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79 post da gennaio 2006

martedì 31 gennaio 2006

フィラ管新シーズンのコンサート

フィラデルフィア管の2006-2007シーズンの詳しい内容が、同管のサイトに載っていました。

http://www.philorch.org/cgi-bin/lgcal.fcg?group=poa02;style=poa02e;file=poa02e_schedule.ttml

2006年11月2日、3日、4日20時 フィラデルフィア、フィラデルフィア管
Muti Returns
SCHUBERT Overture to Rosamunde
SCHUBERT Symphony No. 4 ("Tragic")
HINDEMITH Nobilissima visione
STRAUSS Death and Transfiguration
Verizon Hall

2006年11月7日20時 フィラデルフィア、フィラデルフィア管 
Muti Encore
Verizon Hall

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AFP配信のザルツブルクでの写真

AFPが、マエストロ・ムーティのモーツァルト生誕250周年コンサートの、リハーサル写真を配信しています。

http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/060130/photos_ennew_afp/060130155329_ln0ukxwh_photo0

2006年1月30日10:30 AFP
50,000 fete Mozart's 250th birthday

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lunedì 30 gennaio 2006

フレミングとはリハーサルすらしていない

29日のニューヨークタイムズ紙が、マエストロ・ムーティのザルツブルク聖霊降臨音楽祭(聖霊降臨という正しい訳に直しました。申しわけありません。2006年1月31日5時35分追記)への関わりと、フレミングのキャンセルについてのマエストロのコメントを報じていました。

同音楽祭についての同紙の記事は紹介済みの内容がほとんどですが、オペラは2回上演される予定だとあります。ラベンナ音楽祭をこのプロジェクトのパートナーに選んだのは、そこに住んでいるからではなく、ラベンナが大好きだし、魚がおいしいからだ、と語っていました...。

また、フレミングの直前のキャンセルについては、自分は何もしていない、彼女とリハーサルもしていないし、自分が到着したときには彼女は既にザルツブルクを離れた後だった、と語っています。ただ、プログラムは1年前に決まっていたのに、どうしてはるばるニューヨークからザルツブルクに来なければ、作品のひとつが自分の声域に合わないとわからなかったのだろう、理解に苦しむ、と言っています。
また、その作品を彼女のために差し替えることに消極的だったモーツァルト財団には共感できる、モーツァルトにとってこの作品は意義深いもので、特別にピアノによるオブリガートを加えているほどで、自分でピアノを演奏してみてそれがわかった、とも語っています。

同紙の記者は、(こりもせずに)スカラ座で起きたことについてたずねたようで、マエストロも、いつの日か本当に起きたことを語ろう、と言いながら、深入りしなかったようです。
嬉しかったのが、スカラ座のオーケストラや合唱団のメンバーから、今年ほどたくさんのクリスマスカードを受け取ったことはない、と語っていたことでした。

2006年1月29日 New York Times 紙
Muti Named Director of Pentecost Festival

A Few Mysteries Resolved Before Parting

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フィレンツェの新総裁と新芸術監督

フィレンツェ五月音楽祭歌劇場のサイトによれば、新総裁と新芸術監督が30日の記者会見で発表されました。

新総裁はFRANCESCO GIAMBRONE、芸術監督はPAOLO ARCÀです。PAOLO ARCÀがスカラ座を去って、ジェノバのTeatro Carlo Felice へ行ったときには驚きましたが、本人は任期が満了したからと語っていました。
フィレンツェでまたマエストロ・ムーティと仕事をする機会ができるのは、とても興味深いことです。

News, Teatro Maggio Musicale Fiorentino 2006年1月30日
GIAMBRONE NUOVO SOVRINTENDENTE DEL MAGGIO MUSICALE FIORENTINO, ARCÀ DIRETTORE ARTISTICO

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ザルツブルク音楽祭首脳は楽観視?

来年から3年間マエストロ・ムーティがリードをとるザルツブルク聖霊降臨音楽祭について、今日のザルツブルクの新聞も記事を載せています。

当初ハンプソンに同音楽祭をまかせようとしていたことはここでも報じられていました。また、マエストロがPfingstenというドイツ語をまだなめらかに口にできない、とも書かれています。資金面については深刻な問題になっていないようで、Flimmにとって頭痛の種ではなく、そのときはそのときで自分のアウディを売る、と言って笑っていたそうです。

ザルツブルクの新聞ですから、友好的な論調です。それでも、スタンダード紙を読んだのは未明、早朝だったので、少し深刻に考えすぎたのかもしれません。

ケルビーニ管というオーケストラを創設し、今度は音楽祭をまるごと引き受ける、というのは、これまでのマエストロにない、新しい面です。結局、のんびりシットバックといった演奏活動など送るはずもなく、こうやって、次から次へと道を拓いていこうとするマエストロです。ファンとしてどんな世界をマエストロに見せてもらえるのか、期待は高まるばかりです。できるのがお祈りばかりなのが、申しわけなくて...。

2006年1月30日 Salzburger Nachrichten 紙

Festival der Ausgrabungen

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ナポリ派の作品は魅力に満ちている

ザルツブルク聖霊降臨音楽祭のプロジェクトについて、ORFのINFORADIOに短いニュースがあり、Hinterhauserのコメントとマエストロ・ムーティのコメント(少しだけ)が聞けます。

2006年1月30日7:00 OE1 ORF INFORADIO
Pfingsten und Barock

http://oe1.orf.at/inforadio/60692.html?filter=0

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2月16日のプログラム

2月16日にピアチェンツァで行われるマエストロ・ムーティとケルビーニ管の演奏会は、プログラムにヒンデミット《至高の幻想》が加わったようです。

2006年1月30日 Liberta' 紙
Soddisfatta l'assessora Calciati
La Cherubini con Muti a Salisburgo: Piacenza sarà in primo piano

Mozart  Divertimento per archi in re maggiore K 136
Haydn  Concerto per violoncello e orchestra in do maggiore
      solista Massimo Polidori
Hindemith   Nobilissima visione suite dal balletto
Rossini   Sinfonia dal Guglielmo Tell 

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がんばれ、マエストロ!

紹介済みのAPA通信が報じるザルツブルク聖霊降臨音楽祭の記事からも、この音楽祭が首脳陣の悩みの種であるらしいことが十分うかがわれましたが、今日紙で出るスタンダード紙が、マエストロ・ムーティが登場した経緯をとてもとても簡単に書いていました。

この音楽祭に悩むザルツブルク音楽祭首脳陣は、ハンプソンに打診してまず断られ、そこで、マエストロがナポリ派音楽演奏のアイデアをもちかけ、3年間、マエストロがすべての演奏会を引き受けることになり、オペラも上演することになった、というものです。
スポンサー探しがいちばんの問題で、ファンとして冗談だと一笑にふすことができないのが、財政がたちゆかなくなれば、Flimm次期総裁はそのアウディを売らなければならなくなる、という記者たちが大笑いしたに違いないコメントでした。
マエストロほどのスター指揮者なら、オペラをやるにしてもスポンサーが見つかるだろう、という首脳陣の言葉(Rabl-Stadler)は、本当に重い意味を持っています。

ただ、マエストロはザルツブルクでナポリ派音楽を演奏できることをひたすら心から喜んでいるようで、長年の夢が実現する、と語っています。
がんばれ、マエストロ!

2006年1月29日18:54 der Standard
Mutig mit Muti
Die Zukunft der Salzburger Festspiele: Das neue "Haus für Mozart" bleibt beinahe im Kostenrahmen, "Mozart22" verkauft sich äußerst gut. Und ab 2007 sorgt Riccardo Muti für einen neuen "Spirit" zu Pfingsten

2006年1月29日付 il Mattino 紙
Muti:Porto la mia Napoli a Salzburgo

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domenica 29 gennaio 2006

ザルツブルクでの記者会見

27日の演奏のインターネット放送が終わりましたが、早く全曲聴きたいと、DVDの発売が待ち遠しいです。昨日のイタリアの新聞が書いていたように、本人が生きていれば、きっと喜んだことだろう、というような演奏会でした!

28日にザルツブルクで行われたマエストロ・ムーティとザルツブルク音楽祭首脳の記者会見について、イル・ジョルナーレ紙が少し詳しく報じています。これまで紹介した記事になかった部分を以下に簡単に書いておきます。ケルビーニ管が67人と紹介されているのが意外でした。
本当に、資金面で心配のないことを祈っています。

2006年1月29日付 il Giornale 紙
Idea-Muti: esporterà a Salisburgo le opere del Settecento napoletano

記者会見の資料のホルダー(cartella)が3年間のプロジェクトを象徴していて、活発に活動しているベズビオ山の油絵の上方に、「ザルツブルク音楽祭」とアール・デコのロゴで書かれている、とてもエレガントなものだそうです。

ザルツブルク音楽祭次期総裁のFlimmは、マエストロと一緒にナポリの図書館でナポリ楽派の手稿を見ていますが、古くて横長の楽譜で「スカルラッティが書いた音楽に手で触れることができた」、と思い出しています。

ナポリ~オーストリア~ウィーンの精神の中で修養を積んだマエストロは、こう言及しています。「スカルラッティは1700年代オペラの父で、メタスタージオはウィーンで宮廷詩人でした。ナポリはマリア・テレジアの娘、マリア・カロリーナの下で、比類のない芸術的頂点に達していました。ヨーロッパは今その音楽上のアイデンティティを失いつつあり、アメリカも同じですが、今ここでは、我々はヨーロッパのアイデンティティを探さなければなりません。」

2007年に上演する予定のチマローザのオペラは、ボッカチオによる《カランドリーノの帰還》(訳注:暫定訳です)で、ローマのValle 劇場からプラハ、ドレスデンに到るまで成功を収めているけれども、1700年代はオペラの世界ではイタリア語が国際語で、音楽上はナポリ派が国際的で、それは、モーツァルトが「ナポリで成功しようとした」ほどです、とマエストロは語っています。一方ウィーンは、ベートーベンとその仲間たちによって、コンサート、演奏会についてはヨーロッパの中心になっていたが、またロッシーニを賛美する街でもあったと記事にあります。

このプロジェクトは経費が少ないという特徴を持っていて、それは、オーケストラ譜もパート譜も手稿が使えて、印刷の必要がないから。お金の面については、スポンサーは安心していられることだろう、と記事は結ばれています。

(この記事に続きはありません)

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落胆

27日の演奏会のインターネット放送が、接続が悪くて聴けません...。
しかも番組プログラムを見ると、協奏交響曲がありません!
うまく接続できるといいのですが。

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ザルツブルク・バロック音楽祭

マエストロ・ムーティのザルツブルク聖霊降臨音楽祭でのプロジェクトについて、今日のCorsera 紙も記事を載せていました。(この女性記者は本当によくマエストロを追いかけていて、もちろん、ほかにも音楽関係の記事を書いていますが、署名を見かけるのが楽しみです。)
ザルツブルク音楽祭の首脳がケルビーニ管の演奏会を聴きに来て、ラベンナ音楽祭との共同プロジェクトについて協議した、という記事や、同首脳がマエストロと一緒にナポリを訪れた際に図書館を訪れていた記事について、その一部をここでも紹介しましたが、このような計画が進行していたのか、とやっと合点がいった次第です。
プロジェクトがどうか成功しますように。何かファンとしてできることがないか、探してみたいと思います。(聴きに行くことが、もちろん、いちばんですが、月末とは...)


2006年1月29日 Corriere della Sera 紙

Il maestro annuncia una collaborazione per il Festival di Pentecoste
Muti: con la Cherubini a Salisburgo

ヘルベルト・フォン・カラヤンに親しまれた聖霊降臨音楽祭のために、ヨーロッパの新しいアイデンティティ。ザルツブルクとナポリの音楽上の友好関係が、3年間のプロジェクトとともに2007年に始まる。主役はリッカルド・ムーティとルイージ・ケルビーニ管。ムーティはナポリで生まれ、ナポリ音楽院Conservatorio San Pietro a Maiellaで学んだ。ケルビーニ管はムーティによって創設され、2005年6月デビューした。

目的は、ナポリとオーストリアの間で1700年代には強かった音楽的関係を新たに結ぶこと。当時は多くの作曲家がウィーンでは身内同然だった。そして、とりわけ目指しているのが、栄光のナポリ楽派のオペラや作曲したものを再発見すること。それらはChiostro dei Girolamini、ナポリのGirolamini修道院( Padre Ferraraが修道院長)の図書館に保管されていて、同図書館はムーティ自身にも、そしてJürgen Flimm (2007年からザルツブルク音楽祭総裁)、 Markus Hinterhäuser (同じく芸術監督)に 、彼らのナポリ訪問時に、Alessandro Scarlatti、 Leonardo Leo、 Donato Ricchezza、 Nicolò Jomelli など、忘れられていた作曲家たちの貴重な手稿を見せていた。

「2007年にはチマローザのIl ritorno di Calandrino 《カランドリーノの帰還》(訳注:暫定的な訳題)を上演します。オペラ・ブッファで現代のことを象徴していて、台本はGiuseppe Petrosellini が書いています(彼はモーツァルトの《偽の女庭師》を書いています)。また、宗教曲としては、ヨーロッパではオペラの父と言われたアレッサンドロ・スカルラッティの、顧みられてこなかったオラトリオを演奏します。」ムーティはケルビーニ管のことを想い起こしながら、先回りして言った。ケルビーニ管は、イタリア中の30歳以下の若い音楽家たちによって構成され、ピアチェンツァに停泊して歓迎され、夏はラベンナ音楽祭に客演している。同音楽祭は3年間にわたるこのプロジェクトのパートナーである。

「スカルラッティの手稿を見れば、その完璧なことに驚きます。楽譜を印刷しなくても、総譜として、またオーケストラのパート譜として、そのまま演奏に使えると言っていいでしょう。」ムーティはこうも言った。ウィーンとオーストリア、ナポリの間の関係が持つ精神に、ムーティはナポリ音楽院の若い学生だった頃から魅せられ、その中で修養を積んできた。

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ウィーン・フィル演奏会中継

2月26日のマエストロ・ムーティのウィーン・フィル演奏会が、楽友協会からインターネット中継されます。

昨秋の来日公演で心を奪われたヒンデミットとモーツァルトの協奏交響曲が聴けるのが、とても嬉しいです。三曲目はバルトークの二つの映像。
2月のNHK-FMでは放送予定にはいっていないようですが...。

2006年2月26日11時03分(日本時間19時3分) OE1,ORF
Matinee live
Wiener Philharmoniker, Dirigent: Riccardo Muti;
Rainer Honeck, Violine;
Tobias Lea, Viola.
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia concertante Es-Dur, KV 364
Paul Hindemith: Nobilissima Visione
Béla Bartók: Deux Images, op. 10

(Übertragung aus dem Großen Musikvereinssaal in Wien)

なお、今日放送されるのは27日の演奏会で、日本時間19時3分からです。
27日の演奏会は、やはり、インターネットで同時中継されていたそうです(WQXR)(クラシック招き猫掲示板に、聴かれた方の書き込みがありました)。残念。

http://oe1.orf.at/programm/?datum=20060129

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1年にひとつのナポリ派オペラ上演

マエストロ・ムーティが2007年から3年間、ザルツブルク聖霊降臨音楽祭の芸術監督に就任することについて、DPAはオーストリアの報道とは別のことも報じています。

会場は祝祭小劇場を使うこと、1年にひとつのオペラを祝祭小劇場で舞台上演すること、マエストロは宗教曲や教会音楽の上演を宗教的な場、公共的な場でしたいと考えていること、などが報じられています。

マエストロは、かつて過去は活発に行き来していたナポリとオーストリアの文化交流が、これを機に復活し、再び息をふきかえすことを意図していると語ったそうで、それは、新しいヨーロッパ主義の精神にふさわしい、と記事は結ばれています。

2006年1月28日 DPA 通信
Stardirigent Riccardo Muti erhält neuen Job in Salzburg

Mit dieser Initiative werde eine lebhafte kulturelle Verbindung zwischen Neapel und Österreich wieder belebt, die in der Vergangenheit rege gepflegt worden sei, sagte Muti. Dies entspreche einem neuem europäischem Geist.

