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Sunday, 01 June 2008

シカゴの新聞が検証するスカラ座離任(3)

マエストロ・ムーティがシカゴを訪れる前に、シカゴの新聞記事を全部紹介したかったのですが、間に合いませんでした。
でも、紹介はします。

最後は、フリットリのマエストロ擁護です。
週末にはウィーンでヴェルディ レクイエムを歌い、10月には《コシ・ファン・トゥッテ》で来日公演に加わり、来年1月にはシカゴでヴェルディ レクイエムを歌います。
残念なのは、彼女のはじめてのアイーダが、持ちかけたマエストロの棒ではなく、ガッティの指揮で歌われること。でも、きっと、ベルカント・オペラでの共演がまたあることでしょう。

2008年5月25日 Chicago Tribune
La Scala scandal

ソプラノのBarbara Frittoliは、ムーティの強力な仕事の進め方と彼がUSAでの大きな第二弾にどうとりかかるかについて、鋭い判断力を持っている。彼女は、数ある劇場の中で、とりわけスカラ座とウィーン国立歌劇場とで15年以上、彼と共演してきた。彼女の熱烈な想いはいまだに衰えていない。彼女は依然として、ムーティと共演するためにスケジュールをひっくり返すことをしている。

「偉大な指揮者はとても特別な仕事をします。彼らが素晴らしいのはそのためです。ムーティは、音楽を理解している人達、作曲家が望んでいることを理解したい、正確に発見したいと思っている人達と共演することを望んでいます。」Frittoliはモスクワからの電話でそう語った。

「彼は素晴らしいと思います。そして、ムーティは時には、歌手にあまり親切ではなくなります。彼は、こんなふうに言う人が好きではないのです。『これはできません。あの音は出せません。そんなふうには歌えません。』彼は、作曲家が書いたことを正確にやる人達と一緒に働きたいと思っているのです。」Frittoliは言った。

彼女は20代半ばの時に、はじめてムーティと仕事をした。今年の冬にはウィーンで、モーツァルト《コシ・ファン・トゥッテ》で共演した。「彼とは何度となくこの作品を演奏しました。けれども、私は、いまだに彼から何かを学んでいます。」Frittoliは語った。「彼は、音楽の力と台本の力を見せることに注意を払っています。...彼は音楽というメッセージが、作曲家から私達に、時を経て伝わってくることを求めているのです。」

「言うのは簡単です。実行するのはむつかしいことです。」

音楽がムーティにとって関心のあることであり、彼は自分の仕事に献身的だ、と彼女は言った。それが、どういうわけか、スカラ座の煽りたてられたような騒乱のクライマックスにおいて、道からはずされた。信任投票の結果を聞いて、Frittoliはスカラ座で歌うのを2年間やめ、抗議の気持ちを示した。

「私はミラノ出身です。すべてわかっていますし、この話のすべての説明を知っています。」彼女は穏やかに言った。

「ムーティがどういう人か知っています。彼は私達の世紀における、最高のマエストロの一人です。音楽の歴史に名を残すでしょう。」

「シカゴにとっては―最高レベルのオーケストラとムーティの組み合わせ?とても興味深いものになるでしょう。」

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シカゴの新聞が検証するスカラ座離任(2)

今日のシカゴの新聞は、USAの音楽監督の報酬、オーケストラのマネージメントを司る会長の報酬について報じています。
身も蓋もない記事ですが、それがメディアというものなのでしょう。

2008年6月1日 Chicago Tribune
Music directors' salaries are definitely on the upswing

マエストロ・ムーティのスカラ座辞任について書いている、シカゴの新聞記事の続きを紹介します。
Mauro Meliの言葉には頷くばかりです。

2008年5月25日 Chicago Tribune
La Scala scandal

その骨折りは結局、何人かから批判を受けた。

ムーティは保守的過ぎた、とみなした者達がいた。レパートリーにおける無難な選択を批判したのである。一方、ムーティ自身が音楽的にも歴史的にも魅せられた作品でありながらも、聴衆はしばしば感動しないままだったような、そういう、あまり知られていないイタリア人作曲家の作品を探求する傾向を彼がますます深めていったことに、我慢できない人達もいた。

2004年12月までには、ムーティとスカラ座総裁Carlo Fontanaの関係は崩壊していた。同劇場は、ステージを改良するという、長い間待たれていた改修を祝うための素晴らしいシーズンを待ち焦がれていた。2005年のはじめ、組合による抗争が燃え上がって上演はキャンセルされ、ムーティとFontanaはもはや会話を持たなくなっていた。

プロダクションの選択、レパートリー、そしてセットのデザインについてまで、小さな論争が巻き起こった。2月までには、ムーティの求めにより、Fontanaはほぼ追い払われていた。春までには、ムーティと、Mauro MeliというFontanaの後釜でありムーティの盟友である人物は、スタッフによる不信任投票において敗北した。

ムーティは厳格な手法を持つ人種であることを貫く人間だが、すぐにスカラ座から退いた。そして、ウィーン、ザルツブルク、ロンドン、ニューヨーク、シカゴを含むクラシック音楽界で縦横に契約することに身を投じた。昨年、本紙Tribune紙によるインタビューでは、この騒乱についてほとんど何気ない様子で語っていた。詳細へ踏み込むことは拒んだ。

「あらゆることが政治的になり、すべてが統御を失っていました。特に、芸術とは何の関係もないことがそういう状態でした。こういうことは(イタリアの外では)理解することが非常にむつかしいのです...私は頑固ではありません。」こうムーティは言った。「しかし、ある時点で、妥協するよりは離任することを選びました。」

