しています。彼はカラヤンの師で、彼の娘が私のいちばん親しい友人仲間に属していました。彼女はフィレンツェを愛していて、その頃、私はフィレンツェ五月音楽祭の音楽監督でした。プロダクションの準備をするためにザルツブルクに行きましたが、ウィーン・フィルの数人のメンバーから、カラヤンが短い時間、いくつかのリハーサルで聴いていたのを観た、と聞きました。私は彼と会いませんでしたが、ベルリン・フィルのコンサートに招待されました。ザルツブルク音楽祭における《ドン・パスクァーレ》の大成功の結果、1972年に再演することになりましたが、その年に、カラヤンと会うという事態になりました。私はそれまで、自分の抱いた尊敬の気持ちからカラヤンの手にキスをするために、彼のテーブルの前にできた長蛇の列に加わるというようなことは、決してしませんでした。ザルツブルクにおける彼のテーブルでのそのときの会見は数分だけのことでしたが、私達はトスカニーニ、スカラ座、ヴェルディ、プッチーニについて話しました。それに続く年々、彼は常にザルツブルクとベルリン・フィルに私を招いてくれました。

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カラヤンとの出会い

マエストロ・ムーティはカラヤンを、フルトヴェングラー、トスカニーニと並べて20世紀を代表する指揮者のひとりにあげています。
ザルツブルク音楽祭でカラヤンが上演するはずだった《ドン・ジョバンニ》を指揮し、追悼コンサートのタクトをとるなど、カラヤンと縁の深いマエストロですが、カラヤン生誕100年を記念して、6月にウィーンでヴェルディ レクイエムを指揮し、8月のザルツブルク音楽祭では、ブラームス ドイツ・レクイエムを演奏します。

楽友協会機関誌5・6月号は、そんなマエストロに、カラヤンとのはじめての出会い、ザルツブルク音楽祭で《コシ・ファン・トゥッテ》を上演することになった際の有名なエピソード、カラヤンの偉大性、ヴェルディのレクイエムでクヴァストホフと共演すること、ウェーベルン交響楽団との共演について、インタビューしています。

とても興味深い内容でしたので、少しずつ紹介していきます。
1970年代の終わりに、マエストロがカラヤンとベルリンのホテルで会ってじっくり話したことがあるとは、はじめて知りました。イタリアの新聞ではきっとインタビューなどで報じられたことがあるでしょう。

マエストロの話をもっともっともっと聞いてみたいといつも思います。でも、その引き出しを開くにはどうしたらいいのか...。インタビュアーのみなさん、がんばって!

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指揮台では女性と男性に何の差異もない

マエストロ・ムーティが、ラベンナでの非公式な記者会見で女性指揮者についてコメントしたことが、スカラ・フィルの指揮台に立つMarin Alsopの反論という形で、見事に昨日の各紙を飾りました。話題の中心は3日のCorsera紙の記事でした。

マエストロは、Corsera紙の記事の書き方でも、女性と男性の間に差異はない、とはっきり言っています。
そして、続けて、レパートリーではシューベルトが女性らしさという感性にあっているようにみえ、《オテロ》開幕の嵐の部分の指揮にはあまり適していないだろう、と言っています。
みずからの感性を大切にせよ、その感性を殺すな、という考えです。
燕尾服については、女性が着ること云々以前に、マエストロ自身、気に入っていないようです。

メディアは、女性にとってのレパートリーはシューベルトであり、《オテロ》はダメ、と単純な白黒の表現でマエストロの考えをAlsopに提示したため、当然のことながら、切り返しにあった次第です。

マエストロ自身がシューベルトに素晴らしい力量を発揮し、その第一人者と言われることさえあることを思うとき、マエストロのコメントには、思わず苦笑してしまったのですが。すぐれた音楽家はあらゆる感性を備えている、といえるのかもしれません。