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ナポリ派音楽がテーマ

28日午後、ザルツブルクで記者会見が行われ、2007年から2009年のザルツブルク聖霊降臨音楽祭に、マエストロ・ムーティが芸術監督として登場することが発表されたことを、オーストリアのニュースが詳細に報じています。

音楽祭側は、会場としては祝祭大劇場を使うのではなく、大きくてもHaus für Mozartぐらいを考えていること、マエストロはナポリ派作曲家の手稿、オリジナル楽譜をもとに演奏できると考えていること、音楽祭側はオーケストラのケルビーニ管はもちろん、演出家、ソリストも若いイタリア人を使うつもりであること、予算をいろいろな面で抑え気味にするにしても(出演者の若さ、ラベンナ音楽祭との共同など)、オペラを聖霊降臨音楽祭で上演するためにスポンサーを探すのなら、指揮者はマエストロがいいだろうと音楽祭側は考えていること、などが報じられています。

マエストロはナポリとオーストリア、両文化の伝統的な結びつきを長い間心にかけていた、とこの出演の意図を語ったようです。

ラベンナとの共同とはいえ、イタリアではなくザルツブルクで、というところが、マエストロのオーストリアでの大きな支持を物語っています。
ナポリ派音楽の集中上演については、スカラ座で、あるいは、パヴィアで、アン・デア・ウィーンで、といくつもの計画あるいは希望の変遷を経て、やっと、ザルツブルクで実現することになりました。マエストロの喜びはどれほどかと、ファンとしてもとても嬉しいです。おめでとうございます、マエストロ!

2006年1月28日 Salzburger Nachrichten、APA
Muti künstlerischer Leiter der Pfingstfestspiele

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ザルツブルクでの記者会見の写真

マエストロ・ムーティのザルツブルク音楽祭に関する記者会見の写真が、AP通信から配信されています。音楽祭首脳とともに、ケルビーニ管の登場などを発表したのでしょうか。記事の詳細が楽しみです。

http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/060128/482/vie13101281547

(この記事に続きはありません)

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ザルツブルク聖霊降臨音楽祭にケルビーニ管

ザルツブルクの聖霊降臨音楽祭に、マエストロ・ムーティとケルビーニ管が来年から3年間、登場します。ラベンナ音楽祭との共同活動から生まれたものです。期間は5月25日~28日。
来年はチマローザのオペラとスカルラッティのオラトリオを演奏します。

2006-01-28 17:59 ANSA 通信
Muti a Salisburgo con la Cherubini
Per 3 anni, prime apparizioni con opere Cimarosa e Scarlatti

portera' l'anno prossimo l'opera di Cimarosa 'Il ritorno di Calandrino' e un oratorio di Scarlatti

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sabato 28 gennaio 2006

27日はスタンディングオベーション

27日のマエストロ・ムーティのコンサートについて、イタリアの主要な新聞が記事や評を載せていますが、オーストリアのほうはまだのようです。
ザルツブルクORFが簡単に報じています。最後は聴衆のスタンディングオベーションに終わったこと、聴衆はマエストロとウィーン・フィルに感嘆したに違いないこと、なぜなら、2時間半もの間、変わらぬ注意深さを持って演奏し、《ハフナー》に見られたように、細部に到るまで独自の色合いに染められていたから、と書いています。
ザルツブルクで行われた、サウンド・オブ・ヨーロッパという会議に出席した政治家達も聴きにきていたそうですが、マエストロとウィーン・フィルの緊密な関係を余すことなく披露したコンサートになったようで、明日、インターネットラジオで聴くのが楽しみです。

2006年1月28日 Salzburg ORF
MOZART-GEBURTSTAG
Standing Ovations bei Festkonzert

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NYタイムズ紙の27日の評

27日のマエストロ・ムーティのコンサートについて、時差の関係か、ニューヨークタイムズ紙が比較的詳しい評を載せていました。

バルトリに対しては少し辛口ですが、内田光子さんがオーケストラとともに伴奏を務める"Ch'io mi scordi di te" のピアノを聴くと、モーツァルト財団がフレミングを交代させてまでも当夜この作品を演奏したかった理由のひとつが、ここにあるとわかるようです。

マエストロ・ムーティについては、オーケストラを感じ入ったかのように聴いていることがしばしばあり、ゆっくりしたテンポの部分では指揮そのものをとめて、オーケストラを妨げないようにしていたことが何回かあった、と記述しています。昨秋の来日公演でもよく見られたシーンです。

Mr. Muti opened the second half of the program with Mozart's "Haffner" Symphony, conducted with flair and drive. When Mr. Muti joins the Vienna Philharmonic in Mozart, he often seems to be listening in admiration as much as conducting. Especially in slow movements, he tends to stop his baton or even drop his arms and let the orchestra play unimpeded, as he did several times here.

2006年1月28日付 The New York Times 紙
In Salzburg, a Warm Birthday Party on a Cold Night

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バレンボイム、入院

バレンボイムが、ベルリンのモーツァルト生誕記念コンサート直前に入院した、というニュースが流れていました。

小澤さんに続き、バレンボイム。マエストロ・ムーティもどうか健康にお気をつけくださいますように(ちょっと顔がほっそりしたようですが...)。

2006年1月28日付 00:12 ANSA 通信
Barenboim e' in ospedale di Berlino
Avrebbe dovuto dirigere concerto per 250 anni nascita Mozart

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バルトリ

27日のマエストロ・ムーティ指揮によるモーツァルト生誕250周年記念コンサートは、フレミングの直前のキャンセルが大きな話題を呼びました。
ニューヨークタイムズ紙は、どうして声域に問題があることをわかるのに、フレミングは直前になるまでかかったのか、問題の作品のほかは彼女が歌えばいいのではないか、この交代にムーティはどんな役割を果たしたのか、など、合衆国の国民的歌手ともいえるフレミングの交代に疑問を突きつけていました。また、同国の大きなオペラの掲示板では、フレミングはなぜ直前になるまで作品の声域が自分に合わないことに気づかなかったのか、そういう理由による最直前のキャンセルはプロフェッショナルといえるのか、といった批判的な声まで聞かれるほどでした。

今日のレプッブリカ紙は、リハーサル開始前日の交代だったにもかかわらず、曲目が彼女が完全に消化していたものであること、声の技術、声の美しさ、知的な表現を称え、マエストロをしのぐほどの分量の評を書いていました。
スカラ座再開公演《見出されたエウロパ》、フェニーチェ座再開記念コンサートへは残念ながら出演しなかったバルトリの歌が、マエストロの指揮で観られるDVDが本当に楽しみです。

2006年1月25日付 The New York Times 紙
Fleming's Sudden Departure Raises Questions

2006年1月28日付 la Repubblica 紙
Inaugurato il 250esimo anniversario. E il maestro Harnoncourt accusa: "Basta sfruttare Mozart" Salisburgo, tra festa e polemiche il compleanno del divino Amadeus

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キアラさんとモーツァルト

キアラさんがデビューして間もない頃の、1996年のインタビュー記事を面白く読みました。
素の姿のカジュアルな雰囲気で微笑んでいる顔は、マエストロ・ムーティそのままでびっくりするほどです。
1973年2月26日生まれで、1996年当時はユベントスの大ファンでスタジアムにまで応援に行くほど、ムーティ家の中でいちばんのカルチョ熱の持ち主だったとのことです。11歳のときからクリスティーナさんに歌とピアノを習い、ラベンナのliceoでアートを学んだ後ミラノへ移り、パオロ・グラッシの学校で演劇を二年間学び、さらにストレーレルのピッコロ・テアトロで二年間演劇を学び、1995年デビュー、というのがその頃までの簡単な経歴です。当時はお兄さんと一緒にミラノに住んでいました。趣味のひとつはお菓子作り。

キアラさんが演劇に目覚めたのが、まさに、マエストロ・ムーティがスカラ座で上演した《フィガロの結婚》のときでした。まだ10歳くらいで、ストレーレルとマエストロが重ねるリハーサルを間近に見ながら、即座に女優になろうと決めたそうです。
もともと、幼少の頃は普通の子供のような遊び方を母親のクリスティーナさんとはしていなくて、モーツァルトやヴェルディについて話をし、歌い、果ては、台本を用意し、洋服ダンスから探し出したそれにふさわしい衣装まで着たとのこと。4歳のときからマエストロのリハーサルを見学に行き、夜中の2時までそこにいたこともあるそうです。

トスカーナ地方の言葉を使って、父であるマエストロをbabboと呼ぶのは当時も今も変わりませんが、いい女優になってほしいな、と思います。

EPOCA 誌 1996年12月20日号
Chiara Muti
Scusa, papa', ma io preferisco il cinema.

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venerdì 27 gennaio 2006

モーツァルトが幸せを運んできた

今日、ザルツブルクでモーツァルト生誕250周年記念コンサートを指揮するマエストロ・ムーティの、コンサート前の唯一のインタビューをスタンパ紙がとりました。

モーツァルトを演奏したいくつかの機会が、マエストロの音楽人生において大きな役割を果たしていることについても、語っています。
フィレンツェ五月音楽祭管デビューとなったリヒテルとのモーツァルトの演奏が、同管常任指揮者をマエストロに要請するきかっけとなり、マエストロはモーツァルトが運をもたらした、話しています。マエストロにとってモーツァルトのオペラの最初の上演も、フィレンツェで《フィガロの結婚》。その上演を勧めたシチリアーニは、マエストロにスポンティーニやケルビーニといった、その演奏家人生の根幹をなすことになった作曲家への興味を抱かせてくれたこと。
同作品はスカラ座デビューを飾った作品でもあり、ストレーレルが演出、歌手も演出家もマエストロも一体となって一緒にリハーサルを重ね、得がたいものを得た、と振り返っています。
また、ザルツブルク音楽祭で1982年に指揮した《コシ・ファントゥッテ》は、カラヤンの1979年の電話による要請から始まった(フィルハーモニア管との合衆国ツアー中、朝7時のカラヤンの電話で起こされたそうです)という、有名なエピソードも語っています。

27日のコンサートのフィナーレが《魔笛》のフィナーレである理由は、《魔笛》のフィナーレがギリシアの真善美という三つの価値が一緒になる祝祭の意味を持つから、とも語っています。

さらに、イル・ジョルナーレ紙がマエストロによるこのコンサートについて、ウィーン・フィルの中にイタリア人、日本人、ロシア人、アメリカ人という指揮者、ソリストたちがいるのは、モーツァルトが全世界のものであることの証しだ、と書いているのを興味深く読みました。

マエストロの音楽家人生にとってまたもや大きな意義をもつことになった、このモーツァルト生誕250周年記念コンサートの成功を、心からお祈りしています!

2006年1月27日付 la Stampa 紙
Muti: «Caro Mozart nostro consolatore»

2006年1月27日付 Il Giornale 紙
Muti e i Wiener celebrano la leggenda di Amadeus

膨大な数の記事が出回っていて、本当に大きな行事なのだなあ、といまさらながらのように感嘆しています(日本でわっせわっせ仕事におわれている自分が、ファンとして悲しい...)。

インタビューは追って紹介します。

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ドレスリハーサル

ザルツブルクで27日行われるモーツァルト生誕250周年記念コンサートの、ドレスリハーサル(26日)の写真がロイターから配信されています。マエストロ・ムーティとソリストたちです。

コンサートマスターはやはり...ちょっとほっとしました。

http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/060126/ids_photos_en/r46624501.jpg

http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/060127/ids_photos_en/r4075013384.jpg

http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/060127/ids_photos_en/r1629909022.jpg

http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/060127/ids_photos_en/r3305392117.jpg

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giovedì 26 gennaio 2006

フィレンツェ公演のインターネット中継

マエストロ・ムーティとフィレンツェ五月音楽祭管のコンサートがインターネット中継されます。

http://www.radio.rai.it/radio3/cartellone/mostra_evento.cfm?Q_EV_ID=161298

2006年2月12日16時30分(日本時間13日0時30分) RAI RADIO 3
ハイドン 十字架上のキリストの最後の七つの言葉
モーツァルト ヴェスペレ

soprano: Valentina Farcas
mezzosoprano: Marianna Pizzolato
tenore: Juan Francisco Gatell
basso: Maurizio Lo Piccolo
フィレンツェ五月音楽祭管
同合唱団

フィレンツェ、テアトロ・コムナーレ

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カルメル会修道女の対話

アルチンボルディでマエストロ・ムーティが指揮して上演された《カルメル会修道女の対話》の映像のハイライト版に、昨晩からうちのめされています。
インターネットで上演中継を聴いたときには、Anja Silja と Laura Aikin に魅せられましたが、これほどの舞台だったとは...。おそらく、クラシカ・ジャパンで放映済みでしょうが、昨晩はじめて観て、カーセンにもこんなに真摯でいい舞台があるのかと、これまでの先入観を恥じました。
このような非売品ではなく、全曲版が商品化されるといいのですが。

プーランク 《カルメル会修道女の対話》
2004年2月 スカラ座・アルチンボルディ
CD・DVD ハイライト版
2005 MUSICOM , Rai Trade, 2005 Banca Intesa

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mercoledì 25 gennaio 2006

フレミングからバルトリへ交代

27日にザルツブルクでマエストロ・ムーティが指揮して行われる、モーツァルト生誕250周年記念コンサートのソプラノが交代します。
フレミングが降板し、バルトリが登場します。理由はフレミングの声域が高すぎることによります。モーツァルトの傑作のひとつ、アリア"Ch'io mi scordi di te?" が現在のフレミングの声域からすると低すぎて、歌うのがむつかしい、ということで、作品の傑作性を優先させて歌手の交代になったそうです。リハーサルは25日からで、フレミングは火曜日にすでにニューヨークに戻っているとのことです。
マエストロとバルトリの共演は、フェニーチェ座再開記念コンサートで実現するはずでしたが、本当にひさしぶりのことになります。

2006年1月24日付 AP通信
Bartoli replaces Fleming in Mozart concert

2006年1月24日付 Pressemitteilung der ISM vom 24.1.2006
http://www.mozarteum.at/00_META/00_News_Detail.asp?SID=82033180233423&ID=14038

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martedì 24 gennaio 2006

《コシ》のテンポ

イタリア語が全く読めなかった頃にも、マエストロ・ムーティの記事が載ったイタリアの雑誌を結構購入していて、最近、少しずつ読み始めています。そのうちのいくつかは、ここでも紹介してきました。
過去のインタビューでマエストロが語っていることが、はたして、今もマエストロの考えていることかどうかはわかりませんが、その思考の軌跡をたどるのも大切なことかと思います。

ザ・タイムズ紙の記者がスカラ座訪ソに随行して、マエストロに話を聞いている記事があります。今トピックなモーツァルトに関して、《コシ・ファン・トゥッテ》について興味深い話をしていました。マエストロのザルツブルク・ライブでの《Soave sia il vento》の美しさ、切なさがあらためて心に蘇ってきます...。

CD CLASSICA誌 1989年12月・1990年1月合併号
Nigel Jameson in Russia con Riccardo Muti e l'orchestra del Teatro alla Scala

10月11日、ボリショイ劇場で《コシ》のリハーサルを歌手達とピアノで行った後で...リッカルド・ムーティは:

アリア《Per pieta'》はアダージョであって、レントではありません。あまりにゆるやかに歌うソプラノは、言葉の意味を理解することができません。ゆるやかに歌えばこのアリアの音楽は非常に美しくなるかもしれませんが、劇的な感じがなくなります。

(あなたのテンポでは祈りになりますが、他の普通のテンポでは哀歌に感じられます)
「普通」という言葉は好きですが、ここでの「普通」のテンポは間違いです!