ミラノでもどこでも、この話についてインタビューされた人は誰も、この喪失を非常にさりげなく語ることはできないだろう。ムーティの記録について言い放とうとするだけの人達もいた。伝説的なArturo Toscaniniの音楽監督時代さえも凌ぐ音楽監督であった、この人間との経験について語ろうとすると、多くの人はため息をついた。

「そういった経験、そして人々がマエストロ・ムーティについて話そうとするやり方は、安っぽくて悲しいものでした。それらはムーティのような人間には受け入れがたいものでした。」友人のMeliは電話インタビューでそう語った。彼は今、パルマ王立歌劇場の芸術監督である。「おそらく、19年たてば、崩壊が訪れるのは普通のことです。けれども、どちらにも敬意が残っているべきです...スカラ座は今の彼にとっては全く過去のものです。」

「今日まで、私はこの悲しみを感じ続けています。」とCarlo Fontanaは語った。スカラ座前総裁は劇場とまた契約する前の2年間、イタリア議会で仕事をしていた。「私は支配人と音楽家すなわち芸術家との長い関係を信じています。そこにはいつも摩擦と緊張があります。それは仕事の一部です...」

「今もムーティに最高の敬意を抱いています。けれども、関係が壊れたことで、私は大きな傷を負いましたし、現在もまだそうです。」彼はルガーノへの電話インタビューでこう言った。「私にとっては、まさしく本当の切断でした。」

スカラ座はまだ、常任の音楽監督を指名していない。Daniel Barenboimはシカゴ響の前音楽監督だが、彼が事実上の音楽監督として、地位を埋めている。スカラ座当局が言うには、ムーティに代わる者は当分は見込めない、とのことである。

対照的にムーティは、どんどん進んでいくことに何の障害もなかった。ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督の申し出を、少なくとも一度は断っている。シカゴ響を引き継ぐという彼の決断は、文化上の大きな一撃として、広く知れ渡っている。

「たぶん、ニューヨークのオーケストラよりはシカゴのほうが少しいいのではないかと思っていますけれども」とJurgen Flimmは、電話インタビューでややいたずらっぽく語った。彼はザルツブルク音楽祭の総裁で、ムーティと何年も一緒に働いてきた。

「シカゴはとても幸福だといえます。...彼は世界で最高の指揮者のひとりですし、とてもとても素晴らしい人です。」Flimmは言った。

66歳のムーティは若者達を指導することに深く関わっていて、ルイジ・ケルビーニ・ユース・オーケストラを創設した。同管はピアチェンツァとラベンナでリハーサルと公演を行っている。彼は自ら若い音楽家達を選び、一緒に勉強している。彼らの最初のコンサートは2005年6月だった。ムーティと妻のCristina Mazzavillaniはラベンナで暮しているが、彼女はそこで夏の主要音楽行事であるラベンナ音楽祭を統べている。

「スカラ座を離れたことで、ムーティは大きな解放感を得ました。」とMario Salvagianiは言った。彼はケルビーニ管を統轄している。「ムーティはいつもこう言っていました。『人生と世間から私はたくさんのものを受け取りました。偉大なマエストロ達に学ぶという幸運を得てきました。若い人達を指導するという道徳的・倫理的義務を感じています。』」

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シカゴの新聞が検証するスカラ座離任(1)

マエストロ・ムーティをシカゴ響音楽監督に迎えることになったシカゴの新聞が、マエストロのスカラ座離任を検証している記事を紹介します。

ウィーンやザルツブルクでマエストロがどれほど愛されているかを見るとき、その魅力の様々な面が十分発揮されているであろうことは、想像にかたくありません。
ミラノを離れることになったのは、その抗しがたい魅力も、密度の濃い時間が長く継続することはありえない、という芸術における法則(すべてにおける法則?)には敵わなかった、ということなのでしょうか。

わたしは、鈍くさくて、さえないやり方でしか気持を示せないファンですが、ミラノやウィーン、ザルツブルク、そしてシカゴとの関係がどうであれ、マエストロとその音楽には、真情をこめて、いつまでもいつまでもついていきます。

Chicago Tribune 2008年5月25日 
La Scala scandal

ミラノという北部イタリアの中心部で彼の名前を口にしたり、伝説的なオペラ劇場における彼の統轄についてたずねると、いまだに、静まりかえってしまう。ムーティ。リッカルド・ムーティ。この言葉には影響力がある。

スカラ座の後援者達の中には、シカゴ交響楽団が新しく任命した音楽監督についてたずねられて、ただちに祝福の言葉を述べた人達がいる。半拍おいて、彼らはそれ以上話すことは拒む。一方、ムーティについて、反射的に身構えるようにしながら、疑問を呈する人達もいる。3年前にスカラ座音楽監督を追い出されているからだ。

「シカゴは幸運です。」とイタリア環境財団会長Giulia Maria Mozzoni Crespiは言った。ムーティが離任後、2005年にスカラ座に戻って最後の唯一のコンサートを行ったのは、この慈善団体のためだった。

「彼は並はずれた指揮者できわめてきちんとした人です。...私は、スカラ座のために、ミラノのために、そして我々すべてのために、とても悲しんでいます。」世界中で、イタリアのような形でオペラに夢中になっているところはない。ヴェルディやプッチーニの音楽がローマの共同住宅地区で聴こえてくる。それらはヴェニスではゴンドラの漕ぎ手によって歌われているし、世界で最も偉大なオペラ劇場の本拠地であるこの街にも縄張りを持っている。

