マエストロ・ムーティが、イタリア国歌について語っている記事を紹介します。ブルーノ・ヴェスパによる寄稿です。
フィレンツェ歌劇場管やケルビーニ管と、イタリア国歌についてリハーサルを行っている映像が手元にあります。冒頭の太鼓の連打にこだわり、また、勇壮で早めのテンポできびきびと演奏することにこだわっている様子が、とてもよくわかります。
2009年8月21日 Il Quotidiano
Muti e l’inno di Mameli a passo di carica
《行け、我が想いよ》?リッカルド・ムーティは2011年1月に、ジュゼッペ・ヴェルディの《ナブッコ》でローマ歌劇場のシーズンを開幕させる。イタリア統一150周年祝賀の始まりで、北部同盟は、有名な《行け、我が想いよ》を国歌に格上げすることを提案してはいたが、祝賀はできれば弱めの調子でやりたいと望んでいるようだ。けれども、《行け、我が想いよ》を国歌としてふさわしくない、とみなしているのは、世界で最も偉大なヴェルディ指揮者である、ムーティその人である。他はいざ知らず、そこには実際的な理由がある。ムーティは言う。「国歌は、とりわけ、サッカーの試合の前に演奏されます。フランチェスコ・トッティが《行け、我が想いよ》を歌った後、ピッチに向かって走りだすところを、想像してみますか?」リッカルド・ムーティは申し分のないナポリっ子で、卓越したパントマイムの才能の持ち主であり、彼の素晴らしいザルツブルク邸での食事の際、爆笑してテーブルに突っ伏した。「《ナブッコ》の合唱は素晴らしく、よろしいですか、偉大な音楽なのです。」マエストロは続ける。「けれども、国歌としては軟弱です。敗北したヘブライ人達は座ったままで、『美しく、そして失われた...』故郷を嘆き悲しんでいます。それから、ヴェルディは楽譜において、ピアニッシモで演奏し、歌うよう提示しています。雰囲気は、ささよくようなものでなければならないのです。ささやいているトッティを想像してみますか?」また大笑い。
ムーティは再び続けた。「けれども、まあ、よくみてみれば、《マメーリの賛歌》は、うまく演奏されたときには、やはり美しい音楽です。私がやっているようにすれば...」既に、彼はそうやってきた。随分前に、国歌の演奏が小さな論争をまきおこしたことがあった。フランチェスコ・コシガ大統領の頃で、彼のドイツ人同僚に栄誉を表したコンサートをサンタ・チェチリアで催した。セルジュ・チェリビダッケが指揮をした。ドイツの市民権を持ったルーマニア生まれの素晴らしい指揮者だった。《マメーリの賛歌》を、弦楽器だけで、苦痛なほどの緩慢さで演奏した。自分はそのとき好きになれなかった、と私はムーティに語ったが、彼は、軽蔑と面白そうな皮肉の入り混じった視線を私に浴びせかけた。それはこういう意味を伝えたかったようだった。「何ひとつわかっていない...。」
今、ザルツブルクで話を再び続けている。彼は、《マメーリの賛歌》を非常に遅く演奏した他の有名指揮者達を列挙し、こう言った。「でも、違います。《マメーリの賛歌》は断固とした急ぎ足で演奏されるものです。」そして、冒頭を振って見せた。「太鼓の連打で始めます...」妻のクリスティーナが加わってきた。ローマ市長ジャンニ・アレマンノとの話し合いに立ち会っていた。ローマ歌劇場を率いることについてムーティと決めるために、ここまで乗り込んできたのだった。長い間、チェリビダッケに関してはムーティに一理あると確信している。
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