(第一幕のあなたの五重唱はテンポが急速に感じられます。そこは声の非常な美しさを花咲かせるだけのゆとりが必要です)
それはわかります。けれども、私のこのオペラのやり方はドイツ系の多くの指揮者とは対照的です。彼らは第一幕はゆったりと演奏し、できるだけ美しく響かそうとしています。けれども、実際には、この部分はまだシリアスなドラマではありません。第一幕のフィナーレは基本的にはオペラ・ブッファです。そして、彼らは、第二幕のフィナーレをヴィヴァーチェで活発な感じで演奏し、あたかも、第一幕の後、何も変わっていないかのようにみせています。けれども、そうではなく、すべては一変し、誰も他の人を信頼しないし、自分自身も信頼しなくなっています。ここは私はレントでゆったりと演奏し、テンポを次第に遅めています。

《コシ》は非常にシリアスで、それどころか、絶望に満ちていて、愛、嫉妬、裏切りを扱っています。ザルツブルクではじめてこの作品を指揮したとき、私はセンセーションをまきおこしました。なぜなら、イタリア・オペラのように指揮したからです。モーツァルトの時代にはイタリア人によって歌われていましたが、一方現代は、ドイツ・オペラに変えられてしまっています。

ウィーンの伝統それ自身は正しいものです。音楽としては完璧だからです。けれども、このような演奏の仕方はモーツァルトが理想としたものではありませんでした。ドイツ系の演奏家が指揮し、歌ったときにそれが明らかになります。とりわけ、杓子定規的な指揮者と言葉に重きをおかない歌手によって上演された場合が、そうです。カール・ベームはこう言っていました。この作品はすべて、どのアンダンテもアレグロも絶対に同じテンポで演奏されていいと思うし、そうすべきではないかと。これほど詩的でないことがはたしてあるのか、想像できません。ドイツ系のあるタイプのソプラノたちは、だから、言葉のかわりに音の響き持ち出しているように思えます。

この楽譜を研究すればするほど、オーケストラの個々の音が、個々の人物の経験について注釈を加えていることを発見します。私は何も作り出しません。楽譜にもうすべてがあるのです。それを発見し、表現様式を探すだけで十分です。

(たとえば、三重唱《Soave sia il vento》のヴィオラの演奏ですが...)
ああ、あれはこの世を去るときに聴きたいと思っている音楽です!最も美しいアッディオ、別れです!

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lunedì 23 gennaio 2006

マエストロの中国公演

マエストロ・ムーティの中国公演に関するサイトを、マエストロ・ポリーニのファンの方に教えていただきました。どうもありがとうございました!

10月21日、チャイナ・フィルハーモニックを振って、ペキン国際音楽祭に参加します。

http://www.yidalinian.org/english/2006/10/riccardo_muti_and_the_china_ph.php

http://www.yidalinian.org/english/type/music

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domenica 22 gennaio 2006

マエストロの語るモーツァルト

今日のCorsera 紙に載った、モーツァルトに関するマエストロ・ムーティのインタビューを紹介します。
フィガロ紙のインタビューと重なる部分も多々あります。《フィガロの結婚》で新たに発見した隠れたメッセージについては、オーストリアの新聞にでも載るのかもしれません。

2006年1月22日付 Corriere della Sera 紙
L’ANNIVERSARIO
Muti inaugura le celebrazioni del compositore A Salisburgo festa per i 250 anni dalla nascita

「モーツァルトを研究するときは、とても幸せです。彼と関わるのはとても素晴らしいことです。」ラベンナの家にいるリッカルド・ムーティはそう語る。机の上には祝賀演奏会の楽譜がある。それは1月27日にザルツブルクの祝祭大劇場で彼が指揮する演奏会で、偉大な作曲家の生誕250周年の祝祭行事の数々を公式に開幕するものである。最愛のウィーン・フィルを指揮して2時間以上音楽を演奏するもので、ルネ・フレミング、内田光子、トマス・ハンプソン、ユーリ・バシュメット、ギドン・クレーメルといった著名なソリストが参加する。アメリカ合衆国国務長官、コンドリーザ・ライスも参加するかもしれない(訳注:27日~29日にはザルツブルクでSound of Europe が開かれ、ヨーロッパのアイデンティティについても話し合われ、ライス国務長官がピアノを弾くことが検討されているという報道もありましたが、ザルツブルクの新聞では出席しないと報じられています)。しばらく前からチケットは売り切れだが、ユーロヴィジョンによるテレビ撮影がある(後でDVD化される予定)。もちろん、このように非常に重要な祝祭を行うことに選ばれたのは、ムーティにとって大きな名誉である。これは、イタリア人指揮者と、ザルツブルクのモーツァルテウム、ウィーン・フィル、ザルツブルク、そしてザルツブルク音楽祭との間を結びつけている友好関係の印だ。ウィーン・フィルは35年間指揮していて、モーツァルトを象徴とするツアーをニューヨーク、カナダ、メキシコで行う予定である。また、ザルツブルク音楽祭には1971年にカラヤンに招かれてデビューし、今年の夏は《魔笛》(ピエール・アウディによる新演出)と4回の演奏会を行う。フランスのパリもムーティをモーツァルト記念年の開始に選び、1月14日の大成功に終わったシャンゼリゼ劇場での演奏会の後で(訳注:12日の誤りでは?)、ル・モンド紙がムーティを、《Il Magnifico》イル・マニフィコ、偉大なる人、と決定づけた。モーツァルトの代弁者としてのイタリア人...「非常に満足しています。」ムーティはコメントした。「モーツァルトは徹頭徹尾イタリア人でもありました。我々の言葉を話し、非常によく理解していました。『イタリア的なるもの』をエスプリと鋭敏さ、正確さで非常に的確に捉えていて、それは、ダ・ポンテの台本《フィガロの結婚》、《コシ・ファン・トゥッテ》、《ドン・ジョバンニ》を、あたかも我々イタリアの作曲家であるかのように、音楽にしているほどです。彼は子供の頃からイタリアを訪れていました。モーツァルトの音楽には我々の文化の恩恵が感じられます。アルプスのこちら側とあちら側の、二つの文化の完璧な融合を実現していました。」

ムーティはこの作曲家の変わらぬ人気についてこう説明した。「モーツァルトは今日でも我々を驚嘆させる音楽家です。それは、彼の書いたもの、作曲したものすべてが非常に高い質を持ち、しばしば崇高でありながら、決してアカデミックではない、という理由からだけでなく、まさに彼の人気の高さにもよります。彼は、ポピュラー・ミュージッシャンたちの世界においても、そのメロディーにインスピレーションを与えています。いったい、どうしてなのでしょう。彼の音楽は非常に直接的なところと同時に奥深さももち、音楽に詳しくない者も魅了されるのです。」モーツァルトは常に現在のものであり、若者さえ引きつける。「なぜなら、直接語りかけてくるからです。理解されうるまでに労苦と経験を必要とする音楽家がいます。モーツァルトはそのオペラに人生を書いています。特に《コシ・ファン・トゥッテ》では、我々がどういう者かについて、道徳的なところは何もなしに、素晴らしいやり方で我々に語ってくれます。これが魅力なのです。ここに、この音楽家モーツァルトが最高のままでいる理由があります。」

亡くなった法王ヨハネ・パウロ2世はモーツァルト没後200周年記念に際して、喜びに関するモーツァルトのメッセージを引用していた。「最も単純な人間でさえ、彼の作品を聴くと喜びを見出します。誇張しているように思われたくありませんが、あたかも、彼の手がある力、非常に大きな存在によって導かれていたかのようです。」オーケストラ指揮者にとって、モーツァルトはどんなタイプの同志なのか。「偉大なピアニストであるバックハウスが言った言葉を再び言います。『モーツァルトはあなたが小さいときには簡単な音楽家だけれども、成長した人間の手にはますますむつかしいものに変わります』モーツァルトはその明快さゆえに即座なものに感じられるから、容易な音楽家です。けれども、やがて、ますます複雑になり、根の非常に深いものに変わります。彼がその崇高さゆえに超自然的な世界の存在であることが明らかになって、日々、そのことに驚かされ、毎日、気づかされる。モーツァルトはそういう旅の伴侶です。人間の『神聖性』『完璧性』という点に関しては、モーツァルトは最も卓越した体現者です。ダンテやシェークスピア、ミケランジェロ、ゲーテと同様です。」

あなたのモーツァルトの演奏様式は年を経て変わったのか。「私は変化していますし、毎回新しいことを発見しています。彼の音楽に対する取り組み方は変化しています。文献学的になり、あるいは一層伝統的になっています。けれども、これは形式です。芸術家にとって大切なのは、彼の完璧である内面の感情を理解し、それを聴衆のために再現しようとすることです。」

今年はみやげもの産業は頂点に達している。「モーツァルトは悲惨のうちに亡くなりました。けれども、結果的には、彼をめぐってや彼のオペラについては巨大なビジネスが生まれ、それにはチョコレートからフリスビーまであります。そして、彼について書き続けられ、あらゆる面から徹底的に研究し続られ、ちょっとぞっとするような頭蓋骨まで調べられています。それはすべての人にとって動かぬ星、北極星であることを意味し、音楽を解釈する芸術家たちにとってもそうです。ビートルズはひとつの現象でした。けれども、すべてが過ぎていきます。モーツァルトの音楽が演奏され続け、聴き続けられるとしたら、たとえ彼にまつわるビジネスが常に花盛りであるとしても、その理由はこういうことです。我々は奇跡の音楽家と向かい合っているのであり、慰めさえも必要としている人たちにとって、よりどころ、基準となるようなものと向き合っているからです。」

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フィラデルフィア管2006-2007

フィラデルフィア管のプレスリリースによれば、マエストロ・ムーティは11月2日~4日に演奏し、曲目はシューベルト ロザムンデ序曲、シューベルト 交響曲第4番、ヒンデミット 至高の幻想、R.シュトラウス 死と変容 となっています。ウィーン・フィルとの演奏とどう違うのか、楽しみです。
また、11月7日は特別な演奏会も予定されています。
いずれ、同管のサイトに載ることでしょう。

http://www.philorch.org/styles/poa02e/www/index2.html

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フィラデルフィアに登場するマエストロ!

フィラデルフィアの新聞が今日伝えるところでは、来シーズン、マエストロ・ムーティがフィラデルフィア管を振りに戻ってくるそうです。
サバリッシュについては、フィラデルフィア管の今シーズンの公演を体調を理由にキャンセルし、それを伝える彼の手紙がオーケストラの深い感動を誘ったことが報道されていて(わたしも読んでいて胸に迫るものがありました)、来シーズンの登場も無理のようですが、マエストロは11月にヒンデミットとシューベルトといった作曲家の作品を振るとのことです(2日~7日)。

2006年1月22日付 Philadelphia Inquirer 紙
Tone of the orchestra's '06-07 season
Listen for a little more Eschenbach - "because I like it there" - less new music, and more humor.

2006年1月14日付 Philadelphia Inquirer 紙
Sawallisch bows out of Phila. Orchestra season
The 82-year-old conductor cited health problems. In October, the maestro had pulled out of his Philadelphia appearances and others.

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DVDになる27日の演奏

今日のCorsera 紙に、マエストロ・ムーティのインタビューが載っています。テーマはモーツァルト。
その中で、27日の演奏がDVDになると記者が書いていました。楽しみです。

2006年1月22日付 Corriere della Sera 紙
L’ANNIVERSARIO
Muti inaugura le celebrazioni del compositore A Salisburgo festa per i 250 anni dalla nascita

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2006年7月のスケジュール

2006年7月1日21時 ラベンナ、ケルビーニ管
ラベンナ音楽祭
ベートーベン 交響曲第7番
ドボルザーク 交響曲第5番
ショスタコービッチ 交響曲第5番
Palazzo Mauro de André

2006年7月3日、5日 エル・エスコリアル、フィレンツェ五月音楽祭管
Festival de San Lorenzo de El Escorial´06 開幕公演
Orchestra e Coro del Maggio Musicale Fiorentino
Riccardo Muti, director
G. Verdi
Fragmentos de óperas de tema español
Stabat Mater y Te Deum de Quattro Pezzi Sacri

Barbara Frittoli, soprano
Sonia Ganassi, mezzosoprano
Ferruccio Furlanetto, bajo

3日21時、5日20時30分 Teatro Auditorio de San Lorenzo de El Escorial

2006年7月10日、11日21時15分 ラベンナ、ケルビーニ管
ラベンナ音楽祭、モーツァルト生誕250周年記念

モーツァルト Vesperæ solemnes de confessore K 339
モーツァルト Ave Verum Corpus mottetto in re maggiore per coro, archi e organo K 618

Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Ave Verum Corpus, mottetto in re maggiore per coro, archi e organo KV 618
Exultate, jubilate, mottetto in fa maggiore per soprano, orchestra e organo KV 165
Franz Joseph Haydn (1732-1809)
Te Deum in do maggiore per coro e orchestra Hob. XXIIIc/2
W.A. Mozart
Vesperae solemnes de confessore in do maggiore per soli coro e orchestra KV 339

soprano Adriana Kucerova
contralto Marianna Pizzolato
tenore Juan Francisco Gatelli
basso Maurizio Lo Piccolo

ウィーン国立歌劇場合唱団
Sant'Apollinare in Classe

Teatro Alighieri

2006年7月11日12時 Sala Muratori, Biblioteca Classense
MOZARTIADI
Massimo Cacciari e Riccardo Muti
I Don Giovanni
Conversazione sul tema

2006年7月14日22時 ペララーダ、ケルビーニ管
ペララーダ城音楽祭開幕公演
ヴェルディ  《ジョヴァンナ・ダルコ》序曲
モーツァルト  オーボエ協奏曲
オーボエ ハンスイェルク・シェレンベルガー
ショスタコービッチ(ドボルザーク?) ドボルザーク 交響曲第5番
Auditori Jardins del Castell

2006年7月16日21時 ラベンナ、フィレンツェ五月音楽祭管
ラベンナ音楽祭
Un ponte di fratellanza per le vie dell'amicizia attraverso l'arte e la cultura

soprano Barbara Frittoli
mezzosoprano Sonia Ganassi
basso Ferruccio Furlanetto
Giuseppe Verdi (1813-1901)
La forza del destino
Sinfonia; "Il santo nome – di Dio Signore"; "La Vergine degli Angeli"
Don Carlo
"Nel giardin del bello" (Canzone del velo); "Ella giammai m'amò!…"
"O don fatale"; "Tu che le vanità"
Quattro pezzi sacri
Stabat Mater per coro e orchestra (1897); Te Deum per doppio coro e orchestra (1895)

フィレンツェ五月音楽祭合唱団
Palazzo Mauro de André

2006年7月17日モロッコメクネス、フィレンツェ五月音楽祭管
ラベンナ音楽祭
16日と同じ

2006年7月26日15時 ザルツブルク、ウィーン・フィル
ザルツブルク音楽祭、有料ゲネ・プロ(モーツァルト・ハウス増改築資金集め)
モーツァルト 《魔笛》

2006年7月29日19時 ザルツブルク祝祭大劇場、ウィーン・フィル

ザルツブルク音楽祭、プレミエ

モーツァルト 《魔笛》

演出 Pierre Audi
美術 Karel Appel
衣装  Jorge Jara
照明  Jean Kalman
振付 田中泯
合唱指導 Thomas Lang
Dramatugie  Klaus Bertisch

Sarastro;René Pape
Tamino; ; Paul Groves
Sprecher; Franz Grundheber
Die Königin der Nacht; Diana Damrau
Pamina; Genia Kühmeier
Drei Damen der Königin; N.N.;Inga Kalna , Karine Deshayes , Ekaterina Gubanova
Drei Knaben; Wiener Sängerknaben
Papageno; Christian Gerhahe, Markus Werba (13., 19., 21.8.)
Ein altes Weib (Papagena); Irena Bespalovaite
Monostaos; Burkhard Ulrich
Zwei geharnischte Männer; Simon O'Neill ; Peter Loehle
Zwei Priester; Franz Grundheber, Xavier Mas
ウィーン国立歌劇場合唱団

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sabato 21 gennaio 2006

M is for ...