現在チケットの売り上げは鈍化している。インターネット世代は、途方もなく高いチケット代とアリアが続く4時間もの夕べに、明らかにひるんでいる。けれども、オペラ愛好者はいまだにスカラ座に忠誠を誓っている。金色かつクリーム色のホールは、オペラ愛好者達が最高のイタリア・オペラを聴きたいと期待し、最も素晴らしい歌手達を見ることを期待しているところである。そして、著名な指揮者の激動に満ちた最終楽章をすべての人が目撃したのが、2005年、そのホールにおいてであった。

「永遠に続くことはないというのは、ほとんど芸術の法則のようなものです...劇場を離れるということはラブ・ストーリーに似ています。愛し合っていた二人が別れるのは、とてもつらいことだと言えるでしょう。」Anna Crespiは言った。彼女はスカラ座友の会財団を監督するスカラ座後援者であり、ムーティが退いたことをいまだに嘆いている。

ムーティは1986年に音楽監督、指揮者としてスカラ座にとりかかった。19年後、スカラ座の約700人の労働者が彼の解任に投票した際(3人はそう投票していない)、出て行った。

強固な解任支持者達が言うには、ムーティは非常に苦い想いを抱いて離れたため、3年たってもまだスカラ座のメンバー達に会っていない。非難していた人達はしばしば、ムーティの遺産を考慮する会話を拒む。「スカラ座は彼については何も感じません。それでおしまいです。」Sandro Malatestaはそう言った。トランペット奏者で、ムーティの統括にいらいらしていた組合の代表である。

混乱の中での終焉について、他の人達はもっと慎重だった。「そのことについて20時間話しても、何が起きたのかを正確に伝えることはできないでしょう。」とDanilo Rossiは言った。彼は42歳の首席ヴィオラ奏者で、ムーティとともにそのほとんどのキャリアを過ごしてきた。

Rossiは、一時は自分のメントール指導者であった人に言及するとき、依然として、「マエストロ・ムーティ」と敬意をこめて言うが、スカラ座の状況は、すべての人々の感情に傷を残して壊滅に向かったと語る。「単純なことではありませんでした。また、ある人達が書いていたような、戦いでもありませんでした。もはや機能しなくなった、まさしく機械のようなものでした。」Rossiはこう言った。「みんなは彼を、偉大な人格の持ち主だとはもはやみなくなっていました。誤謬に満ちた人だとみなしていたのです。」

「長くて熱烈な関係はどんなものでもそういうものです。サッカーのチーム、バスケットボールのチーム、そして歌劇場も同じです。20年間留まっているコーチはいますか?」Rossiはこう疑問を呈した。

ムーティはスカラ座での晩年は、自分の音楽的要求に徹しすぎたことで知られている。スカラ座とムーティは1世代の間、離れがたくあった。彼はこの名声ある歌劇場にとって、颯爽としてきらめくような代表に見えた。歌劇場のデリケートな内政をどう把握するかも知っていた。

ナポリで生まれたムーティは、南イタリア人としてミラノ社交界、閨閥・ビジネス・政治による濃密なレーヤーケーキのような世界を魅了した。彼は誰にどう笑いかければいいかを知っていた。パーティでも上手だった。彼を称賛する者も非難する者も認めるが、ムーティは、スカラ座で本当に問題なのは音楽でありそれがすべてだと信じていた。

ムーティはスカラ座のむらのあるオーケストラを再編し、若年化することにとびぬけた努力をした。メンバー達が言うには、その在職中、ムーティは演奏能力、オーケストラの音と構造、そして、すべての楽譜のすべての音を表現することに焦点をあてた。

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スカラ座の《椿姫》は2013年に新演出

マエストロ・ムーティが1990年にスカラ座で上演し、来日公演でも披露された《椿姫》のプロダクションは、スカラ座では6月3日からの今回の上演が最後となり、2013年には新しい演出が予定されているそうです。

マエストロは《椿姫》をスカラ座に25年ぶりに登場させましたが、このプロダクションは6回再演されました。

以上は昨日のレプッブリカ紙の記事からですが、演出のCavaniの短い回顧が載っていました。

わたしは、ヒロインの声にはいまもって「う~~む」となってしまうのですが、映像は何度観ても感動します。

2008年5月31日 la Repubblica
Alla Scala con il nuovo direttore poi Violetta si rifarà il trucco

Liliana Cavaniは、《椿姫》のよさにはすぐには気づかなかった、と言っている。「《椿姫》には子供のころの思い出があります。カプリではじめて観ましたが、私にはなじめませんでした。リッカルド・ムーティがわからせてくれたのです。彼はラベンナでピアノを弾きながら、全曲歌ってくれました。ヴェルディの頃には非常に斬新なものであったに違いなかったということが、その際にわかったのです。あまりに大胆であったとみなされたため、フェニーチェ座では非難の嵐にあったのでした。」1990年のデビューを良き思い出として持っているという。「マエストロGavazzeniは私にこう言いました。『わかっていることでしょうが、最悪の結果になったとしても、それには理由づけがあります。カラスとのヴィスコンティ版の後なのですから...。』でも、うまく行きました。二人の若くてフレッシュで非常に信頼のおける歌手(Tiziana FabbriciniとRoberto Alagna)のおかげでもありました。」

