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domenica 26 luglio 2009

Moise et Pharaon (2)

ザルツブルク音楽祭の2009年年鑑に載った、マエストロ・ムーティへのインタビューの続きを紹介します。

マエストロがなぜロッシーニの《モイーズとファラオン》を今年の夏演奏するのか、ザルツブルクの新聞にも22日、同じような記事が載っていました。

2009年7月22日 Salzburg Nachrichten
Riccardo Muti schätzt „Rossini serio“

マエストロの中にあるイタリア・オペラの伝統、それに対するマエストロの厳しく、真摯な姿勢を想う時、高音を歌わせない、といったような批判(きちんとした検証さえ経ていない以上、「批判」とさえいえないのですが)は、本当に瑣末で、一部しかみていない、悲しい先入観の典型であるように思えます。

Unterwegs 2009
Like a fresco by Raphael

ムーティが、とりわけてこのロッシーニの作品をザルザッハ川のほとりに持ち込んできたのは、偶然ではない。彼はこれを、ナポリ派音楽の作品を中心に据えている、ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭で創り出そうと努めている、モザイクの一部だとみなしている。なぜなら、ロッシーニは「チマローザやパイジエッロ、ヨンメッリの世界」からやってきたからである。「ロッシーニは、モーツァルトにとって重要な手本役でしたが、それはケルビーニ、スポンティーニに続くものです。ナポリ派音楽なくしては、モーツァルトは理解できませんし、グルックなしでは、ケルビーニやスポンティーニはわかりません。ナポリ派音楽を理解すれば、ロッシーニが別の文脈から見え、ロッシーニを生んだ世界に気づきます。ロッシーニの喜劇オペラは、イタリアの伝統に由来を持つものです。その伝統はシューベルトを非常に鼓舞しました。一方、グルックは後のすべてのオペラ作曲家達、ケルビーニであろうと、スポンティーニであろうと、ロッシーニのオペラ・セリアであろうと、それらすべてにとっての創始者です。グルックの独創的な作品は、言葉と音楽の間における、原型ともいえるような関係に力点が置かれています。彼の音楽は技巧や見せ物のために書かれたものではなく、むしろ本質的なものを表しているのです。」

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