M is for Music, Mozart and ( my beloved ) Maestro Muti !!

モーツァルト生誕250周年記念の記事がたくさん出始めて、祝祭のときが近づいてきたので...

Mはミュージック、モーツァルト、そして、マエストロ・ムーティのM!

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フィガロ紙に載ったモーツァルトについてのインタビュー

今日のフィガロ紙に載った、マエストロ・ムーティのモーツァルトに関するインタビューを、とても興味深く、面白く読みました。今までだったら、イタリアの新聞がとっていたインタビューなのだろうなあ、と少し残念です。

2006年1月21日付 Le Figaro 紙
Riccardo Muti : «Il s'adresse au peuple»
A soixante-cinq ans, le chef italien qui a dirigé la Scala de Milan pendant 19 ans est l'un des musiciens qui a la plus grande proximité avec la musique du génial compositeur.

モーツァルトとのつきあいは自分のキャリアの最初からあった、とマエストロは1968年にリヒテルとフィレンツェで演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲をあげています。
モーツァルト生誕記念年がヴェルディ記念年のような狂騒に終始することを危惧しながら、モーツァルトは我々に近いところにいて、我々の言葉で我々に語っていて、すべての世代に通じる力をその作品はもっている、モーツァルトの解釈には様々なタイプが存在するが、エッセンスはその劇場性にあり、人生という劇場が彼の本質だ、とフランス国立管には説明した、とマエストロは語っています。
ダ・ポンテの作品における言葉の両義性について、このインタビューでも触れています。コミカルに聞こえる言葉も、絶望な感じや皮肉をもたせていて、たとえば、《コシ・ファン・トゥッテ》はトゥッティでもある、女性はみんなこうしたもの、であるだけでなく、人間はみんなこうしたもの、でもある、そういった両義性、言葉の真の意味を理解できない指揮者がしばしばいるようだ、と言っています。

とても面白いので、何とか紹介したいですが。
マエストロがウィーンで12月に《フィガロの結婚》を上演した折に、テキストに新たな発見があった、隠されたメッセージを読み取った、と語っているのには、あらためて尊敬の気持ちを抱きました。テキストをどれほど深く読み込んでいるかが、とてもよくわかります。

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マエストロのモーツァルトへの想い

マエストロ・ムーティがモーツァルトに寄せる言葉が、ラベンナ音楽祭2006の巻頭を飾っています。

http://www.ravennafestival.org/comunicati.php?id=144

過去の声にめぐり合うことが本当にできるとして、私ができれば会いたいと思っている音楽家がいるとしたら、それはモーツァルトです。選べるとしても、バッハでもなければ、レオナルドでも、ミケランジェロでもなく、モーツァルトを望めたら、と思います。彼がどのような人間か知りたいからです。なぜなら、彼の中には、我々を驚かすような、たとえ超自然的とはいえなくても、そういう自然からかけ離れた力が存在するからです。モーツァルトは我々に、普通にどこかに存在している思想以上のものを見せてくれます。それが彼の中で音楽となり、人間化しているのです。モーツァルトは明らかに他の様々な世界を表現し、彼の中に広がる他の様々な可能性を表現しています。だから、私は彼と面と向かい合って会いたいし、自分自身の中に無限の大きな広がりを抱えている彼に会いたいのです。


Mozart? Mozart!

Se veramente esiste la possibilità di incontrare delle voci del passato, se c'è un musicista che io vorrei incontrare questi è Mozart. Se potessi scegliere non chiederei Bach, Leonardo, Michelangelo, ma Mozart, perché vorrei capire chi era quest'uomo, perché dentro di lui c'è una forza talmente fuori dalla natura, neppure soprannaturale, da lasciarti sgomento. Mozart ti dà l'idea di qualche cosa in più che esiste da qualche parte e che in lui si è fatta musica, si è fatta umana. Mozart è chiaramente l'espressione di altri mondi, di altre possibilità che in lui si rivelano. Quindi vorrei vederlo in faccia, vedere chi era quest'uomo che racchiudeva in sé tanta sconƒinatezza.
Riccardo Muti

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ラベンナ音楽祭2006

できることなら、モーツァルトに会いたい、モーツァルトの声が聞きたいというマエストロ・ムーティの言葉がトップを飾る、ラベンナ音楽祭2006の内容が、ウェッブで発表になりました。
マエストロの演奏会は次のとおりです。7月16日、17日は演目がまだ決まっていません。17日の訪問先もまだ発表されていません。

http://www.ravennafestival.org/index.php

2006年6月17日21時 ニューヨーク・フィル
シューマン没後150周年記念
シューマン 交響曲第4番
チャイコフスキー 交響曲第5番

2006年6月28日21時 ケルビーニ管
プローべ
ベートーベン 交響曲第7番

2006年7月1日21時 ケルビーニ管
ベートーベン 交響曲第7番
ショスタコービッチ 交響曲第5番

2006年7月10日、11日21時 ケルビーニ管
モーツァルト生誕250周年記念 
Vesperæ solemnes de confessore K 339
Ave Verum Corpus mottetto in re maggiore per coro, archi e organo K 618
ウィーン国立歌劇場合唱団

2006年7月16日21時 フィレンツェ五月音楽祭管
同合唱団

2006年7月17日21時
16日と同じ演目

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venerdì 20 gennaio 2006

シャイーのスカラ座《リゴレット》

来週の火曜日からスカラ座で上演される《リゴレット》の記事が、今日のイタリアの新聞に載っています。指揮者はシャイー。

楽譜にないからとマエストロ・ムーティの指揮の下では歌われなかった「高音」が、当然、話題のひとつになっています。
シャイーは慣習に従い、歌手が高音を歌うことを認めています。歌手の妙技の見せ場としてだけでなく、感情面でも劇的な面でも、そのように高音を歌うという演出をするだけの価値がある、とオペラに特有な合理的理由を見出しています。
ヌッチは高音はやりたいし、嬉々としてやる、と言っています。マエストロと共演したときは、楽譜にない音は歌わないというマエストロの考えについて、マエストロへの絶対的な尊敬の気持ちから従った、と語っています。そのときそのときの指揮者に従うヌッチにとっては、劇場内の意志の統一、規律が大切なようです。

スカラ座来日公演の折は、マエストロは来日してからも、夜にまで、リゴレット・チームの猛練習を行っていました。ガザーレの声の美しさ、ノーブルさとともに、ロストの粒のそろったプチダイヤモンドのような声が、巨大なNHKホールの空間を美しく震わせたことの驚きを今でも思い出します。マエストロのスカラ座上演が正規の映像商品になるよう、望みます。

2006年1月20日付 Corriere della Sera 紙
MARTEDÌ LA «PRIMA»

2006年1月20日付 la Repubblica 紙
L´opera verdiana torna alla Scala da martedì.
Sul podio ora c´è il direttore milanese che torna al Piermarini dopo sette anni
"Vi prometto acuti a volontà"
Leo Nucci nel "Rigoletto" diretto da Riccardo Chailly
un successo
In scena l´opera non ripulita dalle puntature originali grazie a un bel cast
Sarà un´edizione con grandi virtuosismi. Dice il maestro: "Con Lissner si è parlato di un mio impegno qui a lunga scadenza"

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ピアチェンツァにそろった家族

昨日に引き続き、今日のピアチェンツァの新聞も、マエストロ・ムーティとケルビーニ管の18日のコンサートについて報じています。

昨日よりもさらに写真は増えて、当日劇場に姿を見せた、クリスティーナさん、フランチェスコさん、キアラさんと一緒の写真も、有料サイトには載っていました。フランチェスコさんはぐっとたくましくなり、マエストロが同じ年頃には少年のような、アポロンのような容貌をしていたのとは少し異なるようですが...。
演奏会では、ベートーベン交響曲第七番の最初の二楽章が演奏されたそうです。記事は追って紹介します。

2006年1月19日付 Liberta' 紙
Ieri sera lezione-concerto con la "Cherubini"
E con Muti Beethoven non ha segreti

2006年1月20日付 Liberta' 紙
teatro municipale Tutto esaurito e calorosi applausi per la lezione-concerto dedicata al compositore tedesco
Muti approfondisce l'etica beethoveniana
Il maestro ha diretto la Cherubini nei primi due tempi della Settima

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giovedì 19 gennaio 2006

永竹由幸さんのみるマエストロのヴェル・レク

クラシック・チケット誌最新号に、永竹由幸さんが今春の東京のオペラの森に関して、マエストロ・ムーティとヴェルディ《レクイエム》について書いていました。

(略)ムーティという指揮者は本当に真面目で、自分を完全に音楽に捧げている。
(略)ムーティのレクイエムにはまったくケレン味がない。あの<怒りの日>の激しさは、決して彼がわざと盛り上げている激しさではない。ヴェルディが書いた通り、ぴったりと完璧に演奏しているだけなのだ。そこに人々は感動する。
ヴェルディのレクイエムはオペラティックで劇的だと皆が言う。しかし、実はそうではない。非常に敬虔な宗教曲なのだ。(略)ムーティはその敬虔なヴェルディの気持ちを如実に描き出す、唯一の指揮者と言ってよいだろう。

チケット・クラシック誌 2006年2月号
ムーティのレクイエムには敬虔なる祈りが存在する

また、木之下晃さんの写真集(永竹さんとの共著)『ヴェルディへの旅』は2月に出版されるそうです。

チケット・クラシック誌 2006年2月号
東京のオペラの森2006 NOMORI イベントウィーク

小澤さんが体調を理由に、1月、2月のウィーンでの演奏をキャンセルしているのが心配です...。

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mercoledì 18 gennaio 2006

China Philharmonic Orchestra を振るマエストロ

マエストロ・ムーティの訪中のニュースが断片的に報じられてきていますが、それらをまとめると、China Philharmonic Orchestra を振って、ペキン音楽祭に参加する、となりそうです。

2006年1月17日付 il Mattino 紙
Italia-Cina nel segno di Napoli 

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martedì 17 gennaio 2006

Gstaad でのコンサート

マエストロ・ムーティとケルビーニ管のグシュタートでのコンサートは次のとおりです。チケットは12月から発売されています。

2006年2月19日19時30分 Gstaad、Saanen、ザーネン教会
モーツァルト バイオリンとビオラのための協奏交響曲
Francesco Manara バイオリン
Sionide Braconi  ビオラ

http://www.gstaad.ch/gs-event-detail.htm?id=2371

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読者が選んだマイ・ベストコンサート2005

音楽の友誌最新号によれば、昨秋のマエストロ・ムーティとウィーン・フィル来日公演が、同誌読者の選んだ2005年のマイ・ベストコンサートだそうです。
ウィーン・フィルの日本での人気の高さも、もちろん後押ししてのことでしょう。

音楽の友誌 2006年2月号 
読者が選んだマイ・ベストコンサート2005
ムーティ=ウィーン・フィルが読者を制す!

また、音楽評論家、音楽ジャーナリストの座談会でも、高く評価する発言がありました。

音楽の友誌 2006年2月号
座談会 2005年の音楽界を振り返る

東条碩夫さん:ウィーン・フィルをムーティの指揮で聴くと、やっぱりいいオーケストラだなあとつくづく思いますね。お互い理解し合っている関係にある指揮者とオーケストラ、という気がする。(後略)

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過去のウィーン・フィルの演奏

マエストロ・ムーティとウィーン・フィルの過去の演奏会の録音が、ORFのインターネットラジオで放送されます。1995年のベートーベン《運命》、2002年のシューマン交響曲第4番、そして昨秋来日直前のシューベルト《ロザムンデ》序曲です。

2006年2月15日19時30分(日本時間16日3時30分)  OE1.ORF

Franz Schubert: Ouvertüre zum Zauberspiel mit Musik "Die Zauberharfe", D 644
(Aufgenommen am 18. September 2005 im Großen Musikvereinssaal in Wien)

Ludwig van Beethoven: Symphonie Nr. 5, c-Moll, op. 67
(Aufgenommen am 8. Jänner 1995 im Großen Musikvereinssaal in Wien)

Robert Schumann: Symphonie Nr. 4, d-Moll, op. 120
(Aufgenommen am 17. Februar 2002 im Großen Musikvereinssaal in Wien).