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Wednesday, 28 May 2008

スカラ座新シーズン

今日、スカラ座の新シーズンが発表になりました。

2009年9月の来日公演はバレンボイムの《アイーダ》(9月4日、6日、9日、11日NHKホール)、新シーズン開幕公演を指揮するガッティの《ドン・カルロ》(9月8日、12日、13日、15日、17日東京文化会館)、そして、バレンボイムのヴェルディ レクイエム(9月10日 NHKホール)、ガッティ(9月16日)によるオーケストラ、合唱団の特別公演です。

http://www.teatroallascala.org/it/stagioni/2008_2009/index.html?mese=09

http://www.teatroallascala.org/it/stagioni/2008_2009/tournee/giappone/index.html

2008年5月28日 ANSA
SCALA: IL DON CARLO APRIRA' LA STAGIONE

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Sunday, 25 May 2008

スカラ座時代のマエストロを知る人達の言葉

24日のシカゴの新聞は、スカラ座時代のマエストロ・ムーティを知る人達に取材しています。

スカラ座辞任を惜しみ、シカゴは非常に幸運だという声、音楽監督期間が長く続けば、いつかは訪れることという声、彼は素晴らしい人だという声、作曲家の求めているものを表現しようと言うのは簡単だが、実行するのはとてもむつかしいと深い敬意を表す声。

FAI会長Crespi、パルマ王立歌劇場総裁Meli、スカラ座元総裁Fontana、スカラ座ビオラ奏者Rossi、ザルツブルク音楽祭総裁Flimm、そしてフリットリ...などといった人達に、マエストロとスカラ座について取材しています。

マエストロは今もって、辞任の経緯を語っていません。

確かに19年間は長く、いつかは訪れた「別れ」だったと思いますが、もっと、美しく、敬意をこめたやり方はなかったのか、といまだに苦渋とともに思い出される「事件」です。

記事はあらためて紹介します。

2008年5月24日Chicago Tribune
La Scala Scandal

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Thursday, 22 May 2008

Sergio Sablich

フィレンツェといえば、2005年3月に若くして当地で亡くなった音楽研究者、Sergio Sablichの名前が出てきます。

マエストロ・ムーティやマエストロ・アッバードとも親交があり、亡くなる前の2年間はスカラ座の芸術顧問の地位にありました(そこでの業績に見るべきものがあったか、には疑問符がつきますが)。
マエストロに関連する評や記事もたくさん書いています。

彼のサイトには、マエストロがメッセージを寄せた写真も載っています。

Sergio Sablich
Immagini con dediche
http://www.sergiosablich.org/dettaglio.asp?L1=53&L2=268&L3=&id_inf=1231

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Thursday, 08 May 2008

スカラ・フィルが来日

スカラ・フィルが来日します。
チョン・ミョンフン指揮公演(9月4日、6日)がサントリーホールのサイトに載っています。
マネージメントもこれまでとは違います。

http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/perform/list0809.html#P04M1

http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/perform/list0809.html#P06M2

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Monday, 14 April 2008

スカラ座での《清教徒》

《清教徒》でスカラ座にオペラ・デビューするはずだったマエストロ・ムーティが、共演予定だったパバロッティとの不和でキャンセルしたのは、とても有名な話です。

当初のキャストのひとりで、マエストロがキャンセルした後もメンバーに残ったバスのCarlo Cavaが、そのときの舞台裏について話したことが記事になっています。
代わって歌った3人がCavaも含めてアスコリ出身であったことが、タイトルになっています。

スカラ座の1970-1971シーズンの1971年3月2日が初日で、6回上演された《清教徒》は、当初の予定では、マエストロの指揮のもと、Luciano Pavarotti 、Mirella Freni、 Carlo Cava、 Dan Iordachescoというキャストでした。

記事は、このときの経緯を次のように書いています。

パバロッティはまず最初にムーティに対して、自分は半分ほどの大きさの声か、小声で歌うだろう、と明言し、ムーティは同意しました。しかし、それは一部についての同意でした。リハーサルでパバロッティは、むしろいらいらした様子で、私はすべて小声で歌うのが当然だと言ったのです!と主張しました。ムーティについては、そのキャラクターを現在は誰もが知っていますが、彼は、指揮棒を譜面台に置き、出て行きました。続いて、パバロッティが具合が悪くなるという事態になりました。フレーニが役を辞退し、ルーマニア人バリトンのIordachescoも彼女とともに退きました。そして、Cavaだけが残りました。

2008年4月13日 Corriere Adriatico
I magnifici tre alla Scala di Milano

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Sunday, 30 March 2008

とうとう来日20回目、オペラ来日公演20年

マエストロ・ムーティがはじめてオペラの引越公演で来日したのが、1988年、スカラ座とでした。今秋のウィーン国立歌劇場来日公演はそのときから20年、そして来日公演としては20回目になります。
1975年のウィーン・フィル来日公演こそ行けませんでしたが、その後、すべての来日公演(特に東京公演)を聴けてきたことは、ファンとして至上の喜びです。

1988年来日公演の《ナブッコ》と《カプレーティとモンテッキ》の印象が、その後のマエストロのどのオペラ来日公演よりも鮮烈で感動に満ちているのは、「はじめて」ということから、しかたのないことかもしれません。《ナブッコ》はもう上演しないのでしょうか。

エンポリオ・アルマーニの古いPR誌がマエストロ・ムーティをとりあげていました。ちょうど、《トラヴィアータ》上演前の頃のマエストロのスケッチ記事で、笑顔が魅力的で素晴らしいのは、今と同じです。

emporio armani  Semestrale Magazine
settembre 1990-febbraio 1991

Riccardo Muti, entusiasmo e rigore

スカラ座での最初のシーズンの開幕に《ナブッコ》をとりあげたのは、有名な合唱曲《行け!我が思いよ》《Va pensiero》が、多くのイタリア人が考えているような、国民的連帯感を高揚させる歌ではないことを示すためだった。
「《Va pensiero》では、難民達が虐げられていることを嘆いているのです。陰鬱な悲嘆を、誰が国歌として望むでしょうか。」

