« Wiener Singverein | Principale | シカゴ響の音楽監督就任 »

lunedì 5 maggio 2008

カラヤンの想い出(4)

マエストロ・ムーティがウィーン楽友協会機関誌でカラヤンについて語っている記事の、続きを紹介します。

マエストロはここでも、ピリオド奏法を好ましく思わない態度を表明しています。

ピリオド奏法がいつ全盛を極めたのか、あるいは今も全盛なのかどうかは知りませんが、マエストロの演奏を時代遅れだと批判する評論家、音楽ファンは、今でも少なくないようです。ピリオド奏法、もしくはその洗礼を受けた演奏とは全く距離をおいた演奏をしていることが、その理由のひとつだと思われます。

Musikfreunde 2008年5・6月号
Das Geheimnis der Selbstverständlichkeit
Riccardo Muti

後に彼は、ザルツブルク音楽祭における自分の《ドン・ジョバンニ》プロダクションについて、続けて指揮することを私に任せてくれました。1980年代の終わりには、カラヤンとベルリン・フィルとの間に危機が訪れました。75歳の誕生日に際して、コッリエーレ・デッラ・セーラ紙はカラヤンについて今まで以上に大きな記事を載せようとし、私にインタビューを依頼してきました。数日後、親愛の情のこもった素晴らしい手紙をカラヤンから受け取りました。今も宝物のように大切にしています。その指揮ぶりに関し、私が的確に考えを表明したことについて、彼は非常に感銘を受けたと書いていました。そして、本当に多くの評論家についても、彼らが非常に明確に、そして、根拠をもって自分の意見を表明できたら、と願っているとのことでした。

―数年前のインタビューであなたは、フルトヴェングラー、トスカニーニ、カラヤンを、前世紀における最もすぐれた三人の指揮者とみなしていました。カラヤンの特別なところは何ですか。

フレージングにすぐれているところです。それは時として、洗練された印象を与えますが、決してわざとらしくなく、常に自然で人を頷かせるものがあり、とりわけ、音の響きと色がそうでした。彼のフレーズのスタイルは常に、徹底的に考え抜かれた結果でした。彼のフレーズが当然のものとして説得力をもっていた秘密は、そこにあります。

―まさに、音の響きに関するところ、ここが、とりわけ、バロックや古典派の作品において、カラヤンの称賛派、批判派が分かれるところです。あなたはどのように見ていますか。

歴史に則って音楽を実践することは尊重すべきだとしても、しかしながら、どんな人にも自分が感じたように表現する自由があります。カラヤンは、19世紀終わりにまでさかのぼるロマン派の、究極の代弁者です。今日では、すべてが、古楽器と歴史的奏法実践に向かい、それ以外にはともかく何も認められていません。私も、音楽における原理主義は好みません。たとえ、カラヤンによるヴィヴァルディの《四季》やロ短調ミサの解釈が、今日的な理解からすれば文献学的・原典考証上は正しいとはいえないとしても、私には、人を感動させる力に乏しくて正しく再現されたものよりも、カラヤンによるもののほうが、好ましいです。文献学的に正しいとしても、そこでは、数分たてばもう、表現がどう展開されるかわかってしまうのです。確かに、体系的な演奏ではありますが、インスピレーションに欠けています。私はホラティウスの側に立ちます。物には程あり、中庸を。
カラヤンは両者から何らかのものを受け取りました。トスカニーニからは、明確、純粋、正確を、フルトヴェングラーからは、ロマン派的なスタイル、ロマン派の疾風怒濤を受け取り、そこから自分の個性的なスタイルを発展させたのです。

|

« Wiener Singverein | Principale | シカゴ響の音楽監督就任 »

Commenti

Scrivi un commento



(Non visualizzato con i commenti.)


I commenti sono moderati e non appariranno su questo weblog fino a quando l'autore non li avrà approvati.



TrackBack


Di seguito i weblog con link a カラヤンの想い出(4):

« Wiener Singverein | Principale | シカゴ響の音楽監督就任 »