(この記事に続きはありません)

Continua a leggere "過去のウィーン・フィルの演奏"

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中国におけるイタリア年

今年中国はイタリア年を迎えていろいろな催しを予定していて、今日のイタリアの新聞によれば、(以前にも紹介しましたが)マエストロ・ムーティも訪中するらしく、中国の音楽家たちとの演奏会が考えられているそうです。また、マエストロ・ポリーニの名前も列記されています。
思えば、チャンピ大統領が、マエストロ最後のスカラ座開幕公演となった、2004年12月7日のスカラ座再開記念公演に姿を見せなかったのは、訪中していたからでした...。

2006年1月17日付 Corriere della Sera 紙
Mostre, spettacoli e affari: si apre l’anno dell’Italia
Arte e cultura, da Raffaello a Verdi In Cina i miti del «made in Italy»

2006年1月17日付 la Repubblica 紙
la tourné
E Ieri da Roma la conferma: a settembre si parte
"Barbiere" a Shanghai con il Carlo Felice
Di Benedetto: "Il Teatro torna all´estero dopo vent´anni. E ora cerchiamo di organizzare una settimana della Liguria in Cina"

2006年1月17日10:06 ANSA通信
Italia-Cina: al via anno italiano
Arte ma anche moda, cibo, innovazione e biotecnologie

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高崎保男さんのヴェルディ

15日に、日本ヴェルディ協会で高崎保男さんの講演会がありました。
講演の中心は、《トラヴィアータ》のヴィオレッタとジェルモンの二重唱部分について改訂のあとをたどることで、また、岸純信さんが質問したヴォーチェ・ヴェルディアーナにも触れていました。

上記二重唱について語る部分で驚き、嬉しかったのが、改訂をたどる音源の一方にマエストロのディスク、それもスコットがヴィオレッタを歌うものが使われたことでした。ジェルモンの声はブルゾンかな、と思ったのですが、ヴィオレッタは最初の一声ですぐにスコットとわかってマエストロのディスクであることが判明し、二人の歌唱の品格にあらためて感銘を受けた次第です。

マエストロはスコットと素晴らしいディスクを正規・非正規で残していますが、《トラヴィアータ》、《レクエイム》、《マクベス》はベストのものだと思っています。

また、ヴェルディの声として高崎さんがまずあげたのが、ヌッチ(そして、フリットリも)で、これも、出だしからマエストロとスカラ座のオーケストラだとすぐにわかる、《トロバトーレ》におけるフリットリとの二重唱部分を聴かせてくれました。
そして、カップッチッリをあげていました。

個人的には、バリトンのアルバレスをこの二人(あるいは三人)に是非加えたいです。
しかしながら、こういった嗜好はオペラファンの中では、もしかしたら、保守的なものかもしれません。

なお、木之下晃さんがヴェルディをテーマにした写真集を今春出すそうです。

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lunedì 16 gennaio 2006

グシュタートでもコンサート

今日のピアチェンツァの新聞に、マエストロ・ムーティとケルビーニ管がスイスのグシュタートでも演奏する(曲目はモーツァルトとシューベルト)、と載っていました。バルテュスゆかりの地です。

2月16日のピアチェンツァでの演奏会のプログラムも報じられています。モーツァルトのディベルティメント K.136、ハイドンのチェロ協奏曲(ソリストはスカラ・フィル首席奏者のMassimo Polidori)、ロッシーニ ウィリアム・テル序曲だそうです。

2006年1月16日付 Liberta' 紙
E domani arriva Rostropovich
Mercoledì sera al Teatro Municipale
Muti: lezione-concerto con la "Cherubini"

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Arturo Benedetti Michelangeli 賞記念CD

マエストロ・ムーティは昨年 Arturo Benedetti Michelangeli 賞を受けましたが、それを記念して、Banca Lombarda のグループが出したCDを入手しました。CDについては、5日のイタリアの新聞が報じていました。

2006年1月5日付 Brescia Oggi 紙
Il doppio cd 2005 del Gruppo Banca Lombarda
E’ Muti il protagonista della strenna musicale
Sul podio della Filarmonica della Scala, prima del «divorzio»


CDはすでにMUSICOMから出ている(国内盤はDVDが出ています)スカラ・フィルとの演奏を編集して、2枚にまとめたものです。記事にもあるように、マエストロの宗教曲、1700年代ナポリ派音楽への貢献から、ハイドン、ペルゴレージ、ポルポラの作品が選ばれています。
パンフレットには、マエストロの受賞の写真(ニコリともしていないのですが...)や指揮姿の写真のほか、ロベルト・デ・シモーネがナポリ派音楽について文を寄せています。

Pergolesi
Stabat mater per soprano, contralto, archi e continuo
Barbara Frittoli, Anna Caterina Antonacci
スカラ・フィル
1999年録音

Porpora
Salve Regina, antifona in fa maggiore per contralto, archi e continuo
Angelika Kirchschlager
スカラ・フィル
2002年録音

Haydn
Le sette ultime parole del nostro Redentore in croce
スカラ・フィル
2001年録音

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ニューヨークのFM局のザルツブルク中継

マエストロ・ムーティとニューヨーク・フィルの演奏を時々インターネットでも中継してくれるニューヨークのFM局が、ザルツブルクでの27日のモーツァルト生誕記念演奏会も中継します。
ただ、詳しい放送予定はまだ発表されていなくて、ニューヨーク・フィルのときもそうであるように、インターネット中継はなく、FM中継のみかもしれません。

27日は午後8時、モーツァルトがちょうど生まれた頃に、ザルツブルク中の教会の鐘が7分間鳴らされるそうで、とても素敵です。

2006年1月16日 Playbill Arts
WQXR to Broadcast Vienna Philharmonic's Mozart Birthday Concert

http://www.wqxr.com/cgi-bin/iowa/air/article.html?record=3451

WQXR Program Specials -January 2006

Reports from Salzburg:
From Jan. 23-27, Midday Host Jeff Spurgeon reports from Salzburg, with interviews with special guests including BBC Proms Director Nicholas Kenyon, scholar and pianist Robert Levin, New York Times classical music editor James Oestreich, and artists Renée Fleming, Susan Graham, and Lars Vogt.

Mozart 250th birthday concert:
On Friday, January 27, at 12 noon, WQXR will broadcast live from Salzburg’s Grosses Festspielhaus the 250th birthday celebration featuring the Vienna Philharmonic led by Riccardo Muti,...The concert’s intermission will fall at 8:00 PM in Salzburg, which is the approximate hour of Mozart’s birth, at which time all of the church bells in Salzburg will ring for seven minutes.

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2006年ラベンナ音楽祭

ラベンナ音楽祭のサイトによれば、2006年の同音楽祭のプログラムは21日にオン・ラインで見られる予定だそうです。

http://www.ravennafestival.org/

また、今日のレプッブリカ紙に、ニューヨーク・フィルの初夏のイタリア・ツアーの簡単な日程(6月8日はローマ、サンタ・チェチリア、6月11日はフィレンツェ)が載っています。日時は書かれていませんが、ラベンナ音楽祭にも出演し、マゼールとマエストロ・ムーティが指揮する、とありました。

2006年1月16日付 la Repubblica 紙
LA TOURNÉE
Arriva la New York Philharmonic

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18日はベートーベンの7番

マエストロ・ムーティとケルビーニ管は18日にピアチェンツァで lezione-concerto を行いますが、ベートーベンの交響曲第7番を中心としたプログラムになるそうです。

2006年1月15日16:13 ANSA通信
A Piacenza concerto di Rostropovich 
Dopo 24 ore altro appuntamento d'eccezione con Muti

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domenica 15 gennaio 2006

ケルビーニ管がマルケ州でも演奏

マエストロ・ムーティとケルビーニ管が5月13日に、マルケ州の Fabriano でも演奏すると報道されています。
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(フランドル派好きにはこたえられない画家)の展覧会も同地では春から夏にかけてあり、またマエストロの絵画談義が聞けるかもしれません。

2006年1月14日付 il Messaggero 紙
Riccardo Muti il 13 maggio al Gentile

会場はテアトロ・ジェンティーレと報じられていますが、サイトがうまく開けません...。

http://www.teatrogentile.it/

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ANSA通信もル・モンド紙を引用

マエストロ・ムーティとフランス国立管の演奏会についてル・モンド紙が書いた称賛の評を、昨日ANSA通信が紹介していました。ル・モンド紙ではヴェスプレの演奏について、le tout magistralement conduit par Muti le magnifique. と書いていました。
日本の音楽雑誌や新聞は、マエストロのモーツァルト演奏をほとんど無視しているか、ヨーロッパあるいはウィーンでは称賛されているらしいが、というような書き方をするのが主流なのを、いつもとても面白く思っています。

2006年1月14日付 Il Giornale 紙
Applausi a Muti per l’anno Mozart

2006年1月14日19:36 ANSA通信
Mozart: Le Monde, Muti magnifico
Secondo il giornale il maestro ha condotto magistralmente

http://www.ansa.it/main/notizie/awnplus/spettacolo/news/2006-01-14_2365710.html

上記写真は、昨年5月のミラノでのウィーン・フィル公演のものかなあ、と思います。

2006年1月15日8時54分追記
transparenceさんがブログで演奏会の感想を書かれています。嬉しく読ませていただきました。
http://d.hatena.ne.jp/transparence/
中継中もキャスターが、花が舞台にと微笑しながら言っていましたが、その様子がこのブログからもわかります。
とにかく、インターネット中継でもブラボーの掛け声がとても多く聞かれ、パリでの人気の強さが伺えます。

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sabato 14 gennaio 2006

L'arte di Riccardo Muti ワーグナーとヴェルディ

昨年出版されたマエストロ・ムーティの芸術に関する本から、インタビュー3、ワーグナーとヴェルディについてを紹介します。

ワーグナーとヴェルディは対照的な作曲家であり、作曲家と一体になるようなやり方でその作品と取り組むマエストロは、どうやってその両者の中にはいり、その音楽の意図を表現しているのか、とインタビュアーはたずねています。
マエストロは、楽友協会の機関誌でも数年前に両者の差異について語っていたことがあり、ここでと同じように、ワーグナーを演奏した夜は眠りに就けない、と話しています。このインタビューもいずれ紹介したいです。

Zeitschrift der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien 2002年11月号
Nord-Süd-Dialog

http://www.musikverein.at/monatszeitung/monatszeitungEintrag.asp?monat=7&jahr=2002&index=235


L'arte di Riccardo Muti e la Musa platonica

Bompiani, Milano
2005年3月

Conversazione conclusiva con Riccardo Muti

あなたのその質問に答えるのは容易ではありません。自分の中での違いを理性的にとらえなければならず、それを『本能』と言いたくないからです。こう断言すると誤解を招く可能性があるかもしれません。けれども、アプローチは純粋に音楽的なものです。ヴェルディの《仮面舞踏会》、特に第二幕のリッカルドとアメリアの素晴らしい二重唱をみれば、確かです。そこでは二人は愛を語り合っています...

(マエストロ・ムーティはその部分を口ずさみながら、二重唱へ注意を促す)

...実際はわずかな時間、2分ですが、ヴェルディは、愛の情熱とエロスについて、最高で飛びぬけた感情に達しています。精神的なものだけでなく、肉体的な愛情においても最高のところに達しています。似た状況について、《ワルキューレ》や《トリスタン》でワーグナーは20分を要しています!人々の間で伝えられている有名な話があります(真偽のほどはわかりませんが、アントニーノ・ヴォットーが私に言ったことです)。トスカニーニがかつて、友人の文学者を連れてスカラ座に《トリスタン》を聴きに行ったときのことです。ある場面で、トスカニーニが彼に言いました。「ほら、ワーグナーとヴェルディの違いはここです。ワーグナーでは、もう10分間、15分の間二人は次へ進もうとし、こう言い続けています。『私はあなたを愛しています...あなたは私を愛しています...私はあなたを愛し...あなたは私を愛し...』ヴェルディなら、この間に実際にもう3人子供ができているところでしょう!」

パルマ生まれのトスカニーニらしい気の利いたせりふです!

現実問題として、ワーグナーは長い時間を必要としていました。話題は常に『巨大化傾向』へ戻ります。彼のボウイングはゆったりとしていて、とても長く続きます...。また、次のようなこともその理由です。すなわち、片や、ヴェルディでは感情は湧き出る泉のようで、ロケットのように噴出します(たとえば、テベレ川の水源のように湧いてくるのです。フマイオーロ山の山腹から非常に清らかな水しぶきが生まれて、テベレ川になっています)。このようにヴェルディの場合、本当にすべてのことがそこにあります!ワーグナーの場合はそうではなく、逆のことが起こります。だから、とても長い時間が必要なのです。ヴェルディにはその絶対的な本質として、人間性にかなった要素があります。そのために、彼は自分の言いたいことはすべて、直接的に言います。説明もいらなければ、正当化、注意的な説明、くどくどと道をたどることも不要です...。ヴェルディでは点火された炎のようにすべてが燃えつくされ、一瞬のうちに燃えつきますが、我々をあたためてくれます。ワーグナーの炎は長い間かかって燃えつきますが、多くの場合、温まりません...ヤケドするのです!ワーグナーの音楽にはこのようにいつも、ほとんど魔の要素、暗闇に包まれた魔術的要素があります(magia cupa とは言っても、magia nera 黒魔術、妖術とは言いたくありません。別の意味があるように思えるからです...)。病んでいる世界があるのです。ヴェルディの世界は健康的で、一方、ワーグナーの世界は非常にしばしば病んでいる世界なのです!

私がヴェルディのオペラを指揮し終わった後、それが非常に苦悩に満ちたものであっても(《ファルスタッフ》もそうです。《運命の力》、《椿姫》のように哀れな女性もののオペラ、《オテロ》は明らかに苦悩に満ちたオペラですが、それらはおいておいて、《ファルスタッフ》のようなオペラであっても、シェイクスピアが背後にあるものには苦悩があるということを忘れてはなりません)、最後には解放感のようなものを味わい、強い緊張をいつも強いられる上演が終わった後、普通の状態に向き合うことへ非常に容易に到達できるのは、こういう理由によります。実際、ヴェルディの場合はとても簡単に普通の状態へ戻ります。それにひきかえ、ワーグナーでは、非常にしばしば眠れない夜を過ごします。彼の中には...自然ではないものがあり、その不自然さは彼の魅惑的な和声にもみられます。ワーグナーの終わりのないフレーズが終了するのは、非常に長くて、消耗させられる、険しい道のりのあとでのみです。もちろん、その道のりが卓越したものであることを忘れてはなりません!また、その長大なフレーズには人を魅了するものがあり、それはあたかも《パルシファル》のクンドリーが、ワーグナーのあらゆるオペラにその魅力をたずさえて常に姿を現すようなものです...。彼女を従わせることはできないし、《パルシファル》第三幕冒頭の"Dienen, Dienen!"という状態、"Servire, servire"と大声で言う状態、奉仕させることへ彼女を導くことはできません...。彼女が従順にさせられるようなことはありません。従って、演奏家が引き受けなければならない立場のむつかしさはどれほどのものでしょうか。このむつかしさは音楽上の問題においてであり、それだけです。なぜなら、そうでなければ、本当に精神分裂症になってしまうからです。音楽上の問題から離れてしまうと、ヴェルディの正しい解釈者でいられることはできないし、従って、過ぎ行く時間も瞬間も、有名なファウストの『逃げていく瞬間』もつかむことができず、逆に、ワーグナーのこのように複雑で病的な感情の密林に入り込むことになります。だから、音楽とその読解に頼ることによってのみ、このように全く異なる二つの道をたどれるような気がする状況が、生じうるのです。それ以外は、全く不可能でしょう。

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venerdì 13 gennaio 2006

フランス国立管の演奏評

12日に行われたマエストロ・ムーティとフランス国立管の演奏会評が、ル・モンド紙のWeb版に載りました。紙のほうには明日載ります。

読んでいて、モーツァルトをはじめとするマエストロの演奏が、ウィーンやウィーン・フィルで愛される理由が的確に書かれているように思え、頷いてしまいました。軽やかでありながら、活き活きとしていて活力があり、荘厳でありながら、透明で明るい美しさがあり、そこには、欧州大戦前の古き佳きヨーロッパと、破壊的な力をもった現代の世界とを融合したような表現が生まれている、として、マエストロをあたかもウィーンの世界を我々に伝える仲介者の如くみなしています。
また、同紙でも好意的に書かれている Julia Kleiter については、その清澄な声に魅了されました。今年アーノンクールと来日するようで、楽しみです。

中継冒頭でインターネットの接続が落ちてしまって青くなりましたが、最後の、パリ特有のアンコールの拍手が長く長く続くのも聞くことができ、いい朝を迎えられた演奏会でした。