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Friday, 07 December 2007

タキシード着用なしのスカラ座オーケストラ

スカラ座の初日12月7日に、スカラ座オーケストラのメンバー達はタキシードを着ず、ワイシャツ姿で演奏するそうです。喪章を腕にまいて、スカラ座当局が給与アップに応じなかったことへの悲しみ、抗議を示すとのこと。

昨日の報道なので、また状況は変わったかもしれません。

2007年12月6日 The Times
Shirtsleeved musicians protest over pay

昨晩夢中になって観た《ドン・パスクァーレ》のDVDでは、ケルビーニ管の若いメンバー達は、男性はジャケットにシルバーのネクタイ、マエストロ・ムーティもダブルブレストのジャケットに模様入りのシルバー系のネクタイでした。

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Thursday, 29 November 2007

1991年の写真展

今年12月7日のスカラ座初日に予定されていたといわれるストライキは、中止になったようです。

2007年11月28日 AP
Strikes at La Scala Called Off

スカラ座に関係した写真をたくさん撮っている写真家の、展覧会カタログについては以前紹介しました。
写真展は1991年5月25日~7月21日にアオスタで開かれたもので、カタログには、指揮者の白黒写真がひとり2枚ずつ載っています。
マエストロ・ムーティは表紙を含めて3枚。よく見かける写真ばかりです。
マエストロ・アッバードとカルロス・クライバーの写真は、1981年のスカラ座来日公演でのものです。

Silvia Lelli ・ Roberto Masotti
L'attimo prima della musica
Musumeci Editore, 1991

26日に木之下晃さんをとりあげた番組が放映されたそうですが、Lelli、Masottiの写真も、木之下さんの写真同様、生命感溢れるものです。

2007年11月26日20時 NHKhi
ハイビジョン特集「カメラで音楽を撃て~写真家 木之下晃 創造の秘密~」
http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/k/20071126/001/10-2000.html

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Tuesday, 27 November 2007

スカラ座2009年来日公演

既にイタリアの新聞では報道済みですが、2009年スカラ座来日公演は8月から9月にかけて行われ、バレンボイムによる《アイーダ》、ガッティによる《ドン・カルロ》であることが、日本の雑誌によるLissner総裁へのインタビューでも語られています。

ACT4誌21号  2007年11月25日発売号
イタリアl'opera誌特約 Teatro alla Scala

http://www.impresario.co.jp/magazine/index.html

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Saturday, 24 November 2007

ウィーンでの《リゴレット》

マエストロ・ムーティがウィーン国立歌劇場で上演した《リゴレット》の録音を聴くたびに、どうしてこの上演が不評だったのだろうか、と不思議な気持ちになります。今のマエストロからは、ウィーンでブーイングを浴びることなど、想像することさえ不可能です。

キアラさんがパルマでヴェルディについて語ったときに、この公演についても、次のように短くコメントしていました。

ウィーンでの《リゴレット》のことを覚えています。どの幕も、信じられないほどの「ブー」で終わっていました。けれども、父は楽屋で私にこう言いました。「僕はヴェルディが書かなかったものを全部取り除いただけなんだ。外国は、そういうことに慣れていないのだよ。」

2007年10月29日 Gazzetta di Parma
Verdi, una passione di famiglia

スカラ座来日公演で感激を味わった《リゴレット》が思い出されます。マエストロはあのとき、来日中の夜もリハーサルに集中していました。その様子の写真が載った記事を読み、いい公演が聴けたことにあらためて感謝しました。マエストロのサインを求めて、終演後、1時間近くもファンの長蛇の列が続いたことも、記事ではとりあげられていました。

Panorama誌 2000年9月14日号
E Verdi sedusse i gialli
La Scala per la quarta volta in Giappone

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Friday, 02 November 2007

スカラ・フィルのサイト

スカラ・フィルの新シーズンが5日開幕しますが、スカラ・フィルのサイトも少しずつ更新されていて、写真の中に、マエストロ・ムーティの写真、マエストロの2004年東京公演、2004年クアラルンプール公演の写真が載りました。

Filarmonica della Scala
Photogallery
Tournee
Filarmonica '82-'07

http://www.filarmonica.it/

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Wednesday, 26 September 2007

《偽の庭師》

マエストロ・ムーティは、スカラ座で1970年春にモーツァルト《偽の庭師》を振る話もあったとのことです(スカラ座デビュー)。

1970年2月3日 Domenica del Corriere(Settimanale del Corriere della Sera)
La Carriera Lampo di Riccardo Muti

なお、その後、1971年2月19日にベッリーニ《清教徒》(フレーニ、パバロッティ、演出フランコ・エンリケス)でスカラ座デビュー予定だったのが、キャンセルされています。

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Sunday, 15 July 2007

クリスティーナさんの真摯な反論

スカラ座で上演されたマゼール指揮《ラ・トラビアータ》で、マエストロ・ムーティの側に立つ人たちが組織的なブーイングを行った、という観測記事がいくつか書かれ、それを憤る気持ちをここで述べました。口惜しく、馬鹿げたことであり、マエストロは全く頓着していないであろうと思いながらも、その心中をいろいろ忖度して、来日中にもかかわらず、ファンとしてはつらい気持ちになっていました。

9日にクリスティーナさんが、マエストロのオフィシャル・ウェッブ・サイトでラベンナ音楽祭側の人間として、毅然と誇り高く抑制された口調で反論をしていて、感銘を受けました。
旅行中だったため遅くなりましたが、内容を紹介します。