Corsera紙が書いたマエストロのコメントは次のとおりです。

「指揮台では男性と女性に何の違いもありません。けれども、女性が男勝りになりがちなのは誤りです。みずからの女性らしさを表現すべきです。女性はシューベルトの感性に適しているように見える、と言ってよいでしょう。《オテロ》の《嵐》の場面は、女性らしさとは対極にあると感じられるかも知れず、シューベルトに比べれば、適していないように見えます。そして、燕尾服を着ることについては...私は、ペンギンのようなこの服装がずっと嫌いでした。」

2008年4月3日Corriere della Sera
Muti: io e Abbado divisi dai fanatici

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Saturday, 05 April 2008

女性らしさについて

ラベンナで行われた、ラベンナ音楽祭、ザルツブルク音楽祭に関するインフォーマルな記者会見で、マエストロ・ムーティは興味深いことをいくつか語っています。

そのひとつが、女性らしさについてでした。今年のラベンナ音楽祭のテーマがそれに関連していることもあるでしょう。インタビュアーは、スカラ座の指揮台にはじめて女性指揮者が立つことをどう思うかと、マエストロにたずねています。
次のようなマエストロの答えは、ファンとして従ってきた者として、およそ、想像しうるもの、そのものでした。

女性らしさを表現するべきではないかと思われるのに、多くの人が男勝りになる傾向にあるのは残念なことだ、我々男性は女性の中に美しさ、優美さ、優しさを見るし、求める、しかしながら、指揮台に立つ女性は、プロフェッショナルな音楽家達であるオーケストラに対して、強く自分を押し出せる存在でなければならないことは、私も理解している、でも、燕尾服を着ていないことについては、私自身も燕尾服はいやだ、女性が燕尾服を着ること、それは避けるべきだ、と言っています。

(燕尾服に関するマエストロのコメントを誤って理解していました。申しわけありません。2008年4月6日5時43分追記)

«Le donne sul podio? Dovrebbero esprimere femminilità, peccato che tante tendano a mascolinizzarsi. Noi uomini cerchiamo e vediamo nella donna bellezza e dolcezza, ma capisco che quando una donna si trova davanti a decine di professori d’orchestra deve sapersi imporre»«Però che non indossino il frac, sarà che lo detesto io stesso. Una donna no: lo deve evitare».

2008年4月3日 Il Giornale
Festival di Ravenna, da Depardieu alla Traviata
E Muti promette una rassegna al femminile

男性らしさ、女性らしさを、端的に、強い決断性、慈悲深い優しさ、というならば、人間としてどちらも理想として備えていることを求められるキャラクターであり、仕事においても、どちらも理想として求められています。マエストロは、仕事に就いている女性について、偏見のない理解を持っていることがよくわかります。嬉しいです。

マエストロの女性観は、こうやって語られなくてもおのずとわかることで、思い描いていたとおりでした。
漫画家の聖千秋の作品をこよなく愛してきたわたしは、彼女の作品に登場する男性達のやさしさは、マエストロが女性に求めているものと同じだなあ、といつも思っていました。

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Thursday, 03 April 2008

30年間以上抱きあってきた敬意

昨日、ラベンナのマエストロ・ムーティ宅(別邸。ラベンナの田園地帯San Pietro in Trento にあります。Corsera紙は記者会見を「ピクニック」と称していました)で、ラベンナ音楽祭、ザルツブルク音楽祭に関する「記者会見」が、両音楽祭首脳出席のもと、行われました。マエストロ・ムーティが両音楽祭に関わっていることから、そのような記者会見になりました。