2006年1月13日付 Le Monde
Riccardo Muti lance avec brio l'année Mozart

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giovedì 12 gennaio 2006

ケルビーニ管のコンミス

クリスマスコンサートを前にしたマエストロ・ムーティとケルビーニ管について、イタリアの雑誌が短い記事を書いていました。

IL VENERDI di Repubblica 誌 2005年12月16日号
Riccardo Muti: la mia orchestra di giovani

マエストロ(メンバーたちに取り囲まれて、何か真剣に話している写真がとても印象的)とオーケストラの何人かのメンバーへのインタビュー、写真が載っています。
スカラ・フィルのメンバーもリハーサルではかなりラフな姿の人が多くて驚きますが、ケルビーニ管の若いメンバーはさらにカジュアルなようで、記事にも服装のことが書かれていました。(それに、髪型がとても人目を引くパレルモ出身の男性がビオラのトップにいます!)。それでも、日本の学生よりはずっと質素な感じがします。

ケルビーニ管のコンサートミストレス Luisa Belliotto は飾り気のない知的な感じの人です。彼女のコメントも記事の中にありました。
25歳。子供の頃から Anne-Sophie Mutter のポスターを自分の部屋に貼っていたという彼女ですが、将来もソリストではなく、オーケストラで演奏したいそうです。ケルビーニ管は日々成長しているとのことで、パルマのコンサートでは感動的な時を過ごしたと語っています。
マエストロについては、他の指揮者はアシスタントをまず派遣してリハーサルを始めさせ、後から本人がやってくるのに、マエストロは第一日目の最初から現われてリハーサルする、と言っているのが印象的でした。これはスカラ座時代も同じだったようで、マエストロ自身そう語ったことがあります。

この記事にも、ケルビーニ管は2007年にはウィーンのムジークフェラインへ行く、と書かれています。是非、聴きに行きたいものです。

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mercoledì 11 gennaio 2006

マエストロが暮らしたミラノ

マエストロ・ムーティがミラノで生活してきた場所を語った、1987年の短い記事を読みました。いつか、またミラノへ行くことがあったら(つまり、マエストロの公演がミラノであるとき)、マエストロが青年の頃暮らしていた通りへ行ってみたいです。

マエストロは以前にも、ミラノに到着したばかりの自分を喜劇役者Toto'になぞらえたことがあります。新しくできたRAIの通信販売サイトにもトトの作品がありました。
http://www.madeinrai.rai.it/dettaglio_prodotto.asp?colore=red&id_categoria=1&programma=42&codice=ctt3&sottocategoria=7

また、映画《若者のすべて》は、俳優座で上映されたのを観たときの衝撃が、今でも忘れられません。あの映画冒頭に出てくるミラノ中央駅を、はじめて現実に目の前に見たとき、映画のことと、マエストロがミラノへやってきたときの志とが胸に迫ってきたのでした...。

マエストロが語るのは、そして、そのとき一緒にスカラ座の楽屋にいたクリスティーナさんが口にしたのは、次のような場所です。

マエストロがミラノに着いたのは1962年11月2日、非常に寒く、自分のことをランタンを手にしてミラノにやってきたToto'のように思ったそうです。記者は、このミラノは寒く、ヴィスコンティの世界だと書き、映画《若者のすべて》のロッコたちがミラノに到着したときのことを読者に想い起こさせています。マエストロにとって、ナポリ音楽院とは全く違って、ヴェルディ音楽院は非常に生き生きとしていたとのこと。ナポリ音楽院には、真夜中すぎにスカルラッティ・ホールのオルガンがひとりでに鳴る、と言われるほど荘厳な雰囲気があったそうです。

マエストロ自身の楽天性もあって、ミラノでの生活はどうにか進んでいきます。

まず、ミラノに着いた最初の晩は、piazza 5 Giornale にあるホテルに宿泊。

そして、ヴィチェンツァ出身の老婦人の家の一部屋にテノール歌手と下宿、それは、via Tadino 2 。

次は、自分ひとりのための部屋を Piazza Tricolore の近くに借ります。そこには二人の老歌手、そのひとりはハープを弾き、たくさんの猫がいたそうです。

そして、クリスティーナさんとの出会い。一緒に家を見つけたのはどこの通りだったっけ、というマエストロの問いに、楽屋にいるクリスティーナさんが答えます。via Bellini 。

L'UOMO VOGUE 誌 1987年10月号
Riccardo Muti
In cima alla Scala

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ヴェル・レクのソリスト決まる

東京のオペラの森で、マエストロ・ムーティが指揮するヴェルディ《レクイエム》を歌うアルトが決まりました。エカテリーナ・グバノワで、ザルツブルク音楽祭の《魔笛》で三人の侍女のひとりを歌ったそうです。ザルツブルク音楽祭のサイトのプロフィール紹介によれば、1979年生まれです。

http://www.tokyo-opera-nomori.com/program/gubanova.html

http://www.tokyo-opera-nomori.com/program/index.html

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martedì 10 gennaio 2006

Ludovic Tézier

ウィーンでマエストロ・ムーティが指揮した《フィガロの結婚》で伯爵を歌った Ludovic Tézier のインタビューが、フランスのオペラのサイトに載っていました。好きなものは何?シリーズのような面白い質問もありました。

マエストロについて短く語っていました。非常に印象的な出会いをした演奏家のひとりにあげています。スカラ座の音楽監督であることさえ知らずに出会い、共演した《カルミナ・ブラーナ》は素晴らしかった、リハーサルではたくさんのものを要求されたが、それは決して権威的なやり方ではなかったし、必要なことばかりだった、すべてを統率していたのには驚くばかりだった、12月にはウィーンの《フィガロの結婚》で共演する、と語っています。

2005年12月31日 Forum Opéra LE MAGAZINE DE L'OPÉRA ET DU MONDE LYRIQUE
Rencontre avec Ludovic Tézier "Je suis le José Bové de l'art lyrique"

http://www.forumopera.com/

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lunedì 9 gennaio 2006

L'arte di Riccardo Muti フルトベングラー、ワーグナー(2)

去年出版されたマエストロ・ムーティの芸術に関する本から、マエストロがワーグナーとフルトベングラーについて語った残りの部分を紹介します。

マエストロとクライバーの親交の深さについては、イタリア語の新聞雑誌が読めるようになってから、一層よく知るところとなりました。
2004年ニューイヤーコンサートのときに、コンサートの合間にマエストロのもとへクライバーからファックスがはいってきたことに、ファンとしてどれほど驚き、喜んだことか。けれども、後で、そのときはクライバーは夫人を亡くして非常に沈み込み、マエストロもそれを知っていたことを新聞で読み、あのときのマエストロの心の奥にあった悲しみを想って胸がつぶれてしまいそうになりました...。

L'arte di Riccardo Muti e la Musa platonica
Bompiani, Milano
2005年3月

Conversazione conclusiva con Riccardo Muti

実を言うと、ワーグナーへの私のアプローチの仕方は、フルトベングラーの卓越ぶりに比べると、非常につつましやかなものだと言いたいです。確かに私は、《リング》の中にあるみじめさ、もろさ、哀れさを理解しました。一方、『傑出した英雄たち』、『超人たち』の世界に対するフルトベングラーの最高の高みにある考え方では、それらは捉えていませんでした。それは、最高の高みにあるどころか、壮大でさえある考え方なのですが。おそらくフルトベングラーは、おそらく、と言っておきますが、病んでいるということについても偉大さを感じ、その偉大さを描きたいと考えていました。私は、自分のもっとつつましやかな条件の中で、惨めさといったものもワーグナーの世界にはあると感じていますし、その惨めさは、傑出した人物の中にさえも居合わせている、と感じています。

でも、あなたにお話ししたい特別に意義深いエピソードがあります。ここスカラ座で《神々の黄昏》のゲネラルプローベを行ったときに、私の非常に親しい友人で最高の指揮者であるカルロス・クライバーがやってきたことを思い出します。オーケストラのほとんど上のパルコに私の妻と一緒にいて、こっそりとこの《神々の黄昏》のゲネプロを見守りたかったのです。とてもユーモアのセンスのある人でした。そして、音楽家としても最高の人でした!とてもユーモアのセンスがあったので、その後、食事で会ったときに、私にこう言いました。『《神々の黄昏》のジークフリート葬送曲を聴いて、この音楽でナチスのリーダーが死んだとは思わないかい?』

ここがポイントなのです!文化的、知的に卓越した大きさをもち、非常にユーモアのセンスのあるカルロス・クライバーのような人間がこの音楽の中に見ているものが、まさにおおげささなのです!一方、もうひとりの人は、ナチスのリーダーの死は見ず、存在しない世界の死を見ている...。クライバーのこの当意即妙のせりふは絶妙ですね、そうでしょう?

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ルチアーノ・ベリオのDVD

ルチアーノ・ベリオの《シテール島への航海》のDVDに、マエストロ・ムーティのインタビューも登場するという記事が、フランスの音楽ニュースに載っていました。

記事を読むと、ベリオが《シンフォニア》の作曲に際してマーラーを重視したことから、何人かの指揮者のマーラーについてのコメントを紹介しているようです。以前同じ映像作家によるDVD《マーラーを指揮するということ》に、マエストロがウィーン・フィルを指揮してマーラーの交響曲第4番をリハーサルするところや、インタビューが含まれていて、そのときのものから使用していることも考えられます。レーベルのサイトのディスク紹介文からはそう読めます。
ベリオの同ディスクに関する他の紹介記事には、マエストロがマーラー4番冒頭について話すシーンがある、と書かれています。
両方のディスクのシーンが同一ものかどうか、気になるところです...。

2006年1月6日 Res Musica.com
[DVD] Documentaire
Ideale Audience
Riccardo Chailly s'offre Mahler et Berio


Gustav Mahler – Attrazione d’amore ;
Luciano Berio – Voyage to Cythera
Frank SCHEFFER
Ideale Audience DVD9DS12
2005年9月9日発売

http://www.resmusica.com/aff_articles.php3?num_art=1991

http://www.ideale-audience.com/site/home.16.0.html

Voyage To Cythera : In 1968, composer and pioneer of electroacoustic music Luciano Berio created Sinfonia, a memorable orchestral piece and harmonic journey through references to composers such as Stravinsky, Boulez, Schönberg, Stockhausen and most of all, Mahler. Just as Sinfonia uses the image of a river to connect its various elements, Voyage To Cythera navigates through wonderful music quotes mades of performances conducted by Berio, rehearsals, archival documents and interviews featuring Riccardo Chailly and Louis Andriessen.

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L'arte di Riccardo Muti フルトベングラー、ワーグナー(1)

マエストロ・ムーティについて昨年出された本からのインタビューの続きを紹介します。

2はフルトベングラー、ワーグナーについてです。
インタビュアーである哲学者 Giovanni Reale は、スカラ座でのフルトベングラーの歴史的なワーグナー《ニーベルングの指環》上演に大変感銘を受けていて、マエストロの同作品上演との比較を行っています。フルトベングラーが《リング》をミーメに至るまで英雄化、神聖化したのに対し、マエストロは、ワーグナーにおけるニヒリズム、デカダンスといった、ニーチェによって引きだされたものを明確化しようとした、とし、それについてどう思うかとたずねています。
マエストロがフルトベングラーについて語る中で、時代として彼とナチスへの言及を避けることはできず、多くの人が抱く疑問をマエストロも持っていることがわかり、とても興味深く思い、また大いに考えさせられたインタビューとなりました。

1(作品へのアプローチの仕方)でもそうでしたが、インタビュアーの質問は非常に長く、かなり抽象的であるのに対し、マエストロの答えは、マエストロの常として、とても実地的で、自分の仕事に即したシンプルで現実的なものになっています。マエストロの応答部分だけで十分趣旨は通じます。(インタビュアーの質問を日本語にするだけで疲弊するのも困りものですし...。)
従って、1もそうしましたが、インタビュアーの質問部分は日本語にしていません。申しわけありません。

L'arte di Riccardo Muti e la Musa platonica
Bompiani, Milano
2005年3月

Conversazione conclusiva con Riccardo Muti

もちろん、フルトベングラーの前では我々指揮者はみな、その偉大さを示されると、自分は劣っていると感じると思います。非凡な人の前で我々は、彼が作曲家の中に見ていたものに遭遇し、また、彼は作品の登場人物たちをまるで偉大な人間であるかのように指揮しましたが、その彼がおそらく登場人物たち全員の中にも見ていたものと、遭遇します。おそらくフルトベングラーは自分の gigantismo 、現実を超越してものごとを巨大化してみる傾向を心・精神上の視覚に投影し、また、歴史的に非常に特別な時点に投影していました。その傾向は、彼が属していた非常に偉大な国のとても素晴らしい文化を、彼が自覚していたことからも生まれたものです。そして、こういう投影がなされたところでは、ある場合には、作曲家と演奏家の、あなた(インタビュアー)が言うところの、ボーダーラインがどこにあるのか、境界線がどこにあるのかがむつかしくなります...。

《リング》の悲惨な人物たちは、その『悲惨さ』においてまさしく、フルトベングラーの解釈では悲惨さそれ自身の象徴、実例になっています...。どう言えばいいのでしょうか。ドイツ語では、Entsetzlichkeit 、Duesterheit 、Bosheit その他のような、特に抽象的な表現の語彙を使って言うといっていいかもしれません!このため、ミーメのような人物もまた、その『恐ろしさ』、『悲惨さ』において並外れたものになりました。フルトベングラーの物事の視点からは、よくないことをある種誇示するものが含まれ、表現されているのです。けれども、あなたが私に投げかけた質問に合うように答えるのは、少なくとも指揮者としては困難です。あなたのような哲学者ならば、ある視点に従って、ある方法でフルトベングラーの解釈を明確に見ることができるといっていいでしょう。一方、私は指揮者として、何よりもまず、これほどの指揮者の偉大さに驚嘆します。この結果、答えを示すのが非常に困難な状態になってしまうのです。

しかしながら、フルトベングラーの指揮するブルックナーの交響曲第七番のアダージョを聴いたときの動揺を、例として明かすことはできます。ベルリンでナチズムの時代に行われた有名なコンサートのものです。この演奏会の写真もあります(今、1943年だったか、1944年だったか、正確な年代は覚えていません)。写真ではフルトベングラーがブルックナーの交響曲第七番を指揮していて、会場はナチスの鉤十字の紋章と制服に満ちています!この交響曲は、ドイツ・ロマン派の作品においてだけでなく、音楽史上最もすぐれた作品のひとつですが、その第二楽章の演奏は全く衝撃的で、この楽章についてのフルトベングラー自身のほかのすべての演奏を非常に超越した、最高のものです。この部分を聴くたびに、本当に衝撃を受けます!けれども、疑問も持ちます。しかし、その答えを見つけることができません。すなわち、この演奏は、フルトベングラーが内心で感じていた悲劇の結果ではないのでしょうか。その悲劇とは、この作品がブルックナーの側からすれば神への称賛とメッセージでもあり、そういった音楽を演奏しなければならない状況でフルトベングラーが感じていたものです。フルトベングラーはこのような異常な状態で演奏していました。ナチス党員たちの前で、従って聴く資格のないような人たちの前で、このように敬虔で宗教的な作品を演奏しなければならないという悲劇を感じていたのです。宗教的な、というのはありふれた意味ではなく、普遍的な面をもった宗教性、といったらいいのでしょうか。あるいは、この演奏は彼の気持ちと精神の極度の熱狂の結果なのでしょうか。すなわち、ナチス党員たちは、実際にはゲルマニアとドイツ文化の偉大さとは何の関係もないこのような音楽を杯にして、不適切な方法でメッセージを飲み干すためにまさしくそこにいたのですが、そういうナチス党員たちからなる聴衆の前で、ゲルマニアとドイツ文化の偉大さを信じるがゆえに、こういう音楽を演奏したという人間の激情の結果なのでしょうか。実際のところ、音楽は明瞭なメッセージはもたらしませんし、語りません。音楽が偉大なのは、まさに感覚を呼び覚ますからであり、語りはしません。けれども、ブルックナーの音楽はある種の曖昧さをもって理解されているといってよく、その音楽の中で、熱に浮かれたような感情の高まりに連れて行かれるのを感じることがあるかもしれません(病的な感情、きわめて病的なものでもあります)。あるいは、非常に高揚した精神の羽に乗って、素晴らしい状態に導かれるのを感じることもあるかもしれません。