なお、クリスティーナさんが個人名を出している人(ミラノの著名な経済人)は、記事の中で、組織的なものだ、ムーティが背後にいるとは思わないが、彼のファンがやった、彼らがラベンナだけが音楽の中心だと叫んでいることからわかる、とコメントしています。

2007年7月5日 la Repubblica 紙
"Era tutto organizzato" "No, ha diretto male"

Riccardo Muti Official Website, notizie
09 luglio 2007 Cristina Muti:"Qualcuno vuole seminare zizzania"
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=174

戦慄と恐怖の気持ちとともに、2007年7月5日のレプッブリカ紙の記事を読みました。Andrea Montanari と Paola Zonca の署名のあるもので、スカラ座で上演された《ラ・トラビアータ》における聴衆の反応について、ラベンナ音楽祭のファンに責任があると書いています。
戦慄というのは、そこに本当にラベンナ音楽祭賛美者達がいるとしたら、音楽祭の18年間の成果を危険にさらすほどにまで非常に愚かな者達だからです。その成果は、すべての偉大なオーケストラ指揮者達に関して掛け値なしの清廉さと、高い評価、堂々たる成功に満ちたものです。彼らは、アッバードからマゼール、クライバー、テミルカノフ、メータ、ショルティ、シノーポリ、ロストロポヴィチ、ブーレーズといった指揮者達で、そのほかに数え切れないほどたくさんの素晴らしく驚嘆すべき芸術家達がいて、彼らについて我々が出演を望むことができ、彼らを愛し、さらに、彼らも喜んでラベンナに戻ってくるような人達です。そういう人たちとの仕事の成果なのです。もしも、本当に言われているように、そのように愚かな賛美者達がいるとしても、容易に信じることはできません。もしも、いるとしたら、そのときは、私は、そういった危険で失望に満ちた狂信主義タイプと距離をおくことに、何の困難も感じません。
恐怖というのは、今度は、「テロリスト」が周囲をうろついていると思うからです。その存在は音楽祭の純粋さ、静寂に満ちた仕事に影を投げかけようとしています。また、音楽祭の前進に、影を投げかけようとしています。音楽祭は、無理やり前に進もうとか、是非ともいちばんになろうとして前進しているのではなく、真摯さだけにもたらされる報い・結果として前進が生まれることを自覚しています。また、素晴らしくあるよう大いに努めるならば、そうすれば、組織全体がよくなるという自覚をもって前に進んでいますし、あらゆる人々にとって大きな利点があるよう前進しています。そういった前進に影を投げかけようとしているのです。
でも、たとえ、誰かが何らかの形で騒動をまきちらすことができると思っているとしても、それはそれとして、私達の素晴らしい聴衆からそういう騒動が始まるような、そのような余地を、この我々のラベンナ音楽祭に見つけることは、容易ではないでしょう。この聴衆は今晩、マエストロ・ダニエル・バレンボイムをはじめて迎える心積もりをしていて、幾晩も音楽祭を聴いている人達はみなわかっているような、そういう熱心さを持った3500人以上の聴衆によって、びっくりするほどの売り切れぶりを見せています。そういう聴衆なのです。どうかClaudia Buccellati のような人が組織的な罠に陥ることのないよう、願っています。
親愛なるClaudia、あなたはあまりに知的過ぎて、悪事を働こうとしている人は自分の名前を大きな声で叫びながら公然とやってきたりしないものだ、ということが理解できないのです。
けれども、あなたのスカラ座への愛情Amoreは私にもあるものなのです。なぜなら、そこでの20年近い人生は素晴らしい音楽経験に満ちていて、私の心にいつもいつまでも残っているものだからです。

Cristina Muti

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Tuesday, 10 July 2007

スカラ・フィルのサイト

スカラ・フィルのサイトが新しくなっていました。
いろいろまだ工事中のページがありますが、過去の演奏記録などが見られるようになると、嬉しいです。

Filarmonica della Scala
http://www.filarmonica.it/

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スカラ座のマゼール指揮《椿姫》について

マエストロ・ムーティの来日中だというのに、ミラノ・スカラ座のマゼール指揮《ラ・トラビアータ》について、イタリア語の腹立たしい記事をたくさん読まなくてはならなかったのは、つらいことでした。
マエストロのオフィシャル・ウェッブサイトにクリスティーナさんが、ブーイングは組織的なものだとする一部の見方に、毅然と答えています。
(このマエストロ応援ブログでも憤懣やる方ない気持を述べました。)
追って紹介します。

このブーイングについては、たとえば、6日のザ・タイムズ紙、10日(オンラインは9日)のFAZ(フランクフルターアルゲマイネ紙)もとりあげています。
ザ・タイムズ紙のほうは、ブーイングが組織的だったかどうかには触れず、マゼールの指揮ぶりが天井桟敷には受け入れられず、また、ゲオルギューの歌いぶりが遠い昔のイタリアの地方歌劇場の歌い方だ、と批評したイタリアの新聞を紹介しています。
FAZ紙は、ブーイングがラベンナからバスでやってきた組織的な一団によるものだという見方をしている記事を、紹介しています。

Riccardo Muti Official Website
Cristina Muti:"Qualcuno vuole seminare zizzania"
http://www.riccardomuti.com/Notizie.aspx?idNews=174