マエストロの両音楽祭での公演は既に発表されているとおりです。

会見で語られたことのひとつが、マエストロ・アッバードのことでした。

マエストロ・ムーティによれば、30年間尊敬しあってきたし、それぞれの道を歩んできた、ライバル関係はメディアが誇張しているもの、とのことです。マエストロ・アッバードからケルビーニ管とのコラボレーションの話を持ちかけられた際、ケルビーニ管にとって素晴らしい経験になると考え、快諾したそうです。
また、マエストロ・ムーティはスケジュールがいっぱいで、このようなプロジェクトで指揮をとることは無理だけれども、マエストロ・アッバードがボローニャ以外でもコンサートを望むなら、ケルビーニ管にとって経験を深めることになり、オーケストラには幸運なことだ、とも語っています(マエストロ・アッバードはインタビューで、このようなプロジェクトがボローニャだけで行われるのはもったいない、と語っていました)。

2008年4月3日 Il Quatidiano
Muti: "Saranno i giovani a salvare la musica"

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Friday, 28 March 2008

ブラスバンドへのエール

昨日のCorsera紙に、イタリアのブラスバンドの素晴らしさと窮状を訴える、マエストロ・ムーティのインタビューが載りました。今年のラベンナ音楽祭でマエストロはブラスバンドを指揮しますが、その意義を語ったものです。

昨日の朝、マエストロのオフィシャル・サイトから、マエストロはすぐによくなるだろうし、何の心配もない、とのメールが届き、ほっとして出勤しました。
いつもイタリアの音楽文化の現状に目配りしているマエストロですが、こうやって窮状を強く訴えるインタビューが昨日の新聞に載るのですから、あわてふためいた心配は余計でしたね。

インタビューについては、週末に紹介します。

同紙面にはマエストロの大きな指揮姿写真(真っ赤なシャツ)が載っています。制服姿のブラスバンドの写真との組合わせが美しい紙面になっています。
また、同紙はブラスバンドを扱った映画も紹介していました。マエストロも触れているトトのものはたぶん観ていませんが、ほかの二つ、『ブラス!』、『迷子の警察音楽隊』は、マエストロのブラスバンドへの興味に刺激されて、観にいきました。
今年もモルフェッタでの復活祭休暇でバンドの演奏に心を動かされたマエストロ。こんなふうにマエストロに導かれて、ブラスバンドへの興味も一層深まりました。本当に、心の師、です。

2008年3月27日 Corriere della Sera

Riccardo Muti: «Salviamo le bande»

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Sunday, 24 February 2008

サン・カルロ歌劇場への再登場(1)

ナポリのサン・カルロ歌劇場の若き凄腕代表者Commissario、Salvatore Nastasiのニュースには、嬉しい驚きがありました。マエストロ・ムーティがサン・カルロ歌劇場に戻ってくるようにしてくれたこと、そして、同歌劇場の再建への道のりが見えてきたことは、ファンとして大きな喜びです。

ナポリの新聞に載ったマエストロのインタビューをまじえた記事を紹介します。

2008年2月21日 Il Mattino
Muti: «Torno per il nuovo San Carlo»

「ええ、サン・カルロ歌劇場を指揮しに来ます...私はナポリ生まれで、自分の町に戻ってくるのです。」リッカルド・ムーティは晴れ晴れとした声で、少し興奮しながら、その演奏会について認めた。2009年2月に、6ヶ月の工事の後劇場が再開される際のものである。サン・カルロ歌劇場を指揮するのは25年ぶりで、マエストロと同歌劇場の間の断絶を示すことになった宿命の《マクベス》以来のことである。

近年、ムーティはしばしばサン・カルロ歌劇場に戻ってきている。けれども、いつも有名オーケストラとの客演である。今回は違う。同歌劇場のオーケストラと合唱団を指揮する。工事後の再開を告げる演奏会である。工事は2009年にまた7月から12月までの6ヶ月間続けられ、その間、劇場の活動は別の場所で分散して行われる。(略)