この問いへの答えは一度も見つけたことがありません。この晩フルトベングラーがこのように異常だったのは、超人思想、非凡な人間に関する思想にべったり浸かっていた偉大なるゲルマニアへ、敬意を表していたためかどうか、理解できたことは全然ありません(非凡な人間に関する思想についていえば、彼は指揮者としてはまさしく《リング》四部作において、卑小で病的、悪意の人物たちにも偉大さを付与していました)。あるいは、そうではなく、会場には《人間らしさのない人間》がいることに気づき、彼らとは明確に矛盾する、このように精神的なメッセージをもった音楽を演奏しなければならない状態にあることに、非常に苦悩していた人間であったためなのかどうか。今でもまだ、この答えを出すことが全くできません。ひとつ確かなのは、偉大な感じ、荘重感、存在論の拡張感があることです。フルトベングラーはそれらを《リング》の『傑出した英雄たち』、『超人たち』の世界にもちこみました。残念ながら、ナチスは、不当な方法も用いてワーグナーに思想も責任もかぶせていることを自認していましたが、それは、明らかにワーグナーが持つことが不可能であったような形式、広がりのものだったのです。

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domenica 8 gennaio 2006

マエストロのモーツァルト記念年

マエストロ・ムーティの2006年は12日のフランス国立管との演奏会からスタートしますが、曲目はモーツァルト。
マエストロの今年1年間の演奏活動から、モーツァルト記念年に関わるものをいくつか書いている記事が3日に出ています。昨年12月来、情報として探しているパルマでの《ドン・ジョバンニ》の演奏計画は、ここでも伝聞と可能性の域を出ていません。
このほかにも、モーツァルト記念年を報じる膨大な量の記事が出ていて、どれもがマエストロの27日の演奏会に触れています。

2006年1月3日付 Avvenire 紙
Ogni teatro lo celebra L'Austria punta su Muti
Il 27 gennaio il maestro dirigerà il concerto ufficiale a Salisburgo dove in estate andranno in scena le 22 opere liriche del compositore

記事が紹介している演奏会は次のものです。
1月27日はザルツブルクでウィーン・フィルと生誕250年祝賀コンサート。モーツァルトに関する素晴らしい演奏家であるマエストロは、1月12日はパリでフランス国立管とVesperae de Confessore を演奏、同じ作品を2月10日にフィレンツェで五月音楽祭管と演奏。

また、パルマは11月に《ドン・ジョバンニ》を上演してスカラ座と対抗するようなことを考えているようで、パルマ王立歌劇場総裁 Mauro Meli は、ムーティと演出家としてポランスキーの名前をシルクハットから取り出せればいいがと思っているようだ、と記事は結ばれています。

Un Don Giovanni è nell'aria anche a Parma, che vorrebbe fare concorrenza alla Scala, programmandolo nello stesso periodo, a novembre: il Regio di Mauro Meli potrebbe estrarre dal cilindro i nomi di Muti e del regista Roman Polanski.

(この記事の続きはありません。)

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sabato 7 gennaio 2006

L'arte di Riccardo Muti 作品へのアプローチの仕方(3)

マエストロ・ムーティが作品へのアプローチについて述べた残りの部分を紹介します。
自分の解釈をいろいろなオーケストラ、文化風土でためす、というマエストロの言葉をとても興味深く思います。この4月、はじめて日本のオーケストラ、合唱団を指揮してヴェルディ《レクイエム》を演奏するマエストロが、どのような感想を抱くか、是非是非たずねてみたいし、演奏を聴けるのが本当に待ち遠しいです。

L'arte di Riccardo Muti e la Musa platonica
Bompiani, Milano
2005年3月

Conversazione conclusiva con Riccardo Muti

けれども、これは単なるスタートにすぎません。
この特別な道のりを始めた後、私は自分自身と対決し、決着をつけなければならないのです。演奏者は毎日変わります。私が毎日解釈を変えるのではなく、我々の誰もが変化するし、変わるのです。私の考えは、今日このように心に想い描かれ、自分が目の前にし、そして指揮しなければならない演奏家たちとの実体的な関係を介してリハーサルにかけられます。そして、楽器の実体とその可能性でもって次のようなことを試します。すなわち、私のアイデアは実行可能性という点からみて適当かどうか、あるいは、実際の技術的な可能性に従ってアイデアを練り直すべきかどうか、ということを試します。さらに、自分のものにしたこのスコアの再演の問題もあります。いつも同じオーケストラと再演するのではなく、様々な文化、いろいろな言語、様々な土地に属するいろいろなオーケストラと再演します。このために、たとえ、自分の同じひとつのアイデアがある意味、様々な感性や文化に適合するに違いないものであるとしても、たとえば、オスロのオーケストラ、マドリードやベルリンのオーケストラと演奏します。自分を曲げる必要はありません。いずれにしても適合するのです。
これが実際、音楽の偉大さです!
書かれた記号は大切なように見えます。けれども、実際は違います。音の高さや音の長さを示していますが、測定するようなものではありません。4/4拍子、2/2拍子、4/2拍子、8/8拍子...。けれども、四拍子、四分の二拍子、八拍子とは何でしょうか。そして、Allegro vivace、Allegro vivo とは何を意味しているのでしょうか。あるいは、Allegro con anima、Allegro animato とは?ある作曲家が Allegro animato と書き、別の作曲家が Allegro con anima と書いているとき、同じことを意図しているわけではありません。この違いにはどんな意味があるのでしょうか。
ここで出したこれらすべてが、書類上は十分解読可能でも、実際には、五線譜の中には感情に関して尽きることのないの可能性があるという、そういう魅力的な世界の話題です。本当に尽きることがありません、全く!これが音楽の魔法であり、また、我々すべてが、あるいは少なくとも私が、自分のものにしたくなるようなメッセージのある楽譜のページを開くたびに抱く、大いなる畏敬の念です。

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トスカニーニ

昨秋出版されたトスカニーニに関する本の中で、様々な指揮者とともに、マエストロ・ムーティもトスカニーニについて語っています。

Toscanini secondo me
Il più celebre direttore d'orchestra in un secolo di testimonianze
Balestrazzi Mauro
€ 19,80
244 p., brossura
2005,  L'Epos

http://www.lepos.it/home/php/schede/scheda_libro.php?id_lepos_libro=805

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ウィーン国立歌劇場上演記録集

ウィーン国立歌劇場の1945年5月1日から2005年6月30日のクロニクル、上演データを収めた本が出版されました。
まだ国立歌劇場のサイトでは購入できないようです。

Chronik der Wiener Staatsoper 1945 - 2005
CHRONIK DER WIENER STAATSOPER 1945 BIS 2005
WIENER STAATSOPER GMBH (HG.)
Aufführungen - Besetzungen - Künstlerverzeichnis zusammengestellt von Andreas Láng
34,80euro

http://www.arcadia.at/

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venerdì 6 gennaio 2006

来シーズンはウィーンで《コシ》

ウィーン国立歌劇場機関誌 pro:log 誌最新号のトップ記事はマエストロ・ムーティの《フィガロの結婚》に関するもので、オーストリアのいくつかの主要新聞から評を引用して、その成功を紹介していました。来シーズンは《コシ・ファン・トゥッテ》を振ることが、ここにも書かれていました。

pro:log 誌 2006年1月号
Mutis triumphale Rueckkehr

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スカラ座2005年開幕公演

昨日の朝日新聞夕刊で、昨年12月のスカラ座開幕公演が紹介されていました。

2006年1月5日付 朝日新聞夕刊
Around the World
「ヨーロッパのスカラ座船出」

ハーディングとの比較でマエストロ・ムーティについて、「ムーティが磨かれた音、ゆるぎない信念に満ちた音楽だとすれば」と記述されていました。

記事に添えられている写真のクレジットから思い出したことがあります。
一昨年のスカラ・フィル来日公演には女性のフォトグラファーが同行していて、リハーサルを始め、公演中もマエストロ・ムーティはもちろん、演奏会、サントリーホールのロビーでの日本の聴衆の様子などを大量に撮影していました。すぐそばで何度も撮影していたので、写真をどうするのか、たずねておけばよかったと悔いています。

過去にはツアー中のこんな写真を撮っていたフォトグラファーもいます。

http://www.contrasto.it/reportage/dettaglioprod.asp?idprod=286

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giovedì 5 gennaio 2006

ウィーン・フィルのライブCD

Kurier 紙のウィーン・フィル・ライブ録音CDがウィーン・フィルのサイトでも購入できることを、ウィーン・フィルのファンの方から教えていただきました。どうもありがとうございました。

http://wienerphilharmoniker.waldner.biz/index2.pl?language=de&id=62&nextsite=detail_kat

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グイド・カンテッリ音楽祭

マエストロ・ムーティとケルビーニ管が今秋グイド・カンテッリ音楽祭に出演すると、今日のスタンパ紙が報じています。11月26日の予定です。

2006年1月5日付 La Stampa 紙
Muti, Abbado e Placido
con gli Amici della Musica
alla conquista dei giovani

同音楽祭の昨秋のスケジュールは Teatro Coccia のサイトにあります。

http://www.teatrococcia.it/

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Kurier 紙のウィーン・フィルCD

Kurier 紙のウィーン・フィル・ライブ・シリーズのCDが、インターネットで1枚ずつ購入できます。
今のところ、3月までの3枚です。また、12月までの指揮者は確認できます。

http://shop.kurier.at/philharmoniker_edition_cds.php

マエストロ・ムーティのは2000年4月2日ムジークフェライン録音のものです。

Wolfgang Amadeus Mozart
Symphonie Nr.40 | G-Moll | KV 550*
Franz Schubert
Symphonie Nr. 6 | D 589*
Aufgenommen im großen Musikvereinssaal Wien am 02.04.2000

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mercoledì 4 gennaio 2006

L'arte di Riccardo Muti 作品へのアプローチの仕方(2)

マエストロ・ムーティが作品へどう取り組むかを述べたインタビューの続きです(中)。
演奏家たちを説得するのも大変な仕事ですが、指揮者のこの部分に関しては、政治家のキャラクター研究のようなものが適当なのかもしれません。

L'arte di Riccardo Muti e la Musa platonica
Bompiani, Milano
2005年3月

Conversazione conclusiva con Riccardo Muti

これは非常に長期にわたる局面です。当然、もう一方の人、作曲家によって抵抗を受けるからです。私は、その人の思考、意図、感情、精神を自分のものにしなければなりません。それを徹底的に調べる必要があります。だから、それについて秘密も明らかにしなければなりません。これはある意味、強引さを伴った行為です。行為、というほかにどう言えばいいのでしょうか。私は他の人の思考と精神の奥へ入っていくのですから、強引な行為です。その後すぐに、さらにまた、放置、遠ざかりが生じます。事実、距離をおくことが必要です。前に私が言ったように、ここの過程における明白な別れは、もはやそれを手放すことではなく、その中で私が活動する、という目的によるものです。

最後は、第三の『アタック』で、今度は、より大きな確信を得るレベルでのものです。攻略しようとする演奏家と攻略される作曲家の関係を、恋愛関係のようなものだと意図した場合、この第三のアタックでは他方の側の降伏が生じます。解釈を施された作曲家は私の側になり、このようにますます徹底的に理解され続けます...。結果として、好意的な心理に変わり、さらに、ほぼ物理的にも好意的といってよくなり、作曲家の剛毅さを克服するのにそれほど時間をさく必要がなくなります。そのかわり、攻略されたものそのものの剛毅さの中で動き回り、ある点では、一種の緊密さ、意図の豊かな共有が生まれます。

この時点で、作品が合唱やオペラの場合であっても、オーケストラや合唱団、歌手達の前に持ち出される用意がすべて整いました。そして、ここで真の苦悩が生まれます。作曲家が表明していた考えは私が解釈していく上での考えに変わり、100人か200人かもっといるたくさんの人々の心と感情を通過しながら、聴衆のもとに届かなくてはなりません。たくさんいる演奏家たちはその場で、私が自分の解釈上の考えについて彼らを説得するのを見ているし、待っています。彼らを説得する、あるいは、隠喩や誇張した言い回しを使おうとするならば、彼らに解明してみせる、ということです。自分たちの心、感情、感性をもった彼らは、自分達が腕に抱えたり、口にあてているメカニックな媒体で語らせなければなりません。また、このようにメカニックな媒体でありながら、一方では、精神的な面では彼らの肉体を超えた媒体によって伝えられるメッセージでもって、彼らは私の解釈上の考えを人々に届かせなければなりません。

結論ですが、道のりはとてつもなく長いものです。最初に、楽譜へのアプローチやその攻略について、大きな困難が存在する局面があります。次に、一度攻略されたあとは、終わりのない道のりを進みながら、100人、200人の人々がこちらの求めに対して正確に反応するように説得するために、努力しなければなりません。彼らはそれぞれ異なった個性をもっていますから、ひとつのまとまった思考のように、精神面で彼らを融合させる努力が必要です。

このようなものが、私がたどっている道のりです。

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12日のインターネット中継

12日のマエストロ・ムーティとフランス国立管の演奏会は、インターネット中継されます。

http://www.radiofrance.fr/chaines/france-musiques/direct/

http://www.radiofrance.fr/chaines/france-musiques/prgm/index.php?time=1137020400

2006年1月12日20時(日本時間 13日4時) France Musique

Oeuvres de Wolfgang-Amadeus Mozart
En direct du Théâtre des Champs-Elysées, Paris

Symphonie n°34 K.338
"Misera, dove son... Ah, non io che parlo", K.369, air de concert
"A questo seno... Or che il cielo", K.374, air de concert
"Alcandro, lo confesso... Non so d'onde viene", K.512 air de concert
"Mentre ti lascio, o figlia", K.513, air de concert
Vêpres solennelles d'un confesseur, K.339

Julia Kleitzer : soprano
Mariana Pizzolato : alto
Herbert Lippert : ténor
Ildebrando d'Arcangelo : basse
Chef de choeur : Toni Ramon
Chef de choeur : Bruno Casoni
Direction : Riccardo Muti
Choeur de Radio France
Maîtrise de Radio France
Orchestre National de France

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ケルビーニの新録音?