2007年7月6日 The Times 紙
Angela’s lashes

2007年7月10日 FAZ紙
Clique und Claque

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Thursday, 05 July 2007

スカラ座の《椿姫》でブーイング

スカラ座でマゼール指揮の《ラ・トラビアータ》でブーイングが出たことについて、マエストロ・ムーティに批判的なゲオルギューがタイトルロールを歌ったことと結びつける記事が、たくさん出ています。ラベンナやピアチェンツァから来たファンたちがブーイングしている、いや、ゲオルギューの歌も指揮もよくない、など、喧々諤々です。

マエストロのファン達だからブーイングした、と言われ、書かれるのは、快い気持ではありません。

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Sunday, 29 April 2007

ミラノとトリノのコラボレーション

今年、ミラノとトリノが共同して音楽祭を行う計画が、ここ2、3週間、報じられています。
名称はMito Settembre musica、ミラノとトリノの頭の2文字とmito(神話、伝説、夢)をかけたネーミングになっています。

ミラノの文化評議員Sgarbiは、9月4日から始まるその音楽祭にマエストロ・ムーティを招きたいと話しています。
コンサートか、もしくは、先ごろ亡くなったスカラ座元総裁Carlo Maria Badiniを回想する追悼イベントとして、マエストロが登場するよう努力している、とのことです。これは、マエストロがスカラ座に戻ってくることの前触れ、前奏曲になるであろうことだそうです。スカラ座副理事長Bruno Ermolliが彼に語ったところでは、総裁Lissnerが望んでいるように、2013年のはじめにはマエストロはスカラ座に戻るだろうし、その頃にはマエストロとバレンボイムの双方がスカラ座で非常にうまくやっていることだろう、そのようになればいいが、とのことです。

2013年はヴェルディ生誕200周年なので、スカラ座にとって非常に重要な年になることでしょう。あと6年なんて、あっという間ですが...。

2007年4月28日 la Repubblica 紙
Sgarbi: tre milioni a Micheli perché lui li farà fruttare

Citta' di Torino
COMUNICATI STAMPA  2007年4月17日

MITO SETTEMBRE MUSICA, VIA LIBERA DELLA GIUNTA
http://www.comune.torino.it/ucstampa/2007/article_375.shtml

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Sunday, 22 April 2007

マエストロがスカラ座に来た頃

週末にかけて、マエストロ・ムーティがスカラ座にオペラ指揮者として登場した頃の記事を、いくつか読みました。
その最中、当時スカラ座総裁だったCarlo Maria Badiniの訃報に接しました。マエストロをスカラ座に招聘して《フィガロの結婚》の指揮をとらせ、法王の前で演奏する機会をつくり、音楽監督としてマエストロ・アッバードの後継者にすえ、スカラ座を積極的にツアーに出しました。彼についてのマエストロの言葉が聞けたら、また紹介します。

2007年4月20日 La Stampa 紙
Badini, il Gran Timoniere

さて、マエストロの記事は1981年、1982年の頃のもので、フィラデルフィア管来日公演でその若々しく、さわやかな青年ぶりにますます夢中になってしまったことを思い出させられました。
記事は、フィルハーモニア管、ベルリン・フィルが、その関係の始まりにおいてどれほどマエストロに感銘を受け、そして、その後スカラ座へ至ったかを紹介しています。ピアノを前に、スカラ座での《エルナーニ》のリハーサルやコベント・ガーデンでの《マクベス》のリハーサルを行う写真も、添えられています。
1982年のほうはインタビュー記事なので、いずれ、紹介します。

スカラ座のメンバーがマエストロについて語った言葉が1981年のほうには載っていて、懐疑的に読みました。マエストロはごく親しい人の前でしかうちとけないと言われてきました。本人も公けとプライベートの自分は違う、と言っています。それが、もしかしたら、北イタリアで働く人間から見るとこうなるのだろうか、とも思いました。
クラシックジャーナル誌最新号がトスカニーニの特集をしていて、そこでも、マエストロ・ムーティが南イタリア出身であることがトスカニーニとの関わりに影響している、という未検証意見が述べられていて、そのことを決して肯定しませんが、興味深く思いました。

記事で紹介されていたスカラ座オーケストラのメンバーの言葉は、次のとおりです。

ムーティは、彼の才能を尊敬し、その準備に敬服しているスカラ座オーケストラと、最高の関係にある。そうだとしても、メンバーのひとりは彼についてこう言う。「リッカルドの哲学は、誰も信じない、頼りにしない、信頼しない、というものです。アッバードは、信頼するべきではないことが判明するまでは、信頼をおきます。そして、リッカルドは独裁者になる傾向があります。ロンドンのフィルハーモニア管時代を経て、彼は穏やかになりました。そこでの成功が彼にいい影響を及ぼしたのです。」


クラシックジャーナル誌025号 2007年4月20日発売号

特集 20世紀システムとしてのトスカニーニ
対談:山崎浩太郎、山田治生

EUROPEO 誌 1981年4月13日号
Alla Scala fanalmente Muti

EUROPEO 誌 1982年12月13日号
Mi volete divo? Cosi' sia

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Monday, 05 March 2007

パヴィーアとマエストロ

マエストロ・ムーティとケルビーニ管は4日にパヴィーアで演奏しましたが、それに関する事前報道が3日のパヴィーアの新聞に載っていました。

マエストロはCircolo Pavia Liricaからtarga(メンバーの名札でしょうか?)を贈られます。

2007年3月3日 La Provincia Pavese 紙
Una targa da Pavia Lirica e i complimenti di Rognoni

また、パヴィーアではスカラ・フィルと何回か演奏していますし、大学から名誉学位も授与されています。それにまつわる記事を紹介します。
マエストロに対する、当時の(そして、おそらく今も)パヴィーアの強い想いが感じられる内容です。