「Salvatore Nastasiに会い、次シーズン開幕のための貢献を申し出ました。」ムーティはラベンナからの電話でこう語った。ロンドンに出発しようとしているところで、フィルハーモニア管とスペインの幾つかの都市を訪れるツアーに向けたリハーサルを、22日からロンドンで始める。その後、ウィーンでは「彼の」オーケストラであるケルビーニ管のムジークフェライン・デビューがあり(《ドン・パスクァーレ》のコンサート形式での上演)、ニューヨーク、パリと続く。5月にはザルツブルクで、18世紀ナポリ派音楽に捧げる素晴らしい企画を継続させる。サン・カルロ歌劇場との間で発足するこの新しい共同関係を切望するならば、2009年2月の企画は、まさにナポリそのものにとって効果のあるものといっていいだろう。「プログラムについては考慮中です。」とのことだが、ムーティは、Cesare Mazzonisとも非常に緊密な関係にあることを明らかにした。彼とは既にスカラ座で一緒に仕事をしていて、Mazzonisは現在サン・カルロ歌劇場の芸術顧問を務め、この和解の中心人物である。

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Thursday, 21 February 2008

ナポリの優れていることを知ってもらう

今日のナポリの新聞は、ラベンナにいるマエストロ・ムーティに、電話をして行ったインタビュー記事を載せています。
マエストロはロンドンに発つ直前で、明日からはロンドンで、フィルハーモニア管とスペイン・ツアーのためのリハーサルを行うそうです。

マエストロがナポリのサン・カルロ歌劇場を指揮する目的は、ナポリの優れていることを知ってもらうため、その文化の素晴らしさを世に明らかにするためです。世界中を巡っているマエストロは、どの地でも多くの場合、ナポリのことがきちんと報じられていないのを残念に思っているようです。

2008年2月21日 Il Mattino
«Torno perché Napoli non è solo emergenza»

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Sunday, 17 February 2008

日経のインタビュー

今日の日経に、マエストロ・ムーティのインタビューが載っています。昨夏、PMFで来日した際のものです。興味深いインタビュー記事をありがとうございました。

2008年2月17日 日経朝刊
ウィンナー・フェスト2008特集―オペラ新旧の演出、ウィーン国立歌劇場日本公演

――「コシ・ファン・トゥッテ」の舞台はマエストロの出身地、ナポリです。
 
「実は、最も好きなオペラが『コシ』なのです。ナポリは象徴的な描写であり、むしろユーモアの衣に隠された人間の悲劇、モーツァルトの音楽がたたえるペシミスティックな味わいにひかれます。『トゥッテ』の『テ』は女性全員を意味しますが、私には『トゥッティ』。人類普遍の真理に思えます。十七―十八世紀のナポリに花開いた音楽文化、ナポリ楽派は欧州各地の文化に影響を与え、『コシ』にも強く反映されています」
 
――日本公演には名歌手が勢ぞろいします。
 
「全員、私が自らピアノを弾き、鍛えた歌手たちです。ロベルト・デ・シモーネの古典的格調を備えた演出にもみな十分に通じており、目の肥えた日本の観客も必ず満足してくださるでしょう」

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Saturday, 05 January 2008

《花から花へ》の変ホ音

マエストロ・ムーティは昨年11月にパドヴァでケルビーニ管と演奏する前に、Il Gazzettino紙の長い多岐にわたるインタビューに応じています。インタビューが掲載されたことはここでも紹介しました。

楽譜への忠誠については、このインタビューにおいても、ただただ頑ななだけの不動のものではなく、道理に基づくものだ(不動ではない)としているのですが、例のひとつに、スカラ座で上演した《椿姫》の《花から花へ》をあげていました。録音・映像でも確認できる場面です。
なお、これに引き続き、マンリーコについても理由を挙げながら語っています。

インタビューの全文は追って、また。

2007年11月11日 Il Gazzettino
Muti: «Aboliamo la prima alla Scala»

スカラ座で26年間とりあげられなかった《椿姫》を上演したときのことです。第一幕の終わり、私は、Fabbriciniがカバレッタには書かれていない有名な『変ホ音』