マエストロ・ムーティと共演の機会が多く、そして、下記のインタビューでも語っているように、新年早々もパリでモーツァルトで共演する Herbert Lippert が、ORFのインタビューで、ヴェネチアで《魔笛》(4月)に出演した後、マエストロとケルビーニの新録音がある、と語ったそうです。インタビューからはその部分は聞き取れなくて、詳しいことがわかりません。
Di Chimay を録音リリースしているので、そのことなのかもしれません。

OE1 Inforadio 2006年1月3日
Herbert Lippert im Gespräch

http://oe1.orf.at/inforadio/59868.html?filter=5

http://www.herbertlippert.com/

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martedì 3 gennaio 2006

L'arte di Riccardo Muti 作品へのアプローチの仕方(1)

去年3月に出た、マエストロ・ムーティの芸術に関する本の内容を少しずつ紹介していきます。
まず、巻末のマエストロ・ムーティへのインタビューの章ですが、1~8に分かれていて、1では作品への取り組み方を述べています。ある程度作品を読んだら、しばらく寝かせておく、とは演奏家がよく口にすることのように思いますが、マエストロもそう語っています。

L'arte di Riccardo Muti e la Musa platonica
Bompiani, Milano
2005年3月

Conversazione conclusiva con Riccardo Muti

オーケストラ曲であれ、オペラであれ、まだ知らない作品の楽譜に取り組むときは、最初は、論理的な方法でやるようなことは何もない道のりが続きます。恋愛や求愛の行為が続くのです。ブルックナーの交響曲を例にとってみましょう。それへの最初のアプローチは楽譜を入手し、自分のピアノにたてかけておき、閉じておくことがその内容です。一方で、別のものを勉強しています。だから、そこに作品があることを感じ、ベールを取り払われるのを待っていることを感じています。このような物理的な近さは私の中に振動を起こし始めます。誰かがいて(何かが、ではなく、誰かが、であり、まさしく作曲家そのもの)、待っているのを感じます。この期待は要求の存在を意味し、すなわち、覆いをとってほしいという求めであり、数日間、数週間続くこともありえます。次は、たとえば、ワーグナーのオペラを勉強している最中だとして、ブルックナーの楽譜はピアノの上で待っています。ある日、それは、あらかじめ考えられたものではない日です。実際、「今日は12月3日だから、12月17日にはこの楽譜を開くことにしよう」というようなことは言いません。そのある日、突然ピアノのところに行きたい気持ちが生まれます。そして、それまで勉強してきていたものを研究し続けるかわりに、別の必要性を感じ、イエスの到来を予言する荒野で呼ばわる声 vox clamantis のように私に言うのです。「開いてください!」この瞬間に楽譜を手に取り、ピアノの譜面台に置き、読み始めます。作品の分析を始めるのではなく、読むのです。ピアノで楽譜をたどるような方法で勉強しながら、ページをめくり、ピアノで演奏し、こうやってそれがどのようなものか理解します。 作品の規模や様式、主題の構成、そして、漠然と、音色のニュアンスについてまでも、第一印象を持ちます。

この最初のアプローチが相思相愛の出会いの結果になった場合には、第二段階に進みます。実際、楽譜が理解してほしいと求め、そして、愛を求めると、それに私が報いることができるか、それともできないか、ということになります。けれども、これは、楽譜のせいでもなければ、私のせいでもありません。不可能な出会いもあるのです。この場合には、明らかに、楽譜は遠ざけられます。一方、一度、この『愛情に満ちた関係』が成り立つと、その場合は様式、構造形式の研究に進みます。古典派の法則で作り上げられているけれども、現代音楽の作品の場合、あるいは、逆の場合、古典派音楽の作品であるにもかかわらず、ある意味、それを壊したり、あるいは、古典派の様式に従って読む場合。このように、作品の様式や構成を体系的な手法によって探りながら、進みます。このようなやり方で作品を分析した後、和声や対位法といった別の分析に進みます。このような分析は何日も何日も要し、それを進める一方で、この勉強している音楽を解釈したり、演奏したいという状態に自分があるかについて、まだ問いかけることはしません。けれども、私の中では、解釈の芽が、分析がなされた結果としてまさに、告げられつつあり、あるいは、形づくられています。構成や様式、旋律部分、対位法部分についてこのように分析がなされたとき、音色、響きの分析に進みます。私が付け加えた解釈の『衣装』という別の要素がありますが、まだ、演奏上の問題には到っていません。楽譜を読んでいく中で、旋律の動きはどんなふうになるのか、構成上の様々な要素の重要さに応じて、明らかにされる必要のあった構成上の要素はどんなものなのだろうか、長調か短調か、といったことが既に私の中で形作られ始めるのは、当然のことです。けれども、このような作業を行った後で、そしてこの作業は明らかに分析的なものであり、いわば音楽のエンジニアによるものですが、私は楽譜を放置します。楽譜が何日間か何週間か私を待っていた同じ場所、ピアノの譜面台に置きます。デカンターレ、decantazione 、純化が進むのに任せるのです。つまり、このように終わります。de-cantazione と!これはまさに cantare 『歌う』ということに由来するものです。そして、別のことに関する仕事に進みます。

けれども、私の中では、そうこうするうちに様々な様相で燃える炎が、上がり始めます。他の仕事をしているとしても、私の思考は、たとえそれを意識することがなくても、解釈に役立つ基本要素について豊かになり始めます。事実上、停滞もしくは明らかに遠ざかる局面にあり、つまり、この瞬間、私はもはや楽譜と物理的な観点では接触をもちません。楽譜は魔物のように私の中にはいり、静脈動脈を流れる血のようになり、影響を及ぼし始め、解釈に役立つ事柄をこのように形作り始めます。その結果、このような静寂の期間の後、楽譜に対して第二の『愛のアタック』を始めたときには、既に最初のページは開かれ、私は鎧に身を固めた騎士の如く、挑戦するために馬上試合の中に入っていきます。

第一段階は純然たる『愛の行為』としてのアプローチでしたが、第二段階は『挑戦』に変わります。私はこの重大なものを攻略しなければならず、ミケランジェロ風の激しさでもって作曲家の扉を叩きます。拳で叩きます。私に反応してくるからです。要求します。もう口説いたり、ちやほやしたりしません。求めるのです。

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lunedì 2 gennaio 2006

Kurier 紙のウィーン・フィル・シリーズ

Kurier 紙がウィーン・フィルのライブ録音を、今月(カラヤン)から毎月1枚ずつ出していきます。12枚まとめてだけでなく、1枚でも購入できる、と記事には書かれていて、メール照会もできるようになっています(まだ回答がきません...)。
マエストロ・ムーティのは2月に出ます。モーツァルトの40番とシューベルトの6番です。

2005年12月30日付 Kurier 紙
Zwölf CDs mit Schätzen

http://shop.kurier.at/philharmoniker_edition_box.php

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バリから世界の檜舞台へ(1)

バリの音楽について書かれた本に載っている、マエストロ・ムーティのインタビューから、まず、そのキャリアを振り返っている部分を紹介します。
マエストロが、自分は偉大な音楽家達との様々な出会いに支えられてここまできた、だから、ケルビーニ管にも自分が得たものを伝えたい、と思う気持ちが、あらためてよくわかります。ニーノ・ロータがマエストロについて語っていたことがないか、いずれ探してみたいです。
マエストロが、自由というものをどれほど尊く思っているかがここでも語られていて、とても興味深く思いました。芸術家にとって、本当に大切なことです。

La Musica a Bari

Da Bari alle scene del mondo: L'esperienza di un musicista
Conversazione con Riccardo Muti

マエストロ、あなたはしばしば、ナポリとプッリャという二重の出身であることを、誇らしげに口にしています。音楽史を見ると、プッリャの音楽家達が『ナポリ楽派』、とりわけ17~18世紀のナポリ楽派の形成に貢献したという事実がはっきりします。あなたは、同じような道のりを再びたどった最近の『移住者』のようにちょっと感じられますが。
「『ナポリ楽派』の音楽家達の多くが、おそらく主要な人たちがプッリャ出身であるというのは事実だし、重要なことだと思います。最も有名な Piccinni 、Traetta、 Paisiello などはおいておくとしても、今日あまり知られていないような人々、たとえばモルフェッタ出身の Luigi Capotorti もいます。彼は、その時代の音楽界を概観すると最高水準の役割を果たしていました。従って、プッリャ出身者たちは18世紀ナポリ音楽の伝統において、支柱をなしていたのです。このことが、たとえ、プッリャと首都ナポリの特恵的な間柄によるものだとは考えていないにしても、この事象は疑いなく重要です。
私個人に関しては、音楽とつきあい、愛し始めたのはプッリャであり、まだバリ、モルフェッタにいたもっと早い頃です。私の家では、音楽に対する感性は父方から来ていて、彼らはまさにプッリャ出身でした。母はナポリ人で音楽を愛していましたが、ほとんど聴くだけでした。一方、父は申し分のない医者で、テノールのいい声をしていました。若い頃にはロッシーニ《スターバト・マーテル》、ヴェルディ《レクイエム》などなどを歌っていました。彼は、自分の音楽へのこの情熱を、5人の息子へ伝えるような人でした。それから、祖父は《アッティラ》や《群盗》のアリアをそらで知ってさえいました。つまり、音楽文化は楽団、地方の小さな劇場、そしてもっと後にはラジオによって伝わり、特別なやり方でプッリャに根を張っていたのです。
長くなりそうで、説明がむつかしいであろう一連の理由によって、私が兄弟の中で唯一音楽家になりました。音楽の勉強を専門的な方法で続け、バリ音楽院での勉強が必要になり、それは当時は音楽高等学校 Liceo Musicale でしたが、そして、ニーノ・ロータとの出会いがありました。私の人生に欠くことのできない人です。彼は私がその後たどることになったキャリアに私を導き、私の人生の分岐点を象徴しています。」

この頃、つまり1950年代の後のほうの頃について話していますが、ニーノ・ロータはまだ整備形成の途上にあったバリの音楽環境の推進者でした。当時はちょうど国立の音楽院である Liceo Musicale を改変している厳しいむつかしい頃で、ロータ自身のサイドが彼をバリの学院長に招いた頃でした。大学教官としてバリでは重要な音楽名士のひとりでした。ロータとの個人的な関係はどんなものでしたか。
「関係は何よりもまず、特別な心情に基礎をおくものでした。ピアノの下級完了試験を受けに、受験生としてモルフェッタからバリに赴いたときのことを思い出します。誰も知っている人がいなくて、彼は委員会の一員でした(そこには副学院長のマエストロ Ruggiero 、オルガン奏者 Donato Marrone も一緒にいたし、古参の作曲家 La Rotella さえもいました)。10点満点と最優秀賞をとり、彼は私のところに結果を伝えにやってきて、言いました。『我々は君に最高点と最優秀賞をあげましたが、それは君が演奏してみせたことに対してというよりは、むしろ、君ならこう演奏できるだろう、ということに対するものです。』この言葉にとても感銘を受けました。その結果、インターンとして音楽院に入学したい気持ちになりました。私のいたところからはそれは遠いところにありました。当時、モルフェッタの高校 Liceo に入学していて、午前は学校に通い、午後はバリの音楽院に遠距離通学できると考えるのは、その頃はむつかしかったからです。ロータは両親を説得し、こういう歩みをなしとげることになりました。今言うと、ちょっと馬鹿げているように思えるでしょうが、当時はむこうみずなことでした。私は一歩一歩ついていきました。第一にやったことは、シンフォニー・オーケストラがどんなものかを私に見せ、聴かせることでした。当時バリで活動していたオーケストラのリハーサルに連れて行かれました。名前は覚えていません(本の編者の注意書きによれば、Piccinni 管といって、Liceo Musicale 内で生まれ、後に音楽院のオーケストラになりました)。私がはじめてのリハーサルで聴いた作品は、Orazio Fiume のオラトリオで、Aiace という作品名でした。そこでオーケストラ指揮者、合唱指揮者の仕事がどんなことで成り立っているかを、実地で経験しました。私は15歳か16歳で、そこでのすべてのリハーサルに立ち会い、この仕事がどんなふうな役割を果たしているかを見て、理解しはじめました。この、指揮者としての可能性を私に見せてくれたのはロータが最初だったことを言うために、このことを話しました。単なるピアノ科生徒だったとしても、この偉大な人物が最高にたっぷりと、芸術上の心遣いと関心を私に向けていることを感じていました。バリでは1956年だと思いますが、発表会も開いていて、シューマン《謝肉祭》を演奏しました。おそらく、音楽院の記録にも残っていることでしょう。聴衆の前でのはじめての演奏会でした。マエストロRuggiero の第一ピアノクラスに通いました。一方、ロータの深い情熱とたくさんの励ましがあり、和声や対位法についての最低限の知識もないのに、ささやかな作曲もいくつか書きなぐり始めていました。ロータは私に、音楽への自由で非常に大きな愛を吹き込みました。自由で、という形容詞を強調しましたが、それは、その後に続く、私が取り組むすべての試練と、私の人生全般において、根幹をなすものだからです。」

バリの後、芸術上の道のりはどう続いたのですか。
「周知のように、ナポリ音楽院で Vincenzo Vitale にピアノの勉強の指導を受けました。1966年にはミラノ音楽院で作曲科を修了しました。そこでは Bettinelli の生徒に移りました。1967年には同音楽院で Antonino Votto のもと、オーケストラ指揮科を修了しました。1967年には G.Cantelli 国際指揮者コンクールで優勝し、1968年にはリヒテルをソリストとしてフィレンツェ五月音楽祭にデビューし、その演奏会の後、五月音楽祭管は私に首席指揮者になるよう依頼してきました。 受諾し、1969年から1981年までその地位にありました。1972年にはロンドンのフィルハーモニア管にデビューし、クレンペラーが退いた後、また同じことが起こりました。オーケストラは私に常任指揮者を引き受けるよう依頼してきたのです。それは1982年までやりました。1980年にはフィラデルフィア管の監督になりました。そことは、1972年に前任の常任指揮者ユージン・オーマンディに招かれて以来、すでに絶え間なく関係が続いていました。実際には、このアメリカのオーケストラから離れざるをえなくなりました。今はそこの名誉指揮者になっていますが、一方では1986年からスカラ座の音楽監督でした。また、1971年から毎年絶えることなく続いている、ザルツブルク音楽祭への関与もあります。21回目になります。これが、私の主な歩みです。」

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domenica 1 gennaio 2006

バリ音楽院でのマエストロ

マエストロ・ムーティがいつも忘れずにいるバリの音楽について、本が出版されています。1993年に出ていて、4年ほど前に入手しました。厚さ10センチ近く、新聞紙面の半分くらいの大きな大きな本で、マエストロがバリ時代を振り返ったインタビューも載っています。マエストロがクリスマスに新聞に寄せたメッセージを読みながら、故郷の文化へのその熱い想いに心を打たれ、この本についても紹介できればと思いました。

インタビューでは、バリ時代のこと、自分のこれまでのキャリアを振り返りながらの後進へアドバイス、家族のことなどを述べています。
マエストロが言うには、聴衆の前でのはじめての演奏会は、1956年にバリでシューマンの《謝肉祭》を弾いたものだそうです。15歳のマエストロはどんなふうだったのだろう、と興味はつきません。

La Musica a Bari
Levane Editori, Bari
1993

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BUON ANNO 2006!

Auguro di cuore al Maestro Muti un Nuovo Anno pieno di gioia e salute !

マエストロ・ムーティにとって、今年が平穏で幸福な年になりますように。

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