2007年3月3日 La Provincia Pavese 紙
«Gioiello architettonico, acustica perfetta» L’elogio alla sala del Bibiena.
E una promessa: «Inciderò un disco»

「間違いなく、この街に戻ってくることでしょう。素晴らしい土地で、できればもっとここについて知りたいと思います。そして、Fraschiniにも戻ってきます。イタリアで最も美しい劇場のひとつで、並はずれた響きを備えた劇場です。」1996年11月19日の晩、聴衆の大喝采で迎えられた。聴衆はスカラ・フィルが一心に、ベートーベンの交響曲第4番と第7番の最高に美しいリハーサルを行うのを、聴きにやってきていた。マエストロ・ムーティはパヴィーアとその劇場に対して称賛の言葉を贈った。

「この劇場でグルックかモーツァルトを録音してみたいと思っています。」と彼は本紙に語った。「世界中のあらゆる地域の何百という劇場で指揮してきましたが、この劇場は本当にずば抜けています。実際、演奏者たちが自然な響きを奏でられるよう、助けてくれています。よそでは残念ながら時々起こるように、彼らの調べを乱暴に扱うこともありません。あなたたちのところに戻ってきます、間違いなく戻ってきます。」

愛情のこもった評価は大きなお返しだった。それに先立つ数ヶ月前にムーティは、その証拠に我々のパヴィーア大学から名誉学位を授与されていた。証書とつばなし丸帽、メダルが彼に「音楽学学士」の名を授けた。それは、イタリアで唯一の古音譜解読のための学校の本拠地として存在する、パヴィーア大学クレモナ校に依拠するものである。この機会に学長Roberto Schmidは、ムーティがパヴィーアやパヴィーア大学と、偶発的なものではない緊密な協力関係を続けたいと望むことを願っていた。「私は、この関係が進展し、ムーティがパヴィーア大学本部を訪れたいと望むよう、願っています。今や、彼は学部長会議に参加する資格をもったのですから...」

ムーティのパヴィーアでの最近のコンサートは、(まだスカラ・フィルの音楽監督としてだったが)、それなのに2004年5月12日にさかのぼる。チェルトーサを訪れた忘れがたい音楽の一晩だった。FAIによって企画され、そのときは当時の大統領チャンピも聴きにきた。

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Friday, 23 February 2007

スカラ座でのアンコール

ドニゼッティ《連隊の娘》のスカラ座公演で、アンコールが行われたことが大きな話題になっています。
スカラ座のオペラ上演ではアンコールを行わないという不文律があり、それをマエストロ・ムーティは2度破っているが、歌手によるアンコールは74年ぶり、という報道です。

マエストロ・ムーティのアンコールについては、また機会をあらためて紹介します。

2007年2月22日 PlaybillArts
Juan Diego Flórez Sings First Encore Heard at La Scala in 74 Years

http://www.playbillarts.com/news/article/6059.html

(この記事に続きはありません)

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Wednesday, 14 February 2007

若者には気楽に聴いてもらおう

今シーズン、スカラ座のチケットの裏側に服装への注意が印刷されることになったというニュースを、以前、紹介しました。
マエストロ・ムーティのそれへのコメント(テル・アビブでとられたもの)が、ANSA通信で報じられていました。

「重要な問題よりもむしろ、無用なことがらについて、我々はしばしば気をとられるものです。」というのが、スカラ座版「かつてへ戻ろう」に対するリッカルド・ムーティのコメントである。ミラノの歌劇場の総裁はチケットの裏側にこう印刷した。「初日にはブラックフォーマル、普通の上演では上着とネクタイを着用、女性は適宜な服装を」というコードがある、と。「若者には、音楽の最も古く歴史ある場所で、ネクタイやソックスに煩わされることなく、くつろいで聴いてもらわなければなりません。」とムーティは言った。

2007年2月13日20時4分 ANSA通信
Muti, inutile cravatta all'Opera
Dobbiamo accogliere i giovani, non preoccuparci dei calzini
(ANSA)-TEL AVIV,13 FEB

思い出すのは大好きだったテレビドラマ『マイアミ・バイス』です。スーツ(アルマーニ、セルッティ)に靴下なしの裸足のファッションが、とてももてはやされました。でも、ビジネスでも礼装でも、靴下との組み合わせは重要なファッションになっているようです。

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Thursday, 08 February 2007

演奏家のための理学療法

6日の朝日新聞にレオン・フライシャーの記事が載っていました。右手のマヒが快方に向かい、復活後、来日公演をはたしたというものです。
彼へのインタビューの中で、「音楽家は小さな筋肉を酷使する運動選手。野球やフットボールなどの選手は入念にストレッチをするが、3,4時間も練習し続ける演奏家に、それを勧める教師はあまりいない。」と語っていて、とても興味をひかれました。

2日のピアチェンツァの新聞が、スカラ座と縁の深い、ピアチェンツァの理学療法士へのインタビューを掲載していたからです。マエストロ・ムーティとも親交のあるその理学療法士たちが、スカラ・フィルの弦楽奏者、マエストロと一緒に収まった写真も載せています(サン・パウロ公演のときのもの)。
音楽家の理学療法のためにあらゆる楽器について徹底的に研究した、という彼らは、スカラ座と関わって13年になるそうです。
スカラ座のオーケストラの素晴らしい演奏を陰で支えている人たちがここにもいる、というだけでなく、演奏家の身体の酷使、同じ姿勢で長時間いなければならないことへのケアについて、音楽家への敬意とともに語っている、いいインタビューでした。

マエストロがどうケアしているかも興味津々なのですが...