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sabato 21 marzo 2015

Andrew Patnerを悼む

マエストロ・ムーティがAndrew Patnerを悼みながら、シカゴ響とモーツァルト レクイエムを演奏したことが記事になっています。

マエストロはお互いの考えを交換するPatnerとの会話をいつも楽しんでいた、とのことでした。そういうことがシカゴでできる稀な人を失ったことはとても悲しい、と言っています。
マエストロが子供の頃はテレビなどなく、土曜や日曜の午後は広場や学校の外で教師たちと話したものだった、と語っています。

中学生、高校生の頃、放課後、教員室や科目教官室(高校は科目ごとに教官室がありました)で先生たちと社会や本、教科などの話をするのがとても楽しかったので、マエストロの言っていることには大いに共感を抱きます。
マエストロは人と話すのが本当に好きですよね。

マエストロ(最近、医者であるお兄さんを亡くしたことも語っています)は、故郷に帰ると、墓地に行って、いろいろな墓碑銘を好んで読むのだそうです。いつも感銘を受けるもののひとつが、父が非常に早くに亡くなった息子へ捧げた言葉で、消えてゆくのは生ではなく、死だ、というものだとのこと。
生きていること、今の現実の世界が地獄であり、死ぬことで地獄を離れ、(生へ)戻ってゆくのだ、と息子に語りかけているのだ、とマエストロは語っています。
マエストロによれば、南イタリアでは死の感覚を身近にもちながら成長してゆく、だから、レクイエムを指揮するときは、生と死が非常に緊密な関係にあるというこの概念を伝えるようにしている、とのことです。

マエストロは以前から、自分の死は怖くない、と語っています。
信仰をもたないわたしには、死を怖く思う気持ち、死後の世界での安寧を願う気持ちを理解はできても、感情としての恐れや願いは持ち合わせていません。マエストロとは対極的なニヒリズム(ニーチェのようなものかどうかは別として)かもしれない、とずっと考え続けています。

2015年3月9日 new city music
Offbeat: Aimard Returns to Boulez, Muti Mourns Patner

http://music.newcity.com/2015/03/09/offbeat-aimard-returns-to-boulez-muti-mourns-patner/

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